その閑静な住宅街は、環境の良い高台にある一等地で、
広い庭のある大きな家が立ち並んでいます。
社名の入ったトラックで緩やかな坂を上りながら、
彼は何度も、妻に向かって言いました。
「一生懸命働いて、そのうちここに住ませてあげるよ」
妻は閑静な住宅街の大きな家に住んでいるところを想像しながら
彼とのドライブを楽しみました。
でも、何度目かのドライブの時、彼とちょっとした喧嘩をして、
思わずこう口走りました。
「実現できないことばかり言わないでちょうだい!」
彼はもう二度と、その台詞を口にしなくなりました。
何年かして、彼は坂の下の、まだ田んぼが残る町に、
小さな庭のある小さな家を買いました。
娘が生まれ、小さな家には笑い声が満ちました。
ところが、娘が少し成長したある日、妻が病を患いました。
元々体の弱かった妻は、入退院を繰り返すようになり、
彼は仕事と看病と育児をしながら毎日を過ごしました。
それでも、家族3人揃うと、小さな家には笑い声が響きました。
娘はすくすく成長し、ひとりで自分のことができるようになりましたが、
妻はまだ、時々具合を悪くします。
彼はいつも妻の傍にいられるようにと、会社を辞めてささやかな店を開きました。
家族は店の上の部屋で暮らし、小さな家には他の家族が住むようになりました。
彼は妻と助け合いながら、ささやかな店を切り盛りし、
時が過ぎて娘は大人になり、恋をして嫁いでいきました。
肩の荷をひとつ降ろした彼は、少しだけほっとしました。
やがて新しい命を宿した娘が、出産のために戻ってきました。
喜んで張り切る妻と、生まれた赤ん坊を見ていると、
小さな家に新しい命が誕生した日の喜びが思い出されました。
しばらくすると、妻が足を悪くして店を手伝えなくなりました。
ちょうどその頃、小さな家に住んでいた別の家族が、
大きな家を買って出ていきました。
彼は、店を畳む決心をして、
すっかり古ぼけてしまった小さな家を、時間をかけて修復しました。
新しい畳やカーテンを入れて、小さな家でくつろいでいると、
まるでふるさとに戻ったような、不思議な安心感を覚えました。
小さな家で過ごす彼と妻の時間は、ゆっくり静かに流れていきました。
小さな家には、ときどき、娘夫婦が孫を連れて遊びにきました。
部屋の中をよちよちと歩く孫に、彼は目を細めます。
孫はすくすく成長して、すぐに歌ったり、走ったりできるようになりました。
その日も部屋の中を走り回っていた孫が、ふと立ち止まると彼に聞きました。
「じいちゃんのおうちはどうして小さいの?」
思いがけない質問に、彼は少し戸惑って、答えを考えているうちに、
若い日の、妻とのドライブを思い出しました。
妻の方を振り向くと、妻も同じことを思っていたのでしょうか。
にっこりと笑って、孫にこう答えました。
「ばあちゃんの足が悪いから、小さい方が便利なのよ。
ばあちゃん、このお家が好きなの」
「そっかあ、ばあちゃんが小さいお家を好きなのね。私もこのお家だーい好き!」
孫はすっかり納得して、また走りまわりました。
彼がもう一度妻の方を見ると、妻は照れ臭そうに微笑みながら、
ゆっくりと頷きました。
小さな家の小さな庭には、緑が茂り、可愛らしい花が咲いて、
部屋の中からは、楽しそうな笑い声が聞こえていました。
ウオッチコレ『ブリリアントタイム』