SEPTEMBER


カレンダーをめくって、SEP.の文字を目にすると、響子は反射的に微笑んだ。

20代最後の春、仕事で大きな失敗をした響子は、現実から逃げ出したくなった。

惰性で付き合っていた恋人に結婚の意思を仄めかすと、恋人は喜んで、翌週のデートに指輪を持って現れた。

結婚という逃げ道を得て、落ち着いた心でもう一度仕事に取り組むと、先の失敗が嘘のように何もかもが上手く行き、結婚を決めたことが悔やまれるようになった。

結婚のために仕事を辞めて欲しいなどと言う恋人ではなかったけれど、強く望んでいるわけではない結婚生活が響子の負担を増やすことは目に見えていた。

年内に挙式をと、11月に決めてあった式の日取りが近づくにつれ、響子は沈みがちになっていったが、恋人はそれをよくあるマリッジブルーと受け取ったようで、それほど気にはしなかった。

8月の始め、響子は上司から大抜擢を受けた。

社運をかけた新事業のプロジェクトチームの一員として、各関連部署の栄えぬき社員らと共に新しい仕事をすることになったのだ。

残業も休日出勤も増えることが確実なこのチームへ参加には、恋人もさすがに苦い顔をしたが、響子は婚約破棄まで持ち出して承諾させた。

仕事はとても遣り甲斐があり、響子は楽しくて仕方なかった。

響子にとって、結婚はますます魅力ないものに感じられるようになり、恋人とはデートの度に喧嘩を重ねるようになった。

恋人の声も聞かず、顔を思い出すこともない時間が増え、響子は、そのうち、結婚式が迫っていることなど嘘だとしか思えなくなっていった。

夏も終わりに近づいたある日、響子はとうとう婚約解消を申し出て、何度も話し合いを重ねた挙句、ようやく話がつきそうになった。

ところが……

指輪を恋人に返そうと出かける途中で、響子は交通事故に遭ってしまった。

一ヶ月以上の入院を余儀なくされたことで、急展開していたプロジェクトの仕事は後輩が後を引きつがざるおえなくなった。

退院した響子に与えられたのは、雑用のような仕事ばかりだった。

けれど、響子はちっとも落胆することなく、その時与えられた仕事を着実にこなした。

それは、9月をまるまる過ごした病院で、響子が恋に落ちたから。

響子をはねた加害者は、3つ年下の青年で、力を注いでいた仕事が出来なくなった響子を気遣って、毎日のように見舞いに来た。

二人はすぐにお互いを意識するようになり、その特別な感情は、あっという間に大きく育ち、響子は以前の恋人へ抱いていた感情との大きな違いに愕然とした。

青年との出会いは、上手く行かないことから逃げることばかりを考えていた響子を、現状を受け入れてそれに立ち向かう強い響子に変えた。

そして、愛されることに甘えていた響子に、自分から愛する喜びをわからせてくれた。

心から好きになった人と、こっそり交わすキスの最中、薄目を開けて見た病室の壁には、花のカレンダーのSEP.の文字があった。

響子は最初の予定通り、仕事を続けたまま11月に結婚をした。

3年後の出産まで、精一杯仕事をし、皆に祝福されて社を去った。

「ママ、どうしてカレンダーを見て笑ってるの?」

娘の言葉に振り向くと、響子は微笑んだまま答えた。

「ママは9月が大好きだからよ」


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