はじめて会った時の彼女は、まだ、気楽なエリート社員の妻でした。

最大の関心事は息子の教育で、最大の悩みは社宅の奥様方の噂話。

幼稚園に入ったばかりの一人息子を、英語、ピアノ、英才教育とたくさんの塾に通わせ、
社宅内のお付き合いで、本当は興味などない習い事をしたり、
本当は欲しくもない化粧品を買ったりしていました。

息子が塾に行きたがらないといっては泣き、
社宅の奥様に何か言われたといっては落ち込み、
夫が仕事で忙しくて話を聞いてくれないとため息をつくような、
どこにでもいる主婦でした。

ところが、ある日、夫が病に侵されていることが分かったのです。

夫の病気は癌でした。

入院、手術とその後の通院で、まともに仕事ができなくなった夫を、
会社はあっさり閑職に回し、仕事が生きがいだったエリート夫は、
持って行き場のない悔しさを、毎日彼女にぶつけました。

エリート夫を育てた母親も取り乱し、
彼女の作る食事が良くなかったせいで息子は癌になったのだと
彼女のことを罵ります。

それでも、彼女は我慢して、夫の看病を続けました。

看病の甲斐あってずいぶん回復した夫は、元来優秀だったため、
いくらか遣り甲斐のある部署への移動を打診されました。

この移動を了承すれば知らない土地への引越しが必要です。

それでも、彼女は、夫の強い希望を叶えるために、
住み慣れた土地を離れる決心をしました。

友達もいない引越し先で、寂しくなった彼女は、
時折電話をかけてきましたが、少し話すと明るい声で、
「大丈夫よ!私、随分強くなったの」と言いました。

ところが、夫の癌はその後何度も再発し、その都度手術を繰り返し、
それでも取りきれなかった癌が、体中に転移していました。

最先端の治療から、怪しい健康食品まで、試せることは全て試しても、
夫の回復は見込めません。

電話の向こうで泣きじゃくる彼女の、痩せた体が心配でした。

クリスマスの夜、医師から年を越すのは難しいと告げられた彼女は、
とうとう決心をして、夫の命が長くないことを息子にも話しました。

息子に事情を伏せたまま、夫の回復を待つことが
もう無理だとはっきり悟ったのです。

泣くのは止めて、現実をしっかり見つめて、
夫が亡くなった後の生活についても考えなくてはいけないのです。

結婚前かた貯めていた貯金も、繰り返した手術と入院で
すっかり使い果たしていました。

家族の思い出を少しでも作るため、彼女も息子も病室に寝泊りし、
これまでにないほどたくさんの話をしました。

十数年間の思い出話、ずっと言いたかったのに言えなかったこと、
夫への愛情と感謝の気持ち……。

1秒後には“その時”が来るかもしれないと思う彼女には、
一瞬一瞬が宝石のように輝かしく感じられました。

危篤の連絡から1ヶ月が過ぎ、
訃報が届かないことにかすかな安堵を感じていると、
彼女から再び連絡がありました。

彼女の夫は、一時期奇跡的に回復し、年明けにはしばらくの間、
会社にまで行っていたというのです。

エリートだった夫が、家族の次に大切にしていた仕事を
少しでもさせてあげたいと、彼女は通勤に付き添いました。

電車の中で立っていることさえも辛い夫を支えて、
途中、何度も座り込んで休む夫を励ましながら、
会社までの道を送り迎えしました。

起き上がることができないまでに衰弱した夫は、
今、ホスピスが空くのを待っています。

彼女たち家族に残された時間は、もう、あまり長くないかもしれません。

でも、彼女たち家族が過ごすその時までの時間の密度は、
どんなに長生きした人にも負けないほど濃いものに違いありません。

泣いて落ち込んでばかりいた彼女は、びっくりするほど強くなり、
「今良い葬祭場を探してるの、ヘンな場所から夫を送るわけにはいかないから」
と微笑むほどになりました。

春になる頃、
「ホスピスから戻ってきたの。夫は今会社に行ってます」
と彼女から電話がかかってくるような、奇跡を願ってやみません。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。