古時計屋の店主は、昨日田舎から送ってきたりんごをかじりながら、

ポストに届いた手紙を取り出した。


みずみずしい実をシャリシャリと小気味良い音で噛みながら、

一通の封筒に手を止めた。

差出人は、大企業の社長として、その顔と功績をよく知られた人物だった。

店主は、ある時計を探していることが書かれた丁寧な文字の

手紙を読み進むうちに、手にしたりんごを取り落としそうになった。

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田舎で生まれ育った私が、東京に出てくることを決めたのは、

昭和26年、15歳の春でした。


日本がサンフランシスコ条約に調印したこの年には、

日本航空が就航し、五百円札が発行されて、

やがて始まる高度経済成長時代を予感させていました。

広い畑と山を所有していた私の生家は、いわゆる地元の名家であって、

一人息子だった私は、何不自由なく育ちました。


両親は、私が畑や山の管理を継ぐとばかり思っていたので、

突然言い出した東京行きにはずいぶんと驚いた様子でした。

大反対する両親を説得しきれなかった私は、

半ば家出のような形で東京にやってきました。


持ち物も所持金もほとんどなく、リュックサックに詰まっていたのは、

大きすぎる夢だけでした。


経済や経営の勉強に励む傍ら、小さな工場に勤務して、

わずかな賃金を得ていた私の夢は、自分の会社を作ることでした。

工場からの収入では、食べていくのに精一杯でしたが、

そのお金さえ勉強に必要な本と貯金にまわしたため、

私はいつも痩せて空腹でした。


それでも、あんなふうに飛び出してきた実家に援助を頼むことは出来ず、

夢だけを頼りに頑張り続けました。

ある日、元気でいることを知らせるため、思い切って母に手紙を送ると、

返信と一緒に箱いっぱいのりんごが送られてきました。


りんごは私の好物で、幼い頃からよく食べていましたが、

東京の暮らしを始めてからは、一度も口にしていませんでした。

「身体に気をつけてがんばりなさい」


と記された母の懐かしい文字を読みながら、むさぼるようにかじったりんごは、

例えようもないほど美味しいものでした。


その後、母からは毎月りんごが送られてくるようになりました。

勉強と仕事に励んで、5年の月日が流れました。


その間に一度だけ、故郷に帰ろうとしたことがありましたが、

目的を達成するまで家の敷居はまたがせないと、

父は許してくれませんでした。

その頃、ある程度まとまった金額になっていた貯金を元に、

私は小さな電気製品の販売店を始めました。


奥には修理場もつくり、販売した後々まで売った商品に

責任を持とうと決めました。


その心がお客様にも通じたのか、店は順調に売り上げを伸ばし、

店の規模も徐々に拡大することができました。

さらに数年後、店を会社組織に変更しました。


初代社長となった私は、これでようやく故郷に帰ることができると、

喜び勇んで電車に乗ったのです。

ところが……


生家に戻ってみた私は、我が目を疑ってしまいました。

父が位牌になっており、母は病の床に伏していました。

あれだけあった畑や山はすべて売り払われ、

がらんとして何も無くなった部屋にぽつんと、

母の布団が敷かれていました。

涙が溢れ、話したいことは山ほどあるのに、

胸が詰まって言葉が出て来ませんでした。

父が亡くなったのは一年前のことだったそうです。


新しい農法を取り入れないかと、上手い話をもちかけてきた

インチキ業者に騙されて、畑と山の殆どを取られてしまったのだと、

母は泣きながら語りました。

その上、わずかに残った農地に害虫が発生して、

周りの畑に大規模な被害を出したので、残っていた蓄えをすべて

賠償に充てることになりました。

心労から寝たきりになった父は、母がどんなに頼んでも、

都会で夢に向かっている私には連絡をするなと言いながら逝ったのだといいます。

ですから、母はその時も父の言いつけを守り、あんな窮状にあってさえ、

私には連絡をしてくれなかったのです。

そして、その状況を隠し、毎月私にりんごを送り続けてくれることが、

母にとってどんなに大変だったかと想像して呆然としました。


その頃にはもう、母のりんごをそれほどありがたく思わなくなっていた自分を
心から恥じました。

母は、父の形見となってしまった大切な時計までも、

私へ送るりんごに代えていたのです。

衰弱し、働くことが難しくなった母が、売れるものはすべて売って、

生活費とりんごに代えていたことも知らずに、

東京でのうのうしていた自分を情けなく思いました。

母は、私と再会してから間もなくして、静かに息を引き取りました。


もう、40年以上も昔のことです。

今、私には、欲しいと思えばりんごを農園ごと買ってしまえるくらいの

経済力ができました。


けれど、母が亡くなってからは、どんなりんごを食べてみても、ち

っとも美味しいと感じられなくなってしまいました。

もしも、あの時母が売ってしまった父の時計を探しだし、

もう一度買い戻して母の墓前に供えることが出来たら、

またりんごを美味しくいただけるようになるかもしれません。


もちろん、あの空腹の時代に食べた母のりんごほど

美味しいりんごを食べられることは、もう二度とないでしょうけれども。

この時計は、あれからずいぶん長い間探していますが、

未だ見つけることができていません。


もしも、貴店にこの時計がありましたら、どうか、ご連絡をお願いします。

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手紙を読み終えた店主は、熱くなった目頭を押さえながら

時計たちの棚を振り返った。


色が変わりかけたりんごが一切れ、皿の上で甘い香りを漂わせている。

あの福々しい顔をした大企業の社長に、こんな過去があったとは。

店主は、残ったりんごをフォークで突き刺して口の中に放り込むと、

甘酸っぱい汁を堪能しながら、ひとつの時計を取りだした。

こんなに美味しい味がわからないなんて可哀想に。

店主は、大切にテーブルの上に置いた時計の表面を、

柔らかな布で優しく拭いた。


そして、手紙にあった電話番号を確認すると、

傍らの電話からゆっくりと受話器を取り上げた。


あの社長がまたりんごを美味しいと思える日も、

そう遠くないかもしれない。