目覚まし時計を止めた後、二度寝したのが失敗だったな。

淳雄は少し焦りながら、駅までの道を急いでいた。

近道しようと人気のない神社を横切って走りだした時、つま先が何かを蹴った。

弧を描いて跳ね上がったそれは、ボンッと音を立てて破裂し、中から煙が出たかと思うと、神主の格好をしたサルが現れて言った。

「ご主人さま!」
淳雄は急いでいたことも忘れて目を丸くした。

聞けばこのサル、実はこの神社の神様だったが、あまりに職務怠慢だったため、大神様に叱られて、瑪瑙(めのう)の中に閉じ込められたんだという。

そしてこの瑪瑙を蹴り上げてくれた人の願い事を3つ叶えるまでは元の姿には戻れないのだと説明をした。

淳雄は、そういえばここの神社にお参りしてもあまりご利益はなかったなあと思ったが、どうやらこれから3つの願い事を叶えてもらえることになったらしい。

ただし、願い事には条件があった。

それは、淳雄が頭の中で、“具体的に”思い描けることだけしか

叶えられないというものだ。

なるほど、大金持ちになりたいとか、イイ男になりたいなどという漠然とした願いごとでは駄目ということか。

淳雄はちょっと考えて、試しに、もう間に合うはずのないいつもの通勤電車に乗ることを願ってみた。

自分にしか見えないという元神様のサルを連れ、淳雄がホームに着いたちょうどその時、遅れていた電車が到着した。

どうせならばもう少し難しい願い事をすれば良かったと後悔しながら、淳雄は次の願い事を口にした。

「会社に着いたら社長に呼ばれて突然ボーナスを貰えるといいなあ」

サルがこくりと頷いて、淳雄が会社に着くと、待ち構えていた社長が満面の笑みで淳雄の名を呼んだ。
社長室で分厚い封筒を渡された淳雄は「理沙子のことは決して口外しないように」と耳打ちされて、ようやく事情を理解した。

先週末の同窓会で仲の良かった同級生の理沙子が

社長の愛人であることを知ったのだ。

もちろん、口外などする気はさらさら無かったが、理沙子の方が社長に喋ったのであろう。

最後の願いごとは良く考えてから口にしなければ……と目をつぶった淳雄は、半ば無意識に最近まともに会話さえしていない妻の顔を思い浮かべていた。

昔は必ず先に起きて朝食の仕度をし、きちんと化粧も済ませてから笑顔で起こしに来た妻だったのに、今や朝食はおろかベッドから起きてさえこないのだ。
思わずため息をついて、「ああ、妻が10年前のままだったら良かったのになあ」と呟いてはっとした。

振り返るとサルがこっくりと頷いて煙のように消え、コロンとひとつ、小さな瑪瑙が転がった。

どうしてもっと良く考えて素晴しい願い事を思いつけなかったのだろう?と淳雄はまた後悔した。

それでも、今日帰ったら10年前の可愛い妻が笑顔で出迎えてくれるのだと思うと、そわそわとして仕事が手につかなくなるのだった。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。