残暑の厳しい9月のある日、俺は突然リストラされた。

独り身ではなかったから、本当ならば慌てて次の仕事を探すべきだったのだろうが、

少ないながらも退職金が出たのと、

年上の妻がパートで結構な給料を貰っていたのをいいことに、

しばらくぶらぶらと遊んで暮らした。

北風の冷たい11月のある日、暇つぶしに競馬をしてみた。

たまたま買った馬券が当たり、3ヶ月分の給料に近い額をあっという間に手に入れた。

が、これがいけなかった。

俺はすっかりギャンブルにはまり、競馬、競輪、競艇、パチンコと、

ギャンブル漬けの日々を送った。

ビギナーズラックが長く続くわけもなく、時々儲けることもあったが、

退職金はみるみる減っていった。

クリスマスソングが流れる12月のある日、朝起きると妻がいなくなっていた。

書置きから家出だと知って驚いた。

最近の俺の有様では、妻が家出したくなるのも当然だったが、

俺にゾッコンだった妻が出て行くなどとは、想像もしていなかったのだ。

俺は思いつく限りの場所を全て探したが、妻の消息はわからなかった。

大晦日になっても妻は戻らず、居場所を見つけ出すことも出来なかった。

その夜自棄酒を飲んで眠った俺は、なんとも不思議な夢を見た。

白い髭をはやした爺さんが俺の枕元に立って、こんな事を言ったのだ。

「おまえは夏にリストラされて、嫁さんに出て行かれたろう。

このままではお前の命も長くないぞ。

一人寂しく死にたくなければ、今すぐギャンブルを止めて、まともな仕事を探しなさい。

一生懸命働けば、嫁さんも戻ってきて、子を持つこともできるじゃろう」

俺は、目が冷めてからもはっきりと憶えている夢を不思議に思い、

見たこともない爺さんが自分のことを見通しているのを気味悪く感じた。

飲みすぎて幻覚を見たのだろうか?

それとも、これが初夢のお告げというものなのだろうか?

あの爺さん、このままでは俺の命が長くないと言ってたなあ。

そういえばここしばらく胃の辺りがむかついている。

胃癌にでもなるのだろうか?

俺は雑煮も無い寂しい新年を迎えながら、妻と子のいる暖かい家庭と、

独り寂しくベッドに横たわる自分を交互に想像した。

ギャンブルと酒に身を浸した時間は、まだそれほど長くはない。

元のまっとうな生活に戻すのは今しかない。

俺は独りのベッドで死んでいく自分をもう一度想像して身震いした。

ベッド脇のチェスとに転がったままの目覚まし時計を久しぶりにセットして、

明日からはちゃんとした生活をしようと心に誓った。

その夜俺は、また、きのうと同じ爺さんの夢を見た。

「早起きしようとはなかなかよい心がけじゃ。

明日起きたら掛け時計の裏を見てみなさい。

貼り付けてある封筒の中に金が入っておるから、それで正月らしいものでも食べなさい」

目が覚めてすぐ掛け時計の裏を探ると、爺さんの言った通り封筒が貼ってあった。

不思議な爺さんのことを、もう酔いが見せた幻覚だとは思わなかった。

顔を洗って髭をそり、服を着替えてコンビニに行った。

買ってきた餅を焼いて食べると、少し正月らしい気分になった。

神社に出かけると、境内は家族連れで賑わっており、妻のことが強く思い出された。

お参りをして、妻の帰宅と、良い仕事が見つかることを祈った。

それからの俺は、ギャンブルを一切止めて、自炊できちんと食事を取り、

一生懸命職探しをした。

寒さが厳しい2月のある日、必死で探した甲斐があり、

条件の良い職に就くことが出来た。

前の仕事より向いていたのか、仕事にもすぐに慣れて、

職場の仲間とも上手く馴染んだ。

久しぶりに心地良く眠りに落ちたその夜、またあの爺さんが現れた。

「よく頑張ったな。

今の生活を続ければ、独り寂しく死んでいく可能性も消えるだろう。

胃の不快感も無くなっておるじゃろう。

まあ、もう少しお前の様子を見ていることにしよう」

目が覚めた俺は、そういえば、以前より胃がすっきりしていることに気づいた。

それからも爺さんは時々枕元に現れ、俺を叱ったり励ましたりした。

太陽が眩しい7月のある日、俺は再就職して初めてのボーナスを手にした。

俺はすっかり生活を正した自分の姿を、妻に見てもらいたいと思った。

もし妻の居場所がわかれば、すぐにでも迎えに行きたかった。

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「先生、本当にありがとうございました」

モニターから流れる夫の寝言を聴いて、女は嬉し涙を流した。

「夫がリストラされてギャンブルに走った時にはどうしようかと思いましたが、

先生にご相談して本当に良かった」

女は大きく膨らんだおなかをさすりながら続けた。

「夫があんな様子のままでは、この子が出来たことを告げることもできませんでしたもの。

それにしても、先生が発明した目覚まし時計型催眠装置は

なんて素晴らしいんでしょう!

寝言で近況を報告させながら、睡眠中に催眠術をかけるなんて……」

「いやいや、ワシの方こそ、この装置の実験に協力してもらって感謝しておるんじゃ。

予想以上の成功に満足しておるよ」

白い髭を撫でながら、博士は嬉しそうに微笑んだ。

「さて、最後の催眠をかけるとするか」

博士がマイクに向かって語り始めた睡眠時催眠術の言葉が、

目覚まし時計型催眠装置から流れ出した。

「もうすぐ嫁さんが帰って来るぞ。

普通の体じゃない嫁さんを大切にするように。

これからは家族3人で幸せに暮らせるじゃろう……」