「また声をかけられてたの?みんな冬子のこと一体いくつだと思ってるのかしら?」
待ち合わせの駅前に来るなり、知美が大きな声を出した。

先ほどの様子を全部見られていたらしい。

私は曖昧に笑いながら知美の腕を取った。

「おなか空いちゃったわ、早く何か食べに行きましょうよ!チーズのたっぷりのったピザなんてどう?」

「あーあ、どうして冬子みたいに美人でお金持ちで頭が良くて、しかもいくら食べても太らない女がいるのかしら?神様って不公平だわ!」

大げさに頬を膨らませてふざける知美を見ながら、神様は本当に不公平だと思った。

私にだけ、こんな試練をお与えになるのだから……。

私は、この世の中の全ての人間に与えられていたはずのものを、ある日突然取り上げられた。

あれからどれくらい時が流れたのだろう?

過ごした時間を数えることさえ、いつしかすっかり諦めてしまった。

大武将を父に持ち、“姫”と呼ばれていた頃の遠く霞みつつある記憶……。

若くして逝った夫を見取り、実力者の求婚を退けた後、尼となって神に近く過ごすことを決めたのだった。

けれど……

切り落としたはずの長い髪が、翌朝目覚めると豊かに波打っていた。

何度切っても髪は一晩眠ると元に戻った。そしてそのうち、目覚めると元に戻るのが髪だけではないことに気付いた。

それは、何度目かの剃髪で指を切ってしまった時のこと。

深い傷口からは真っ赤な血が吹き出たはずだったのに、一晩眠って起きてみると……。

私の体に起った異常が、周知のこととなるまでにそれほど時間はかからなかった。

次々と成長し老いていく人々の中で、ただ私ひとりだけが、変わることも老いることもできなかった。

長い長い時間が流れる中で、何度眠り何度目覚めても、昨日と全く変わらない私。

その苦悩に耐えかねて、自らの命を絶とうとしても、翌朝が来ればまた、私は元通り、そこに居た。

知る人が皆寿命尽きて、ひとりも居なくなってしまっても、私だけが何も変わらないまま、坦々と生き続けた。

時が流れ、時代が移り変わる中で、変わることも死ぬことも出来ない私は、思いつく限りの試みをした。

何をしても傷つかない体を玩具のように玩び、危険で無謀な冒険を続けたこともあったし、何ヶ月も何もせず、ただじっとそこに居るだけの時を過ごしたこともあった。

けれど、目立つことをすれば回りに異常を騒ぎ立てられることになったし、「何もしないこと」は「死」という憧れの境地とは全く違うことを思い知らされて止めた。

有り余る時間を勉学や研究に費やし、こんなことになってしまった原因を解明しようともした。

それでも、様々な知識がいたずらに増えるばかりで、目的は決して果たせなかった。

この経験で得た学問の知識と研究の成果は、人を介して有識者や研究者の手に渡した。

そのいくつかは、世の中の進歩と発展に貢献しているに違いない。

それがいつかめぐりめぐって、私をこの境遇から解放してくれる手助けになることを願って止まない。

一度だけ、燃えるような恋をして、もう一度夫を持ったこともあったが、子供を宿すことは出来ず、何十年たっても全く老いない私を不審がった夫から三行半をつきつけられた。

それ以来、本気の恋はしていない。

長い長い、長い時の流れる中で、私はある悟りを持った。

それは、その時代時代の中で、もっとも“普通”に属する生き方を選ぶことだった。

この容貌は、もともと神に授かったものだから変えられないし、こういう事情だからちょっとした蓄えは持っている。

これだけ生き続けているのだから、知識が豊富になるのも止められない。

そして、いくら食べても太れないのは、傷が治ってしまうことと同じ。

それを、今の時代の友人達は皆、知美と同じように羨み、「神様は不公平」だと言う。

本当に、神様は不公平。

もしもこんな境遇を誰かと代わることができるならば、いつでも代わってあげるのに……。

「太りそうだから止めておくわ」

2切れ残したピザを私に勧めた後、知美が窓の外を指さした。

「さっきは突然の夕立で驚いたけど、見て、あんなに綺麗な虹が出てる」

知美の指差す方向、濡れた窓ガラスの向こうには、美しい空が広がっていた。

夕焼けのオレンジが飲み込む少し手前に青空が残っていて、そこに綺麗な虹がかかっている。

目を細めて眺めながら、強い羨望が沸き起こる。

虹があれほど綺麗なのは、わずかな時間で消えてしまうから。

もしも、あの虹が、いつまでも消えることなくずっと空にかかっていたとしたら……。

人の命も空の虹も、儚いからこそ美しい。

私もあの虹のように儚く消えることができたらどんなに……。

それでも、私は、前を向いて、生き続けていくより仕方がない。

神様の不公平を嘆いてみたところで、何も変わりはしないのだから。

いつかはきっと、“終わり”が来ることを信じて、今を精一杯生きるしかないのだ。

込み上げた涙を知美に悟られないように、努めて明るい声で答えた。

「虹、本当に、綺麗ね」

 

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