俺は悩んでいた。

容姿にも家柄にも経済的にも恵まれていた俺は、

努力することも決して忘れず、さまざまな才能を次々と開花させながら成長した。

小学校学時代に熱中していたサッカーではプロのジュニアユースチームから

誘いがかかったし、高校時代に打ち込んだテニスでは、全国大会入賞を果たした。

学業の成績も優秀で、国内の一流大学を卒業した後、

アメリカに渡って勉強を重ね、MBAを取得した。

だから、と言うわけではないが、これまで女性に不自由したことはないし、

まして、女性の事で思い悩むなど、思いもよらないことだった。

だが、今、俺は心から悩んでいた。

二人の魅力的な女性のうち、どちらを妻に選ぶべきか、で。

つい先日まで結婚を急ぐ気などさらさらなかったのだか、

近いうちに海外赴任することが決まった。

いつ日本に戻れるかわからないので、

この際身を固めて妻と一緒に赴任したいと考えたのだ。

俺にはもう3年以上つき合っている佳寿美という恋人がいた。

佳寿美は、上品な色気のある女性で、

そこに現れただけで場がパッと華やぐような雰囲気を持っていた。

聡明で好奇心旺盛な彼女の話は面白く、

心から楽しそうに笑う佳寿美の笑顔を見ていると、こちらまで楽しい気分になった。

そんな佳寿美は恋人として最高の女性だったが、

華やかで遊び好きな彼女が、妻としてちゃんとやっていけるだろうか?

と考えるとなかなか結婚を決められなかった。

実は、俺には、もうひとり、半年ほど前に知り合って、

何度も会っている女性がいた。

可憐なすみれのような萌は、容姿も仕草もたおやかで、

その柔らかなまなざしで見詰められると、いつも心が安らいだ。

佳寿美と違っておとなしいため、やや物足りなさを感じるところがあるものの、

結婚するには佳寿美より彼女のような女性の方が良いのかもしれない

と思うのだった。

俺は選択に迷いながら両方と付き合い続けた。

そんなある日、萌から突然妊娠を告白された。

俺は動揺したが、これで結婚相手を決定できると心のどこかでほっとした。

佳寿美にもきちんと説明しなくてはと思いつつも、

何かと理由を付けては佳寿美とのデートを断り、会わない時間を長引かせた。

萌との結婚準備を進めながら、時々佳寿美の事を考えている自分に

ハッとして苦笑したが、これで良かったのだと自分に言い聞かせた。

ところが……

結婚のための仕度金と、婚約指輪を渡した翌日、萌が突然居なくなった。

携帯電話も通じなくなり、マンションの部屋も引き払っていた。

実家だと聞かされていた電話番号は、まったくのでたらめで、

萌がどこに行ってしまったのかは完全にわからなくなった。

これまでに大きな失敗と思える経験の無かった俺は、

“詐欺”という二文字が頭をよぎった途端、落胆と怒り、

悔しさと恥ずかしさがないまぜになった

なんとも言えない気持ちに押しつぶされそうになった。

そんな時、結局なんの説明も出来ないままになっていた佳寿美から

電話が入った。

久しぶりに聞く佳寿美の声が懐かしく、思わず涙がこみ上げて、

うっと声を詰まらせた。

いつもと違う俺の様子を不審がって、そちらに行っても良いかと訪ねる佳寿美に

ただ頷いて到着を待った。

着飾ることもしないまま駆けつけた佳寿美を抱いて、

これまでの出来事やずるかった自分の気持ちを全て話した。

「うん、うん」と頷く佳寿美の声がとても柔らかだったことに、

今更ながら気がついた。

―1ヶ月後―

俺と佳寿美は、カリフォルニアに向かう飛行機の中に居た。

普段着でいても華やかな佳寿美のドレス姿は、本当に綺麗だった。

萌のことは、良い経験だったと考え、

高価な指輪も仕度金も授業料だったと割り切ることにした。

警察に届けなかったのは、俺の恥をさらしたくないという

佳寿美の思いやりでもあった。

「私はあなたと一緒に居たいだけよ。婚約指輪なんていらないわ」

そう言った彼女の指には、シンプルな結婚指輪だけが輝いている。

佳寿美が妻として不的確かもしれないなどと、一度でも疑ってしまったことを

心の中で深く詫びた。

青い空がまぶしいカリフォルニアに到着し、

俺は新妻の手を取って飛行機を降りた。

降り注ぐ日差しに大きく伸びをしている佳寿美に向かって言った。

「幸せだな」

佳寿美はにっこりと笑って、「私もよ」と答えた。

「ちょと化粧室に行ってくるから待っていてね」

小走りに駆けていく後ろ姿を見ながら、佳寿美の全てが愛しいと感じた。

夫の視線をずっと背中に感じていた佳寿美は、

夫から見えないところまでくると、携帯電話を取り出した。

「もしもし、萌?佳寿美よ。やっとひとりになれたわ。

あなたのおかけですっかり思い通りよ。

大丈夫、ちゃんと警察には届けさせないようにしたから。

浮気性な彼ももう私しか見えていないみたい。

これからはハンサムな男の妻として、こちらで楽しく暮らしていくわ。

あなたもあのお金を元手に再出発したのよね?

もう会うこともないと思うけれど、お互い幸せになりましょう」