私は最近、インターネットオークションにハマっていた。

まだ汗ばむ陽気だった10月の始め、
デパートで見つけた綺麗な色のコートに一目惚れして、
へそくりを貯めた貯金箱をひっくり返した。

主婦になって11年。

自分のための何かを、こんなにも欲しいと思ったのは初めてだった。

けれど、貯金箱の金額は、あのコートに遠く及ばず、
涙を呑んでボーナスを待ち、12月になってすぐデパートに駆け込んだ。
当然、コートはすでに売れて無くなっていた。

ところが、たまたまアクセスしたオークションで同じコートを見つけ、
定価の三分の一の価格で手に入れることができた。

あんなに欲しかったコートを手に入れ、
残ったへそくりを貯金箱に返すことが出来た喜びは、
主婦なら誰でもよくわかると思う。

そして、私はオークションにハマった。

子供の洋服でも、生活雑貨でも、何か買いたいものができると、
最初に必ずオークションを覗き、お店にはその後でしか出かけなかった。

春めいた風が吹き始めた3月、
夫が突然テニスラケットを欲しいと言い出した。

先月移動した部署ではスポーツによる交流が盛んで、
4月には毎年新人歓迎テニス大会を開くのだという。

私は、もちろん、得意のオークションで適当なラケットを探した。

そして、条件にぴったりのラケットを見つけ、
希望通りの価格で落札することができた。

翌日、家事を終え、昼食を済ませてパソコンを立ち上げると、
昨日落札したラケットの出品者から連絡のメールが届いていた。

その名前を見て、息が止まりそうになった。

それは、かつて、命と引き替えにしてもかまわないと思うほど、
強く愛していた男性の名前だった。

同性同名?

一瞬そう考えてはみたものの、滅多にない姓と
文字数の多い名前を持った彼と同性同名の人を想像するのは難しかった。

出品者と交わすメールには慣れていたはずなのに、
今度ばかりはなかなかメールを書くことができなかった。

単語の一つ一つ、語尾の結び方から句読点の位置まで気にしながら、
何度も何度も書き直したあげく、ようやく書き上げた連絡のメールは、

いつもとさほど違わないものだった。

このメールを送信すれば、彼の現在の住所や電話番号がわかる。

そして、私の住所や名前も……。

もっとも、彼とは反対にありふれた名前の私が、
結婚して姓を変えているのだから、彼は全く気付かない可能性も高い。

それでも、もし、メールに何か手がかりになるような言葉を添えれば、
彼も私に気付くかもしれない……

書いたばかりの短いメールをじっと見詰めていると、
私の脳裏に十数年前の甘やかな恋の時間と、
その後の切なく苦しい日々が次々と浮かんできた。

彼と交わしたたくさんの言葉が思い出されて、その時々の気持ちが蘇った。

ひとつひとつの出来事が、それぞれに違った色の強い光を放って、
小さいけれど高価な宝石のように胸の奥で煌めいていた。
いつしか私は、最初のオークションで手に入れたあのコートを着て、
彼に会いに行く自分を想像していた。

想像の中の私は、とても嬉しそうだった。

綺麗な色のコートが春の陽射しに良く映えて、
顔色までもを明るく見せている。

待ち合わせの場所に着くと、
彼は、一番強く惹かれあっていた時の優しい目でにっこりと微笑む。

私は、結婚して幸せにしていることを言おうとするのだけれど、
それよりも一瞬早く、彼の腕が私を抱き寄せ、
その大きな胸に顔が埋もれてしまう。

彼の鼓動を聞きながら、ほんの少しタバコの混じった懐かしい匂いに包まれる。

大きな手が髪を撫でるぬくもりを感じて、こみ上げる快感に身を委ねた。

は…ぁ。

思わず吐息が漏れたその時、

「ただいまー!」

学校から戻った娘の声にハッとして、リアル過ぎる白昼夢から覚めた。

「お母さん、どうしたの?熱でもあるの?顔赤いよ?」

ランドセルを背負った娘が心配そうに顔をのぞき込む。

「何でもないわ、ちょっと暑かっただけ、もう暖房もいらないわね」

「うん、もう春だもんね。今日、帰り道でつくし見つけたよ」

娘はほっとしたように笑ってランドセルを下ろした。

「もう、つくしが?やっぱり、春ね」

娘に向かって微笑みながら、メールの送信ボタンを押してパソコンを閉じた。

おやつを取りにキッチンへ向かうとき、

さっき見つけた胸の奥の宝石たちが、もう一度だけキラリと光った。