<逢いたいよ>

<逢いたいわ>

あれは3ヶ月前のこと。
会社で嫌なことがあって、誰かにちょっと聞いて欲しくて、
いたずら半分でアクセスしたサイトに啓二がいた。

二人が出会ったのは、インターネットのチャットルーム、
いわゆる「出会い系サイト」と呼ばれているところ。

私だって、啓二と出会うまではそんなところで本当の恋ができるなんて全く信じられなかった。

でも、今は違う。

出会いの場所が、たまたまあのサイトだったというだけで、
二人の間の真剣な気持ちは、他の場所で出会った恋人たちと何も変わらないと思っている。

ただひとつ、違っていることがあるとすれば、私たちは、唇ではなく指を使って会話をするということ。

北海道と山口という離れた距離も、私たちには関係がない。

指先が辿るキーボードの文字は、そのままモニターに映し出され、瞬時に彼の元に届く。
そして、彼からの熱いメッセージもまた、遠い距離を越えて私に届く。

<啓二が好きよ、思いっきり抱きつけたらいいのに>

<亮子をこの手に抱きしめて、そのまま時間を止めてしまいたいよ>

カチャカチャカチャ……

静まり返った真夜中の部屋に、キーを叩く音だけが響く。

<逢いたいよ、亮子>

<逢いたいわ、啓二>

<逢いたい、逢いたい、逢いたい、逢いたい……>

********

「啓二、やっと逢えたのね」

目を閉じたままの啓二に話しかける。

何か言いたげに開いた唇をキスで塞ぎ、啓二の頭を胸に抱きしめる。

*********

募る気持ちを抑えきれなくなった私は、クビを覚悟で長期休暇を取り、
啓二に逢いに行くことにした。

突然訪ねて驚かせるつもりだった。

啓二はどんなに喜んでくれるだろう?

ようやく探し当てた家の近くまで来ると、
その玄関から小さな子供の手を引いた女が出ていくのが見えた。

あれは誰?

女の出て行ったドアの前に立ち、チャイムを押すと、
想像していたよりも少しだけ痩せていた啓二がドアを開けた。

「啓二、よね? 私、亮子よ」

啓二は引きつったような顔をして予想外の言葉を放った。

「亮子…… いったい何しに来たんだ?」

驚いたことに、啓二の薬指には、細いリングがはめられている。

「さっき出て行った人、誰?」

「妻と娘…… とにかく、急に来られたりしたら困るんだ。
今日はひとまず帰ってくれよ、またこちらから連絡するから……」

「あんなに逢いたいって言ったじゃない!だから無理をして逢いに来たのよ」

「待ってくれよ、あれはあくまでもネットの中での会話だろう?
あんなの本気にされたって…… 妻がすぐ戻ってくるんだ。
亮子、とにかく今日は帰ってくれ」

指先が紡ぐ言葉はあんなにも優しかったのに、
薄い唇から吐き出される言葉は信じられないほど冷たい。

「いやあ!! そんなことを言うのは啓二じゃない!」

私は、持っていたお土産の袋を振り上げ、啓二の頭めがけて振り下ろした。

そこには、おばあちゃんの畑で取れた、大きなジャガイモが入っていた。

<北海道のジャガイモで作ったポテトサラダは美味しいだろうね>

<亮子の手料理、食べてみたいな>

啓二がそう言っていたから、ポテトサラダを作ってあげようと思っていた。

啓二はどさりと音をたてて、床に尻餅をついた格好のまま、壁と下駄箱に体重をあずけた。
半開きの口は、もう、何も言わなかった。

私は啓二の隣に座って、ずっと見たかったその顔をじっくりと見詰めた。
大きく見開いた目を指でそっと閉じ、口の端から出ているものを服の裾で優しくぬぐった。

「啓二、やっと逢えたのね」

何か言いたげに開いた唇をキスで塞ぎ、啓二の頭を胸に抱きしめる。

<このまま時間を止めてしまいたいよ>

亮子にはそんな啓二の声が聞こえたような気がした。

キーボードを叩くカチャカチャという音と一緒に……。