女は馬鹿なほうが可愛い。

男同士で飲んでいる席で、そんな台詞が出ることは少なくない。

なぜなら、男にとって、馬鹿な女は利口な女よりもずっと都合がいいものだから。

実際、俺もここ1年ほど、馬鹿で可愛い女をひとり、恋人と呼んでいる。

女の名前は美也子、山の手の住宅街に住む品の良い人妻だ。

歳の離れた夫は、最近ヒット商品を連発している大手メーカーの重役だとかで、仕事と外の女の相手で忙しく、家を空けることが多かった。

美也子はなかなかさばけた女で、夫の不貞をなじらない代わりに、ひとりでは使い切れない程の小遣いを与えられ、優雅で退屈な日々を送っていた。

ショッピングにも料理教室にも飽きた頃、たまたま俺と知り合った。

お嬢様学校を卒業し、ロクに仕事もしないまま、金持ちの奥様に納まった世間知らずの女をモノにすることなど、遊び慣れた俺には朝飯前だった。

優しく紳士的に近づき、他愛ない会話で笑わせて、男を感じさせない態度で安心させる。

些細な理由を作っては頻繁に連絡を取り、時間をわきまえることで信頼を得る。

十分に親しくなっても、やや距離を置いた態度で気にかけさせ、女が痺れを切らせ始めた頃合を見計らって、躊躇いがちに一度だけ誘いをかける。

美也子はもちろん、その誘いに乗ってきた。

過剰なほどのリップサービスと一緒に、これまで経験したことのないような時間を与えてやると、もう、美也子は俺の手のひらの上にいるようなものだった。

俺は中堅企業の営業マンで、妻と子を養う必要もある月給は、美也子の小遣いよりずっと少なかった。

けれど、美也子と付き合っている限り、遊ぶ金に不自由はしないし、付き合いが進むうちに、美也子から贈られたいくつもの一流品が身の回りに増えていった。

妻には特別報酬が出たとか、知り合いの商社マンに頼まれて社販で買い物をしてやったなどと、その都度適当な嘘をついた。

普通の女ならおかしいと思うところだろうが、妻は少しぼうっとした女で、人の話を疑うということをあまり知らなかった。

もちろん、その性格が妻選びを決定づけたと言ってもいい。

俺は、結婚しても遊ぶことをやめたくなかったのだ。

もちろん、美也子と付き合いながらも、家族サービスすることは忘れなかった。

会社帰りのデートで待ち合わせた高級ラウンジにも、妻に頼まれた買い物の包みを提げていったし、出張先のホテルでは、美也子の腰に手を回しながら、娘にせがまれたお土産を書いたポケットのメモを確かめたりした。

美人で金持ちで豊満な肉体を持った美也子との、刺激的だった関係も、2年目になるとマンネリ化してきた。

そんな頃、仕事上でちょっとした移動があって、新しい出会いと心境の変化があった。

相変わらずぼうっとして朗らかな妻との関係にはなんら影響がなかったが、美也子と付き合い続けていくのは、だんだん面倒になってきた。

ブランド物の洋服や一流のステーショナリーも、すっかり貰い切った感があったし、一時は溺れていた豊満な肉体にもそろそろ飽きがきていた。

お茶漬けならば毎日でも食べられるが、一流のフランス料理をずっと食べ続けるのはしんどいものだ。

俺は美也子ときれいに別れるために、あれこれ方方法を考えたが、その前にもう少しだけ、自由になる金を手にしておきたかった。

上手い具合に、俺の誕生日が、2週間後に迫っていた。

その日のデートに、俺は時計の針を少し進ませて出かけ、ここのところ腕時計の調子が悪いことを仄めかした。

そして、帰り際、今年の誕生日が仕事で一緒に過ごせないと悲しそうに告げ、当日は離れていても美也子のことを考えながら同じ時間を過ごしたい、と甘えてみせた。

俺は別れの舞台を、去年の誕生日に濃密な時間を過ごした、夜景の綺麗な部屋に設定した。

美也子は俺の思った通り、一流ブランドの時計をペアで買い揃えていた。

これまでにもらった物の中でも特に高額な最後の贈り物だった。

体でたっぷりと愛情確認をした後、突然黙り込んで見せ、急に海外転勤が決まったと嘘の理由で別れを切り出した。

泣き始める美也子の肩を優しく抱いて、二人の思い出が美化されていくよう、いくつものロマンティックな言葉を散りばめた。

頬を伝った涙を唇で受け止め、もう一度ベッドに押し倒した。

美也子の気持ちが落ち着いてきたのを感じて、携帯が鳴った振りをした。

急な仕事を装ってしばらく無言の電話と会話し、放心した様子の美也子に最後のキスをして、先にホテルの部屋を出た。

翌日、箱に入れたままの時計をブランド専門の質屋で現金に換えた。

バカで可愛い女だったな……

手にした数十枚の札束を数えながら、美也子の綺麗な顔を思った。

その足で向ったのは、以前から何度も覗いていた宝飾店だった。

俺は店員を呼んで、すでに選んであった指輪を出してもらうと、プレゼント用に包装してくれるよう頼んだ。

さっきの現金で支払いを済ませ、店を出たときの足取りはとても軽かった。

口笛を吹きたいような気分で携帯を取り出し、暗記している番号に電話した。

「はい、由梨絵です」

電話の向こうから弾んだ声が聞こえると、思わず頬が弛んだ。

やはり、若い女の声には張りがある。

彼女の可愛い声は俺を強く誘った。

「あなたのためにケーキを焼いたの、ね、今すぐに来て!」

前々から根回しをしておいたから、妻には電話だけを入れて、誕生日の夜を由梨絵の部屋で過ごした。

翌朝は社に客先へ直行すると連絡し、由梨絵と昼までベッドでいちゃついた。

夜までずっとそうしていたい気分だったが、仕事の心配をする由梨絵に促され、渋々身支度を整えた。

いつまでも戸口で手を振る由梨絵と別れて歩きだし、今年もなかなかいい誕生日が過ごせたとひとり悦に入った。

バタン。

男が見えなくなるのを確かめて、由梨絵は部屋のドアを閉めた。

「……ったく、何が直行にしておくから大丈夫、よ。しつこいったらありゃしない」

由梨絵はベランダの窓を開け、部屋にこもった男の匂いを追い出した。

「でも……ちょっと甘えてみせただけで、あんな指輪を買って飛んでくるんだから、オジサンって、ホントに馬鹿で可愛い……」

由梨絵はすっかり高くなった陽に、ダイヤが輝く指輪をかざして、面白そうにクスリと笑った。

 

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