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ショートストーリー, 怖い話, 恋するキモチ

<逢いたいよ>

<逢いたいわ>

あれは3ヶ月前のこと。
会社で嫌なことがあって、誰かにちょっと聞いて欲しくて、
いたずら半分でアクセスしたサイトに啓二がいた。

二人が出会ったのは、インターネットのチャットルーム、
いわゆる「出会い系サイト」と呼ばれているところ。

私だって、啓二と出会うまではそんなところで本当の恋ができるなんて全く信じられなかった。

でも、今は違う。

出会いの場所が、たまたまあのサイトだったというだけで、
二人の間の真剣な気持ちは、他の場所で出会った恋人たちと何も変わらないと思っている。

ただひとつ、違っていることがあるとすれば、私たちは、唇ではなく指を使って会話をするということ。

北海道と山口という離れた距離も、私たちには関係がない。

指先が辿るキーボードの文字は、そのままモニターに映し出され、瞬時に彼の元に届く。
そして、彼からの熱いメッセージもまた、遠い距離を越えて私に届く。

<啓二が好きよ、思いっきり抱きつけたらいいのに>

<亮子をこの手に抱きしめて、そのまま時間を止めてしまいたいよ>

カチャカチャカチャ……

静まり返った真夜中の部屋に、キーを叩く音だけが響く。

<逢いたいよ、亮子>

<逢いたいわ、啓二>

<逢いたい、逢いたい、逢いたい、逢いたい……>

********

「啓二、やっと逢えたのね」

目を閉じたままの啓二に話しかける。

何か言いたげに開いた唇をキスで塞ぎ、啓二の頭を胸に抱きしめる。

*********

募る気持ちを抑えきれなくなった私は、クビを覚悟で長期休暇を取り、
啓二に逢いに行くことにした。

突然訪ねて驚かせるつもりだった。

啓二はどんなに喜んでくれるだろう?

ようやく探し当てた家の近くまで来ると、
その玄関から小さな子供の手を引いた女が出ていくのが見えた。

あれは誰?

女の出て行ったドアの前に立ち、チャイムを押すと、
想像していたよりも少しだけ痩せていた啓二がドアを開けた。

「啓二、よね? 私、亮子よ」

啓二は引きつったような顔をして予想外の言葉を放った。

「亮子…… いったい何しに来たんだ?」

驚いたことに、啓二の薬指には、細いリングがはめられている。

「さっき出て行った人、誰?」

「妻と娘…… とにかく、急に来られたりしたら困るんだ。
今日はひとまず帰ってくれよ、またこちらから連絡するから……」

「あんなに逢いたいって言ったじゃない!だから無理をして逢いに来たのよ」

「待ってくれよ、あれはあくまでもネットの中での会話だろう?
あんなの本気にされたって…… 妻がすぐ戻ってくるんだ。
亮子、とにかく今日は帰ってくれ」

指先が紡ぐ言葉はあんなにも優しかったのに、
薄い唇から吐き出される言葉は信じられないほど冷たい。

「いやあ!! そんなことを言うのは啓二じゃない!」

私は、持っていたお土産の袋を振り上げ、啓二の頭めがけて振り下ろした。

そこには、おばあちゃんの畑で取れた、大きなジャガイモが入っていた。

<北海道のジャガイモで作ったポテトサラダは美味しいだろうね>

<亮子の手料理、食べてみたいな>

啓二がそう言っていたから、ポテトサラダを作ってあげようと思っていた。

啓二はどさりと音をたてて、床に尻餅をついた格好のまま、壁と下駄箱に体重をあずけた。
半開きの口は、もう、何も言わなかった。

私は啓二の隣に座って、ずっと見たかったその顔をじっくりと見詰めた。
大きく見開いた目を指でそっと閉じ、口の端から出ているものを服の裾で優しくぬぐった。

「啓二、やっと逢えたのね」

何か言いたげに開いた唇をキスで塞ぎ、啓二の頭を胸に抱きしめる。

<このまま時間を止めてしまいたいよ>

亮子にはそんな啓二の声が聞こえたような気がした。

キーボードを叩くカチャカチャという音と一緒に……。

ショートストーリー, 世にも奇妙な物語, 怖い話

ピンポーン、ピンポーン!

チャイムの音にドアを開けると、そこには響子が立っていた。
頬をわずかに染めながら、興奮気味の声で話し始める。

「祥子ちゃん、朝早くからごめんね、親友のあなたにには一番に知らせたくって……」

こうして響子が訪ねてくるのは、今日でもう5日目、
私は少し悲しくなりながら、5日前に響子のおばさんとした会話を思い出していた。

「祥子ちゃん、響子の様子がおかしいの……
昨日あんなことがあって、ショックだったのはよくわかるけれど、それにしても、普通じゃないの……
おばさん、もう、どうしていいかわらかなくって……。
祥子ちゃん、おばさんを助けて!」

おばさんは涙ぐみながら、響子の異変を訴えた。

本当ならば響子は今頃、新婚旅行でドイツの街にいるはずだった。

響子を幸せの絶頂から突き落とし、こんなふうにしてしまったのは、あの男だった。

青い空が眩しいその日は、響子が新しい門出を飾るのに絶好の美しい日曜日。
真っ白なドレスに身を包んだ響子は、その細い指に光るダイヤモンドリングと同じくらいに輝いていた。

けれど……
式の準備を整えた響子がいくら待っても、あの男はこなかったのだ。

式場側の判断で、招待客には上手く言い訳をして帰し、
それでも、響子はドレスを脱がずに、日が沈むまであの男を待っていた。

下唇をぐっとかみ締めて、ダイヤのリングを見詰めながら……。

響子がダイヤの指輪をそっとはずしたのは、黒い空に丸い月が昇った頃、
警察からあの男についての連絡が入ったあと。

あの男が、前科3犯の結婚詐欺師だったことがわかったから。

響子は、気丈にも、浮かんだ涙をぬぐい去って、ずっと付き添っていた私に言った。

「祥子ちゃん、ありがとう、いろいろと心配をかけてごめんね。
私は大丈夫だから」

大丈夫なはずなどない、とわかってはいたけれど、
それ以上どうすることもできないまま、私は自宅に戻ったのだった。

翌日、響子は朝早くから私の家にやってきて、
偽物だったダイヤのリングを見せながら、こう言ったのだ。

「祥子ちゃん、朝早くからごめんね。親友のあなたには、一番最初に知らせたくって……
昨日、彼からプロポーズされたの」

響子は本当に昨日プロポーズされたばかりのような様子で、私にその一部始終を話し、
話し終えると、軽やかな足取りで帰って行った。

動揺したおばさんがやってきたのは、それからしばらくしてから。

一睡もできないで泣いていたらしいおばさんと響子をともなって、
病院の門をくぐったのは翌日のこと。

診断は、強度のショックによる一過性の記憶喪失だったが、
彼女の精神状態は非常に不安定で、今後どんな症状が出てくるかわからないため、
あまり反論したりせず、穏やかに調子を合わせ、その様子を見守るようにとのことだった。

そして……
こうして響子が偽の婚約指輪を見せにきたのも、今日で5日目。

彼女の時間は、あの男がプロポーズした日の翌日のまま、
止まってしまっているようだった。

私は、涙ぐまないように注意しながら、響子の話に頷いていた。

そこへ、奥から母の呼ぶ声がした。

「祥子ちゃん、祥子ちゃん、大変よ!」

玄関まで私を呼びに来た母は、響子と話している私を見ると目を見開いて後ずさりした。

「祥子ちゃん、あなた、いったい誰と話しているの……? 」

その時、リビングのテレビからは、ニュースを読むアナウンサーの声が聞こえていた。

「今朝未明、東京都多摩川のマンション屋上から女性が身を投げ死亡しているのが発見されました。
女性は一週間前に結婚詐欺の被害に遭っており……」

ショートストーリー, 怖い話

ラベンダーの香りのする湯船に浸かって、浮腫んだ足をマッサージしていると、
細く開けたバスルームの窓から、踏み切りを通過する電車の音が聞こえてきた。

沙代子は、もう十数分もすれば帰宅するであろう夫の顔を思い浮かべた。

沙代子の住むマンションは、電車の駅から徒歩5分の場所にある。
共働きのため、広さよりも利便性を優先した選択は間違っていなかったと思う。

いつも忙しい夫は、最終電車で帰ってくることが多く、沙代子はよくバスルームで夫を迎えた。

沙代子の名を呼びながら、ただいまよりも先にバスルームのドアを開ける夫は、
シャンプーをしている後姿が無防備で色っぽいなどと毎回沙代子をからかった。

泡だらけの髪にシャワーをあて、沙代子が目をつむったまま「お帰り」と言うと、
夫はようやくドアを閉めた。

沙代子がシャンプーを終えて、バスルームから出ようとする時、
ちょうど服を脱ぎ終えた夫が、沙代子をもう一度バスルームに押し戻すことも少なくなかった。

新婚というには無理がある年月を一緒に暮らしていた沙代子たちだったが、
子供がなく共働きのせいか、いつまでも恋人同士のような雰囲気があった。

バスルームで聞く踏切の音は、いつしか夫の帰宅を告げる時報のようになっていたので、
それを聞き逃さないように、沙代子はいつも窓を少しだけ開けて入浴するようにしていた。

今夜も沙代子が窓を細く開けて入浴していると、踏み切りの音が聞こえてきた。

いつものようにシャンプーを始めた頃、背後に人の気配を感じ、沙代子と呼ぶ声が聞こえた。

あっ……!!

沙代子は夫が何か軽口を叩くのを待っていたが、今夜の夫は珍しく何も言わない。

仕方がないのでお帰りと言おうとした時、夫がわっと泣き出した。

夫の泣き声に目を開けた沙代子は、自分が夫と自分を上から見下ろしていることに気づいた。

……!

あの時、シャンプーをしている沙代子の背後にいたのは、
ドアを開けた夫ではなく、窓から侵入した見知らぬ男だったのだ。

2階だからと安心して窓を開けていた沙代子の浴室を、
いつも窺っていた男がいたことに、沙代子は気づいていなかった。

無防備な姿のまま犠牲になってしまった沙代子を抱いて、
いつまでも泣き続ける夫を、沙代子はぼんやりと見下ろすことしかできなかった。

***********

「ねえ、あなた、ここに決めましょう!」

「そうだな、この立地条件なら中古でも悪くないな」

「最寄の私鉄駅は去年から高架上になりまして、
踏み切りによる渋滞もありませんので、お車での通勤でも大丈夫です。
お客様、こんなお値打ちな物件、他には絶対にありませんよ。
是非、お決めになってください」

「よし、ここに決めよう」

「ありがとうございます!それではさっそくこちらでお手続きを……」

***********

「あら?」

新居で過ごす最初の夜、令子が湯船に浸かりながら、夜風を入れようと浴室のルーバーを開けると、
どこからともなく踏み切りの鳴る音が聞こえてきた。

気にせずシャンプーを始めたが、音はまだ続いていた。

「ねえ、あなた!」

令子は気になって夫をバスルームに呼んだが、夫は、
「気のせいだろう、この近くには踏み切りなんてないからね」と軽く受け流し、
「それより、お前、シャンプーしている後ろ姿がなんだか色っぽいな」と令子をからかった。

「やあねぇ」と照れながらも、令子はまんざらでもなかった。

そんな二人を、じっと窺っている目があることに、二人は気づいていなかった。

シャワーの音と二人の話し声にかき消されてはいたが、
浴室にはまだ小さく踏み切りの音が鳴り続けていた。

ショートストーリー, バレンタインデー, 怖い話, 秘密

※このストーリーは、『チョコレートケーキ』と合わせてお読みいただくとよりお楽しみいただけます。

8年前、3か月後に結婚式を控えた若い女性がマンションの部屋で絞殺された。

殺したのは、女性の婚約者と付き合っていた27歳の女だった。

女は殺した女性の耳を切り落とし、
それを入れたチョコレートケーキを焼いて、男に食べさせようとした。

男の通報で警官が駆け付けたとき、
女はケーキの刺さったフォークを持ってへらへらと笑い
部屋には溶けたチョコレートの甘い香りが漂っていた。

検察は女に懲役9年を求刑したが、
裁判では女が心神耗弱と判断されて5年の実刑判決が下りた。

********

「ありがとうございました!」

バレンタインデーが近づくと、店は益々忙しくなる。

彼女は駅前のケーキ店で働いている。

特性チョコレートケーキが人気の店で、この時期は行列が絶えない。

彼女は1日の仕事を終えると、駅ビルで買い物をして、
急いで家に帰り夕食の支度をする。

「ただいま」

夕食が出来上がるのを見計らったように、玄関のドアが開いて声がした。

彼女が去年の秋から一緒に暮らしている慎一だ。

「いい匂いだね」

「今日は寒かったからシチューにしたわ」

彼が脱いだコートをハンガーにかけながら、
彼女は、幸せがこみ上げてくるのを感じていた。

シチューを美味しそうに食べる彼を見ていると、
彼女は辛かったことも苦しかったことも、全て忘れられるような気がする。

3年前、彼女は眠る時間を削ってなりふり構わず働いていた。
お金になる仕事なら、人には言えないようなことだってした。

貯まったお金で整形と豊胸の手術をして、ボイストレーニングを受け、
ウォーキングレッスンやマナー教室にも通った。

依頼してあった探偵から待ち焦がれていた報告が届いたのは、
ようやく準備が整った頃のこと。

そのあと駅前のケーキ店で働き始め、偶然を装って彼と出会った。

見た目から立ち居振る舞いまで、彼の好みは熟知していたから、
親密な関係になるまでに、たいして時間はかからなかった。

ずいぶん遠回りをしたけれど、これで良かったのだと思う。

彼と一緒に暮らせるのなら、昔の自分なんて捨ててしまって構わない。

けれど…… 

皮肉なことに、彼女は毎日チョコレートケーキを売っている。

あの女の耳を思い出さずにはいられない、
甘い香りのするチョコレートケーキを。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー, ハロウィン, 世にも奇妙な物語, 怖い話

※この作品は、『怖い話』の続編です。ぜひ、あわせてお楽しみください。

駅で拾ったタクシーの運転手は、感心するほど礼儀正しく、
車内は清掃が行き届いていた。

こんな田舎の駅でも、いい運転手がいるものなのか。
いや、こんな田舎の駅だからこそ、いい運転手がいるのかもしれない。

俺は、これまでに何度も当たってしまった、たばこ臭い車や、
横柄な態度の運転手を思い出していた。

礼儀正しい運転手は、また運転テクニックも上級で、
振動を感じない静かな車内で、心地よく流れるBGMを聞きながら
すっかりくつろいだ気分になっていた。

昔の女にバッタリ会って、冷や汗をかいた出来事も、
こうして上手くかわした今は、もう過去になりつつある。

清潔なシートに身をゆだね、またうとうとしかかった瞬間、
キキーッという音がして、突然ガクンと身体が揺れた。

何事かと思ったら、フロントグラスの向こうに、
髪の長い女の姿があった。

白っぽい服を着て、雨などもう降っていないのに
なぜか全身がずぶ濡れだ。

「……!!」

あちらの世界からやってきたようにしか見えない女の様子に、
声にならない声が漏れた。

だが待てよ。良く考えてみれば、運転手は急ブレーキを踏んでいる。

……ということは、あの髪の長い女は運転手にもはっきりと見えている
ということだ。

つまり、女は普通の人間に違いない。
少なくとも、この気味の悪い女を見ているのは、俺一人ではない。

ところが……

運転手はブレーキを踏んだまま動こうとしない。

その上、肩を小刻みに震わせている。

「運転手さん、大丈夫ですか?」

俺も怖いが、俺以上に怖がっている運転手に声をかけると、
か細い声でこう答えた。

「お客さん、お迎えが来てしまいました。
ここから先には行けませんよ……」

「何を言ってるんですか?!」

こんなところで放り出されてはたまらない。

後部座席から身体を乗りだして運転手の肩を揺さぶった。

肩を揺さぶりながら、ふと目に入った運転手の身分証には、、
“田中正道”という名前が書かれていた。

「!!!」

その瞬間、昔聞いて、すっかり忘れていた噂がフラッシュバックした。

俺が清算した女が入水自殺したとかしないとかいう噂だ。

当時は「そんなバカな」と笑って聞き流した噂だったが、もしかして……

顔を上げると、髪の長いずぶ濡れの女が、俺の顔を見つめていた。

ふっくらとした唇が、「さあ一緒に行きましょう」と動いて、
細い指輪をはめた白い左手を、にゅっとこちらに差し出した。

「ぎゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………」


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー, ハロウィン, 世にも奇妙な物語, 怖い話

「昨日の雨、本当にすごかったわね。あなたが居なくて怖かったわ。」

可愛く怯える妻は5つ年下で、結婚して3年が経つ。

昨夜は大雨のせいで電車のダイヤも大幅に乱れていた。

「電車も止まっていたし、タクシーもつかまらなくてね……
一人で過ごさせてしまって本当に悪かった」

俺は妻を抱き寄せて優しく言った。

実は、深夜まで他の女の家に居たことになど、
妻はもちろん気付いていない。

《この集中豪雨でタクシー運転手田中正道さん56歳が……》

テレビは、隣町で大雨の犠牲となった不運な人の名を告げていたが、
窓の外には青空が広がり、夏を謳歌するセミの合唱が聞こえている。

「大切な商談があるから今夜も遅くなるよ。」

玄関で手を振る妻にそう告げて家を出た。

商談を成功させ、女の子のいる店で同僚と祝杯をあげ、
明日が早いからという同僚に付き合って店を出た。

「たまには真っ直ぐ帰ってやるか。」

電車に乗って少しうとうとし、はっと気づくと
隣に髪の長い女が座って、同じように居眠りをしていた。

頭を俺の肩にもたせかけて、
開いた襟から白い胸元がのぞいている。

柔らかそうな膨らみが寝息と共に上下して、
ときおり、小さな吐息を漏らす。

頬は赤く染まっているから、少し酔っているのだろう。

うつむき加減の顔に長い髪がかかっているため、
女が美人かどうかはよくわからない。

ただ、女のふっくらとした唇は俺好みで、
女の触れている左側からは、甘い熱が伝わってくる。

「ううん……」と言って女が少し体を動かすと、
豊な膨らみが左腕に当たった。

悪い気はしない。

終点まで乗って行ったところで、どうせそれほど遠くはないから、
タクシーを拾えばいい。

俺は女が起きるまで、この感触を楽しむことにした。

本来であれば下りるべき駅を過ぎ、次の駅が近づいた時、
女が突然顔を上げた。

ゆっくりと目を開いた女は、俺の顔を見てにっこり笑った。

「お久しぶりね」

見覚えのある目は、専務の娘である妻との婚約が決まった時、
清算した女のうちの一人だった。

当時はもっと短い髪だった。

驚く俺に、彼女は続けた。

「あなたが迎えに来てくれるのを、ずっと待っていたのよ」

そう言いながら差し出した左手の薬指には、昔贈った細い指輪が
まだそのままはめられていた。

彼女との関係は、きちんと清算したはずではなかったか?
まさか、俺の結婚を知らなかったのだろうか?

俺は昔の記憶を辿ったが、混乱していて思い出せない。

「ねえ、私たちいつ結婚できるの?」

ほろ酔い気分はすっかり冷めて、嫌な汗が背中を伝った。

……男にとって、これ以上怖い話などあるだろうか?

続編の『タクシー運転手』もぜひあわせてお読みください。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

クリスマス, ショートストーリー, リスタート, 怖い話

「ねえ、あなた、私、お仕事に出てもいいかしら?」

終電で帰宅して、レンジで温めた夕食の皿をつついていると、パジャマ姿の妻が話しかけてきた。

「仕事って……」

結婚して5年、俺の仕事は年々忙しくなる代わりに、昇進も順調で、
妻が生活の心配をする必要のない給料をもらっていた。

「お金に困っているわけじゃないだろう?」

「お友達がね、輸入化粧品の代理店を始めたの。
商品は薬草を原料にしたナチュラルなもので、ヨーロッパではたくさんの人が
使ってるんだけれど、日本にはまだほとんど入ってきていないから、
訪問販売の形をとって、説明しながら売るんですって。
それで、ね、私に、そのお手伝いをしてほしいそうなの……」

「なんだ、化粧品のセールスか。お前には無理だよ、簡単には売れやしない」

広げた新聞に視線を戻し、まだ何か言いたそうにしている妻をさえぎった。

妻はそれ以上何も言わずに休んだので、納得して諦めたものと思っていた。
が、しばらくして、妻がその仕事を始めていたことを知った。

少しいやな気分にはなったが、どうせ僕が会社に行っている間だけのことだし、
大目に見てやることにした。

その日読んでいた新聞には、気味の悪い事件が載っていて、
暗くなってからも一人でいることの多い妻のことがほんの少しだけ心配になった。

**********

「またですかぁ?」

若い刑事が間の抜けた声を出して顔をしかめた。

ここのところ、この管轄では、昼間自宅に一人きりの女性が薬を飲まされ眠っている間に指を切り落とされる、
という気持ち悪い事件が続いていた。

使われた薬はまだ断定できていないが、一時的に記憶を失くす作用があるらしく、
どの被害者も、事件前後の記憶がすっぽり抜け落ちていた。

そんなことで、捜査はなかなか進展しないまま、被害者の数だけが増えつづけていた。

「きっと、頭のイカレタ野朗の仕業だ、行くぞ!」

**********

彼は今夜も遅いようだ。
毎日仕事仕事と言って、一緒に夕食をとることが無くなったのはいつからだったろう?
私は一人で食べた夕食の皿をシンクに運んで、水道の水を出しながら、
あの日のことを考えていた。

あの日、たまたま訪ねたのは、高校時代の同級生の家だった。
昔から何でも自慢するタイプの女性だったけれど、
主婦となってその態度には拍車がかかっていた。

仕事などどうでもいいからすぐに帰ろう、と思った矢先、
彼女が最近ご主人に買ってもらったという指輪の自慢をしはじめた。

どこにでもあるような指輪などちっとも羨ましくはなかったが、
彼女のご主人が結婚記念日をちゃんと覚えていて、
プレゼントを贈っていることが羨ましかった。

指輪を誉めたことに調子づいた彼女は、その後、
自分達がどんなに仲が良くて幸せな暮らしをしているかを長々と話しだした。

吐き気がするほどうんざりとしながら、高校時代にも同じようなことがあったことを
思い出していた。
そして、聞いているうちだんだん、殺意にも似た嫉妬と憎しみの念が沸いてきた。

だから、もう一度彼女を訪ねて……

その後のことは、まるで映画でも見ていたように現実感がなく思えるのはなぜだろう?

すぐに見つかって咎められると思っていたのに、誰も私を疑わなかったから、
私は中毒患者のように、「ソレ」を繰り返している。

もしかしたら、はやく夫が気付いて叱ってくれることを望んでいるのかもしれない。

********

今夜も最終電車になってしまった。
今日は何か忘れていることがあるような気がする。
喉元まで出掛かっている事柄が思い出せないのは、気持ちが悪いものだ。
電車を降り、バスがなくなってしまった自宅までの道のりを歩きだした。

もう12月か、そろそろコートが必要だな。
深夜の歩道は冷え切っていて、足元から這い上がってきた冷気が身を震わせた。
自宅が見えてくると、珍しく、部屋に明かりが点いていた。

明かりのある部屋へ帰るのは、やはり嬉しいものだな、
軽い笑みがこみ上げたとき、なかなか思い出せなかった大切なことを思い出した。

今日は、僕らの結婚記念日だった……。

新婚の頃は、こんなに素晴らしい日を忘れる奴がいるなんて信じられないと思っていたものだが、
こうして当の本人がすっかり忘れてしまうのだから困ったものだ。
僕は自嘲気味にもう一度笑った。

すぐ妻に謝って、週末は久しぶりにふたりで食事にでもでかけよう。
そう考えながら、自宅のドアを開けた。

「お帰りなさい、あなた。ね、見て、今日はツリーを飾ったのよ」
リビングから明るい声がして、さっきまで点いていた明かりが消え、
代わりに点滅するツリーの電飾が光るのがわかった。

リビングの真ん中に置かれた大きなツリーには電飾と一緒にその明かりを反射して
キラキラと光る小さな飾りがいくつもついていた。

「綺麗でしょ、あなた」

「ああ、綺麗だね」

「あなたがそう言ってくれて嬉しい!」

妻はにっこりと微笑んで言ったが、その目は僕を通り越してどこか遠くの方を見ているようだった。

慌てて今日のことを謝ろうと口を開きかけたとき、妻がまたリビングの明かりを点けた。

「!!」

リビングに明かりが点くと、電飾に反射して光っていたのが、
色とりどりの指輪だったことがわかった。

どれも、すべて、指にはまったままの……

僕は言葉を失って、ただその場に立ち尽くした。
妻は、視線を宙にただよわせたまま、にっこりと微笑んでいた。

**********

「あんな大きな家で何不自由なく暮らしている奥様の犯行だったんですねぇ」

若い刑事は首をかしげながら、先日の調書を読んでいた。

「切り取った指をツリーに飾ってたなんて、やっぱりイカレちゃってたんだろうけど、
どうしてそんなことしたんでしょうねぇ?」

「おまえ、ウサギは寂しいと死んでしまう、っていう話を知ってるか?
彼女もきっと寂しかったんだろうなあ。
仕事仕事で結婚記念日さえ一緒に食事できない夫と暮らしているのが」

「亭主元気で留守がいい、っていうんじゃないんですかね?」

「まあ、まだ彼女もいないお前なんかにはわからないかもしれないな」

俺は笑いながらそう言ったが、こんな事件がまたいつ起ってもおかしくないような気がしていた。

たった一つ、救いがあったのは、奥さんを自首させた夫が、
その後、奥さんの好物を持って毎日面会に来ていることだろうか。

彼女はやがて病院に移されることになるだろう。

夫は、精神を病んでしまった彼女が、元の心と笑顔を取り戻すまで
ずっと彼女の傍にいるつもりだ、と言っているそうだ。

このショートストーリーは、ウオッチコレメールマガジン「ブリリアントタイム」に掲載されています。

ショートストーリー, 世にも奇妙な物語, 怖い話

住宅地を抜けると、さっきまでの風景が嘘のように閑散とした景色が広がっている。

まるで、次元の違う世界に来てしまったような錯覚さえ覚える。

いつものところに車を止めさせると、後部座席から降りてあの窓がよく見える場所に立った。

薄闇にかかる空を背景に聴こえてくるのは、ショパンの夜想曲。

開いた窓にかかるレースのカーテン越しに、歌うような旋律を紡ぎ出す彼女の白い指先が見える。

繊細なピアニシモがよく似合う、細く長い指。

私は、その白く細い指を初めて目にした時、これまで感じたことのない感情に襲われた。

有り体に言えば、一瞬で恋に落ちてしまったのだ。

もちろんこれまでに恋をしたことが無かったわけではない。

むしろ、女性に不自由したことは無いといった方が良いだろう。

それでも、わが身のコントロールを失うほどの感情に苦悩したことは、一度としてなかった。

それが、今の私ときたら、光に吸い寄せられる虫のように、あの指が奏でる調べに誘われて、毎夕あの窓を見詰めている。

いつだって仕事を優先してきた私が、ただ、ピアノを弾く彼女の指先を見るためだけに、毎日時間を作っているのだ。
自分でも自

分の行動が信じられないし、人に話せば気が狂ったと思われるかもしれない。

甘い旋律に身を委ねていると、優しく絡む絶妙な装飾音に体を愛撫されているような気分になる。
誘うように、じらすように、癒すように響くピアノの調べ。

言いようの無い快感と疼きが同時に湧き上がってくる。

コーダが宝石のように煌くと、彼女の指がピアノから離れた。

私はようやく我に返った。

あの白い指を私だけのものにしたい……

もっと間近であの旋律を聴き、夢のように踊る指先を見詰めたい。

高ぶる感情は、日を追う毎に増していって、大切な会議の最中にまで、白い指の幻影を見るようになった。

私は彼女にプロポーズをする決心をした。

宝石店で美しいダイヤの指輪を買った。

一点の曇りもなく透明で清楚な輝きを放つこの石は、彼女の白い指によく似合うはずだ。

私の贈った指輪をつけて鍵盤の上を踊る指先を想像すると、喜びに胸が震えた。

いつものように車を待たせ、真っ直ぐに彼女の元へと向った。

いつも佇んでいた場所を抜け、彼女の家の玄関へと進む。

呼び鈴を押すと、ピアノの音が止まった。

招き入れる声に従い、ドアの内に入る。

初めてレースに遮られることなく見た彼女の容姿は、想像を遥かに超えて美しかった。

彼女は、まるで、私が訪ねて来ることを予期してでもいたかのように、穏やかな表情で微笑んだ。

そして、あの旋律と同じくらい優雅な身のこなしで、私を二階へと促した。

衣擦れする長いスカートの裾を追って階段を上がっていくと、ドアの開いた部屋の窓辺には、いつも見ていたあのピアノが置かれていた。

音もなく椅子に座った彼女は、私の方を振り返ると少し微笑んで、夜想曲を奏で始めた。

手を伸ばせば届くところで、彼女の白い指が踊っている。

心地よい旋律に絡めとられて、体が溶けていくような感覚に陥る。

彼女の指が止まったとき、ようやく心を取り戻した私は、急いで指輪の箱を取り出した。

壊れてしまいそうなほど細い指をそっと掴み、ダイヤの指輪をはめながら、当然のようにプロポーズをした。

「結婚して欲しい。これからずっと、私の傍でピアノを弾いていて欲しい」

「ずっと、聴いていてくれるの?」

「もちろんだ。もう離れたくない」

「嬉しいわ」

彼女はにっこりと微笑むと、ダイヤの指輪がピッタリと似合った指を、また鍵盤の上に戻した。

白い指を優しく撫でながら、彼女の唇を奪った。

愛撫する手を指先から腕へ、腕から肩へとゆっくりずらすと、彼女がいつもの旋律を奏で始めた。

滑らかな肌を辿って、私の手が体を滑ると、美しい旋律に彼女の吐息が重なった。

鍵盤の上を細やかに震える彼女の指先と一緒に、ダイヤの光が揺れている。

羽根で皮膚を撫でるようなピアニッシモに陶酔しながら、私の手は彼女の胸から臍へと下りていった。

めくるめく快感の中で、美しい旋律の繰り返しと、優雅に踊る白い指だけが、私に理解できる全てになった。

滑らかな彼女の体の、臍を越え、太ももを越えた先が、空気にフェードアウトしていることさえ、今の私にとってはもうどうでもいいことだった。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー, 怖い話, 秘密

「本当に良い嫁が来てくれた」

そう言いながら、義父は目を細めて私を見る。

今どき珍しいくらいのお嫁さん。

感心な働き者の奥さん。

近所での評判も上々だ。

それも、そのはず。

私はそう噂されるだけのことをもう12年も続けているのだから。

寝たきりの義父を、いやな顔一つ見せないで世話し、
足の悪い祖母に変わって家事全般を行い、
わがままな義妹のクソガキをしょっちゅう預かりながら、
週に3日はパートにも出て、
息子を県下一番の高校に進学させた。

毎日帰りの遅い夫を必ず起きて待ち、温かい食事を出すようにして、
夫の健康管理にも気を配っている。

そう、夫の健康管理は、私がカギを握っているのだ。

だから、12年かけて少しづつ濃い味付けに慣らすことも、
カロリーの高い食事を好ませるようにすることも、
それほど難しいことではなかった。

内臓脂肪をたっぷりとつけた夫は、最近疲れが抜けなくて、
朝がとても辛いと言う。

うふふ。

もう少しだ。

あともう少し我慢すれば、12年間の努力も報われる。

こんな田舎の辺鄙な場所で、一生を終えてたまるものですか。

結婚前はとても優しかった夫の本性が、
実はケチで傲慢なマザコン男だと分かるまでには、3か月もあれば十分だった。

そして、ケチケチと暮らすこの家族が、実は資産持ちだと知るのにも
それほど時間はかからなくって……

「優子さんは本当に良い嫁だ」

お義父さんは私の手を握り、涙ぐまんばかりに感謝する。

義父は、もう長くない。

そして、夫も……。

その日が来たら、私は薬指のこの鬱陶しい拘束をはずし、
十分な資産を手に入れて、新しい人生をスタートする。

それまで、あと、もう少しの我慢……。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー, バレンタインデー, 怖い話, 秘密

「愛してるよ」

耳元に唇を寄せて囁く時の慎一の声は、普段より少しだけ低くなる。

微かに触れた唇の振動が快感になって体の芯まで駆け抜ける。

「あ……」

言いたい事があったはずなのに、口を開くよりもずっと早く体がぴくんと反応するから、
慎一は私の言葉など待たずに、深いところに指を進める。

別の生き物のように動く指先が私の頭を混乱させて、
慎一への不信感も、問い正そうと思っていた事柄もみんな忘れてしまいそうになる。

それでも、わずかに残った理性を振り絞って
言葉を押しだそうとする唇を、慎一の熱い舌が奪う。

強引に押し入り、舐め回し、包み込む濃厚なキスで、漏れ出す言葉が吐息に変わる。

今日も、また、何も聞けない……。

「ごめんな、百合。今日は泊まっていけないんだ」

ワイシャツのボタンを留めながら、こちらを振り返りもせずに慎一が言う。

よそよそしく白いシャツの背中を見ながら、
幸福な時間があっという間に過ぎ去った事を思い知る。

今日は、じゃなくて、今日も、でしょ。

頭の中ではそんな皮肉も言えるのに、口をついてでるのは別の台詞。

「今度はいつ会えるの?」

「最近仕事が忙しいんだ。またこっちから連絡するよ」

そして慎一は、忘れ物にでも気付いたように向きを変えて
私の傍までやって来ると、耳元に唇を寄せて、一段と低い声で囁いた。

「愛しているよ」

私は軽いため息をつき、今度はちゃんと口を開く。

「私も愛してるわ、慎一」

私はみんな知っていた。

今の慎一の「愛してる」に、もうそれほど愛がこもっていないことも、
慎一がこの部屋のドアを閉めてまだ早い夜の街に出た途端、
携帯電話であの女に電話していることも……。

*********

キッチンには甘い香りが満ちている。

バレンタインに慎一へ贈るために、私は特別なチョコレートケーキを作っていた。

私の愛が、どれほど深く大きいかを、慎一にもちゃんとわかって貰わなくてはいけないから。

卵白を泡立てながら、昨夜の事を思い出す。

どうしても慎一に直接問いただすことが出来なかった私は、
慎一の携帯電話を調べて、あの女のことを突き止めた。

高台にある女のマンションの部屋は、この部屋よりも数倍広くて新しかった。

女の部屋に通されてすぐ、私は単刀直入に切り出した。

「慎一さんと別れて下さい」

女は私の顔をまじまじと見詰め、それほど驚きもしない様子で言い放った。

「あら、別れるのはあなたの方なんじゃない?
慎一は優しいからまだあなたのことが切れなかったのね」

そして、私の顔の前で、ダイヤの指輪がはまった左手をひらひらと振って見せた。

よく見ると、広くて新しい部屋の隅には、電化製品の入っていた段ボール箱がいくつも重ねられていた。

私の視線に気付いた女が追い打ちをかけるように言った。

「もう、準備を始めているのよ」

こんなふうに訪ねて来る女がいるというのに、
不安など微塵も感じてい傲慢な笑顔で、女がにっこり微笑んだ。

押さえようの無い怒りと大きな屈辱感と悲しみで、私の頭は混乱した。

咄嗟に、はずしたばかりのマフラーを手にすると、女の後ろに回り込んでその細い首に巻き付けた。

端を両手でしっかりと持ち、全身の力を込めて引っぱった。

女の白い耳たぶが目に留まると、慎一の囁く声が思い出されてマフラーをさらに強く引っ張った。

カチャン。

泡立て器が手からすべって、ふと我に返った。

泡立てた卵白ををつぶさないように、別立てした卵黄を流し込む。

そこにふるった粉をさっくりと混ぜた後、
その中にあの女のしていたダイヤの指輪を放り込んだ。

よく輝く透明な石は、生地に埋もれて見えなくなった。

それから私は、ハンカチに包んだ固まりを取り出し、それも生地の中に入れ込んだ。

昨日はとても白いと感じたはずのそれは、どす黒いような汚い色に変わっていた。

ケーキが不味くなってしまうかしら?

溶かしたチョコレートを加えてかき混ぜるとき、褐色の中に浮き沈みする固まりを見て、
ちゃんと焼けるか気になったけれど、やっぱりそのままオーブンに入れた。

「不味くっても仕方ないわね、悪いのは慎一だもの」

小さく微笑みながら、声に出して言ってみる。

慎一の「愛してる」を聞くのは私の耳だけで十分なのに、
あんな耳にも囁いていた慎一が悪いんだから……。

オーブンから甘く香ばしい香りが漂い始めた。

慎一のためだけの特別なチョコレートケーキが、もうすぐ焼き上がる。

『チョコレートケーキ2018』もぜひ合わせてお読みください。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。