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ショートストーリー, 秘密

白い便箋の文字を見詰めてたまま、希代子は身じろぎも出来ずに立ち尽くしていた。

長い年月を飛び越えて、忘れていたはずの日々が蘇ってくる。
心の奥に仕舞いこんで、鍵をかけてあったはずの記憶が……。

浩太と私は同じ土地で生まれ育った幼馴染だった。
いつも辺りが暗くなるまで、一緒に山や川を駆け回って遊んでいた。

二人がお互いを異性として意識し始めたのは、いつの頃からだったろう?
手をつなぐだけで幸せなとても幼い恋だった。

そんな時間がいつまでも続き、いずれ浩太のお嫁さんになることを、希代子は信じて疑わなかった。
中学を卒業したあの日、浩太が東京に行くと言い出すまでは。

希代子が、自分の周りにあって手の届く幸せだけを見詰めていた頃、
浩太は希代子への恋心と同時に、将来への大きな夢を持ち始めていた。

祖父が連れていってくれた映画を見たのがきっかけだった。

祖父好みの時代劇が、浩太にとって特別面白かったわけではないが、
スクリーンに映し出された主役俳優の圧倒的な存在感には、すっかり目を奪われてしまった。
なんて堂々としていて、男らしく格好いいのだろう。
浩太は自分があの俳優のように、堂々と剣を構え、
この大きなスクリーンいっぱいに映し出されることを想像した。

ふと芽生えた憧れは、日を追うごとに大きく膨らみ、
卒業を迎える頃にはしっかりとした意思となって、浩太の気持ちに根付いていた。
俺は東京に行って俳優になる、と。

それまで希代子に言い出せなかった東京行きを、この日、ようやく切り出した浩太は、
呆然とする希代子に、初めて、まるで大人のような台詞を言った。

「愛してる」

冷たい水が喉を潤し、胃に落ちて染み渡っていくように、
浩太の言葉が、希代子の心に染み込んでいった。
体の芯がじんとして、何かが溢れてくるようだった。

「私もよ」

涙がこぼれてしまいそうで、ぎゅっと目を閉じたまま浩太に抱きついた。

浩太の不器用な指が、希代子の顔をそっと持ち上げ、自分の唇を静かに重ねた。
初めてのキスの味は、とうとう流れだしてしまった涙で、ほんの少ししょっぱかった。

そして、間もなく、浩太は東京に出た。

頻繁にやり取りしていた手紙も、浩太の名前がラジオで聞かれるようになり始め、
少し大人びた顔が雑誌に載るようになった頃から、だんだんと減っていった。

そんなある日、久しぶりに届いた長い手紙には、浩太が始めて主役を得て、
かつてスクリーンで見た大物俳優と共演することが決まったという、喜びの声が綴られていた。

浩太はそのお祝いと記念に、これまで貯めたお金を全部使って、
その大物俳優がしているのと同じ、高級な時計を買ったのだという。

希代子はそこに書かれている聞いたこともないメーカー名とその金額を見て、
浩太がもはや自分とは全く違う世界で暮らしていることを痛感した。

浩太からの手紙はめっきり減っていたが、簡単な近況を知らせる短い手紙がなくなることはなかった。

希代子はその短い手紙に、何倍もの長さの返事を書き、どんどんと忙しくなる浩太の体を気遣った。

田舎にまですっかり普及したカラーテレビで、浩太の姿をよく見るようになると、
希代子はますます浩太と自分が離れていくのを感じた。

けれど、それとは裏腹に、浩太を想う気持ちは強くなっていった。

高等学校を卒業し、働き始めた希代子のことを、デートに誘おうとする男性は多かったが、
希代子はどの男性とも二人だけでは出かけなかった。

けれど浩太は、何人もの綺麗な女優との恋を、噂されるようになっていった。

そして、とうとう、浩太からの手紙が届かなくなった。

それから1年が過ぎて、希代子が現実を受け入れる覚悟をし始めた頃、
浩太と噂があった女優が、二人の婚約を発表した。

希代子は、これまでやり取りしたたくさんの手紙をみんな処分して、
一番熱心に誘い続けていた男性と、初めて二人だけで出かけた。

あれから二十年以上が過ぎた。

優しい夫にも、可愛い子供達にも恵まれた。
希代子は自分の人生に、何の不満も持っていない。

だから、突然届いた手紙に困惑した。

手紙の差出人は、浩太の妻だった。

すでに大物と呼ばれるようになっていた浩太が、
半年前に突然の病気であっけなくこの世を去ったことは希代子も知っていた。

強い悲しみが消えるまでしばらく時間はかかったが、
夫と子供に悟られないよう、普通の生活を維持していた。

それなのに……。

手紙には、浩太の妻が、かつて自分の取った行動を詫びる文章があった。

一緒に届いた小包には、浩太がいつか手紙に書いていた、あの高級時計が入っていた。

この時計にふさわしい役者になるのだと、
がむしゃらに努力していた浩太の、若い笑顔が思い出された。

彼女は、当時恋人と噂され、事実同棲に近い形で暮らしていた浩太が、
国の恋人に宛てて書いていた手紙を、密かに捨てていたのだと告白して詫びた。

そのおかげで自分達は結婚することが出来たし、夫もその生活に満足していたと思っていたけれど、
突然倒れた浩太が病院に運ばれ、朦朧とした意識の中で最後に呟いた言葉に、
自分のしたことの重大さを思い知らされたのだという。

浩太が小さく呟いた名前が、傍にいる妻でも子でもない、「きよこ」という名前だったから。

希代子は堪らなくなって、大きな声をあげて泣いた。
体中の水分がなくなってしまうかもしれないと思われるほど、たくさんの涙を流した。

そして、ひとしきり泣き終えると、ゆっくりと立ち上がった。

優しい恋人として、良き夫として、頼もしい父親として、
彼は自分自身の人生においても、最高の演技をしようとしていたのかもしれない。

そして、そうであるならば、大切なラストシーンで、
その演技を台無しにするようなことがあってはいけない。

希代子は真新しい便箋を取り出して、浩太の妻に宛てて、丁寧に文字を綴り始めた。

自分への気遣いのお礼、今の幸せな家庭の状況、そして、ひとつの嘘、
……いえ、女優になったつもりで語る、浩太と共演するドラマのラストシーンの大切な台詞を。

ご主人が臨終の際で呼ばれたというお名前、「きよこ」は確かに私の名と同じですが、
私達がお付き合いしていた遠い昔、彼はいつも私のことを「きよちゃん」と呼んでいて、
私は、ただの一度も、「きよこ」という名前で呼ばれたことはありません。

希代子は彼の人生が刻まれた腕時計を一度だけ腕にはめて、その重みをかみ締めながら、
この時計もやはり、悲しみに沈んでいるであろう妻の元に送り返そうと考えていた。

ショートストーリー, バレンタインデー, 怖い話, 秘密

※このストーリーは、『チョコレートケーキ』と合わせてお読みいただくとよりお楽しみいただけます。

8年前、3か月後に結婚式を控えた若い女性がマンションの部屋で絞殺された。

殺したのは、女性の婚約者と付き合っていた27歳の女だった。

女は殺した女性の耳を切り落とし、
それを入れたチョコレートケーキを焼いて、男に食べさせようとした。

男の通報で警官が駆け付けたとき、
女はケーキの刺さったフォークを持ってへらへらと笑い
部屋には溶けたチョコレートの甘い香りが漂っていた。

検察は女に懲役9年を求刑したが、
裁判では女が心神耗弱と判断されて5年の実刑判決が下りた。

********

「ありがとうございました!」

バレンタインデーが近づくと、店は益々忙しくなる。

彼女は駅前のケーキ店で働いている。

特性チョコレートケーキが人気の店で、この時期は行列が絶えない。

彼女は1日の仕事を終えると、駅ビルで買い物をして、
急いで家に帰り夕食の支度をする。

「ただいま」

夕食が出来上がるのを見計らったように、玄関のドアが開いて声がした。

彼女が去年の秋から一緒に暮らしている慎一だ。

「いい匂いだね」

「今日は寒かったからシチューにしたわ」

彼が脱いだコートをハンガーにかけながら、
彼女は、幸せがこみ上げてくるのを感じていた。

シチューを美味しそうに食べる彼を見ていると、
彼女は辛かったことも苦しかったことも、全て忘れられるような気がする。

3年前、彼女は眠る時間を削ってなりふり構わず働いていた。
お金になる仕事なら、人には言えないようなことだってした。

貯まったお金で整形と豊胸の手術をして、ボイストレーニングを受け、
ウォーキングレッスンやマナー教室にも通った。

依頼してあった探偵から待ち焦がれていた報告が届いたのは、
ようやく準備が整った頃のこと。

そのあと駅前のケーキ店で働き始め、偶然を装って彼と出会った。

見た目から立ち居振る舞いまで、彼の好みは熟知していたから、
親密な関係になるまでに、たいして時間はかからなかった。

ずいぶん遠回りをしたけれど、これで良かったのだと思う。

彼と一緒に暮らせるのなら、昔の自分なんて捨ててしまって構わない。

けれど…… 

皮肉なことに、彼女は毎日チョコレートケーキを売っている。

あの女の耳を思い出さずにはいられない、
甘い香りのするチョコレートケーキを。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

クリスマス, ショートストーリー, 秘密

シャンシャンシャンシャン……

「この音、良いだろう?」

彼が自慢げに言う。

「すごく、らしいね」

僕は相槌を打ってやった。

最近、この界隈では、コスプレが流行している。

つまり、人間が思い描く姿をそのまま、そっくり真似るということだ。

このシーズンのコスプレといえば、もちろん、サンタクロース。

人間の世界でも、衣装を真似るだけのコスプレをするようだが、
僕たちのコスプレは、当然ながら人間とは違う。

なんといっても、持てる能力が違うのだから。

え? 僕たちは誰かって?

そうだな、あえて言うなら、人間が信じている“神様”ってのに近いかもしれない。

だから、サンタクロースのコスプレをしたら、もちろんプレゼントだって配る。

それも、一生使える宝物だ。

例えばそれは、人間が言うところの「才能」だとか、
「運」とかいう類だといえば伝わるだろうか?

ただし、これはあくまで僕らの遊びの1つだから、
誰にでも平等に、なんてことはしない。

じゃあ誰にプレゼントするのか? だって?

もちろん、気に入った人間さ。

例えば、飛んでいる僕らを見つけてくれた人間とか。

たいていの大人たちは、僕らの姿が見えていても錯覚だと考え、
僕らが見えたと言う子どもの話をちゃんと聞いてやらないんだ。

素晴らしいプレゼントというのは、信じることができる人間に届くものなんだよ。

「そろそろ出かけよう」

赤い服を着て白いひげを蓄えた、
どこからどう見てもサンタクロースにしか見えない彼は、
もうすっかり準備を整えて、きれいな音のするソリに乗っていた。

僕は、人間が言うところのトナカイにしか見えない姿で、
彼の乗るソリをひいて星空に駆け出した。

郊外のある家の窓辺で、小さな男の子とおじいさんが星空を眺めていた。

僕らを見つけた男の子が、指をさして目を見開き、
振り返って「サンタクロース!」と叫ぶと、
おじいさんはにっこり笑って、うんうんと頷いた。

さあて、彼らには、何をプレゼントしようか?

もしもあなたが、信じることのできる人間なら、
クリスマスの前の晩は、夜空を眺めてみるといいよ。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

クリスマス, ショートストーリー, 秘密

「ねえ、たっくん、たっくんはサンタクロースに何をお願いしたの?」

ほらきた!まただ。
ママは先週から何度も僕に欲しい物を聞いてくる。

僕はもう2年生なのに、まだサンタを信じているとママは本気で思ってるんだろうか?

サンタの正体がパパだってことくらい、今どき幼稚園児だって知っているのに。

しかも、僕にはパパがいない。

今年の夏、パパとママは離婚したから。

プレゼントの質問はいつも適当にはぐらかしてたんだけど、何度も聞きな
おされるのも面倒だから、「PS……」とゲーム機名を答えようとしてやめた。

そうだ、ママを少し困らせてやろう。

「自転車!僕、自転車が欲しいんだ。今のよりもっと大きいやつ」

「自転車?そ、そう……」

ママは少し驚いた顔をした後、何か考え込むように頷いて言った。

僕のうちではこれまで、サンタのプレゼントは、朝起きると必ずベッドの所に置いてあった。
わっかのついた最初の自転車を貰ったときだってそうだ。

僕の家はエレベーターのついていないマンションの3階だけど、背の高い
パパなら自転車を運ぶくらいなんでもなかったんだと思う。

もし、ママが僕に謝ってサンタの正体を教えてくれたら、
自転車は取り消して小さなゲーム機を買ってもらうつもりだった。

だけど……。

その夜僕は目をつぶってもなかなか眠くならなかった。
パパとママの喧嘩する声をどきどきしながら聞いていたあの夜のように。

カタン!ズッ……カタ……カチャン。ドンッ!

部屋の外でひきずったりぶつけたりする音がしたと思うと、
ドアが開いて、何かがベッドに近づいてきた。

僕は暗闇の中でこっそり薄目を開けてみた。

そこには、リボンのついた自転車を持ったママがいた。

小さなママがあの大きな自転車をここまで運んできたんだろうか?

ハアハアと大きく息を吐きながら、できるだけ音をたてないようにと必死で頑張っている。

サンタらしい服を着て、顔には大きな髭までつけて。

僕はなんだか鼻の奥がツンとなって、目をぎゅっとつむった。

今僕が見たのは、きっと本物のサンタクロースだと思いながら。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー, 秘密

“謎多き男、グレイヴに群がる美女たち”

「またあなたのことが載ってるわよ」

大げさなタイトルが躍る女性誌を見せながら、亜理紗が悪戯っぽく笑う。

「好きに書かせておけばいい」

「そんなふうだから色々書かれるのよ、
私は本当のあなたを知ってるからいいけれど、少しは……」

記事に、グレイヴのファンには最近人気の某アイドルもいるというくだりを読んで、
表情が曇り始めた亜理紗の口をふさいで、ブラウスのボタンをはずした。

面倒くさい女はこうして黙らせるのが一番だ。

それにしても、面白い世の中になったものだと思う。

ほんの数年前まで、引きこもりのオタクだった俺が、
今や、モデルでも女優でも好きなだけ部屋に呼べる男になったのだから。

幸運の始まりは、遊び半分でWebに上げた自作の曲。
楽器なんて弾いたこともなかったが、パソコンが1台あれば、
どんな音でもつくりだすことができた。

この曲がなぜかネットユーザーの間で話題になり、
ヤフーニュースに取り上げられると、Facebookやツイッターで
瞬く間に拡散して、俺は、新進気鋭のアーティストとして祭り上げられた。

2曲目、3曲目も続けて当たり、ネットでは“神”と呼ばれるようになった。

4曲目が大企業のCM曲としてテレビでも繰り返し流れると、
取材やテレビ出演の依頼も増えた。

スポンサーの絡みで断り切れなくなった取材を、
顔がほとんど隠れる長髪と手足まですっかり覆い隠す衣装で受けた。

取材といっても、元々は引きこもりだ。
これと言って話すこともないので、何を聞かれても曖昧に首を動かして
薄ら笑いを浮かべていた。

ところが、取材相手はプロだ。
記事は、ここまで上手く書くかと驚くほどに仕上がっていた。

その上、この時の写真がおしゃれな見出しで人気女性誌に載り、
俺は〝謎多き男”として若い女性たちからも注目されるようになった。

そして今は……

亜理紗が、トロンとした表情で俺を見詰めている。

長い前髪の間からその目を見詰め返しながら、ゆっくりと左腕を上げ、
指先まで隠していた服の袖をまくった。

そこには、亜理紗の細い手首に巻かれているのと揃いの、
高級時計が着けられている。

亜理紗には、俺が指まですっぽり隠す服を選ぶのは、
この特別な時計を人に見られないようにするためだと教えてあるのだ。

「いつも着けているよ」

亜理紗の耳元でそっと囁いた。

ふたりだけの秘密で愛の証である時計を確認すると、
亜理紗は嬉しそうに目を輝かせ、俺の胸に顔をうずめた。

俺は、亜理紗を引き寄せた右腕にぐっと力を込める。

もちろん、その右腕に、あのアイドルと揃いの高級時計が
巻かれていることなど、亜理紗は全く知らない。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー, 秘密

新人モデルのマイカはとても困っていた。

目の前に置いた強いカクテルを、先輩モデルの美夏が飲み干せと勧めるからだ。

断るわけにもいかないが、飲み干したりしたら
ぶっ倒れて明日の仕事に穴をあけかねない。

もちろん、美夏はそれを分かって勧めているのだ。

うつむいて唇をかんでいると、美夏が言った。

「せっかく作ってもらったのに、失礼な子ね。
仕方ないわ、じゃ、代わりに何か面白いことしなさい」

美夏は店内をぐるりと見渡すと、中年の男性を指さした。

「そうだ、あのダッサいオジサンの着こなしを真似て写真を撮りなさい。
ウフフ…… その写真をブログにアップしたら、飲まなくても許してあげるわ」

そう言いながら反応を想像して笑っている。

意地悪な注文だが、拒否すればもっと意地悪をされるだろう。

マイカは薄手のカーディガンを脱ぐと肩にかけて、
胸の真ん中で袖を結び、にっこり笑って写真を撮った。

まさか、ダサいオジサンを真似て……と書くわけにもいかないので、
こんなコメントを添えた。

“中目黒のバーで見つけたダンディなおじ様を真似てみました”

***

高野は、マイカのブログを見ながらほくそ笑んでいた。

昨晩飲んでいた中目黒の店で、肩にサマーセーターをかけていたからだ。

バブルの頃はこんな恰好してたよなぁ、なんて冗談でやっていたのだが……
まさか、人気上昇中のかわいいモデルが自分を真似て写真を撮るなんて。

高野は部下を呼びつけると、新商品のCMキャラクターにマイカを起用するよう言い付けた。

***

涼子は少しイラついていた。

高野がベッドの中でもまた、マイカの話をしたからだ。

若い女にダンディだと言われたのが、それほど嬉しいことなのか?

でも……嫉妬で感情が高ぶっているせいか、高野の指にいつもより感じる。

アッ……!

翌日の編集会議で、涼子はマイカを専属モデルに起用することを提案した。

高野との関係も最近マンネリ気味だったから、
マイカをカンフル剤にしようと考えたのだ。

***

「こんなスタイルがまた流行るなんて……」

雑誌のページをめくりながら、美夏はため息交じりにつぶやいた。

ほんの数か月前まで、この着こなしは間違いなくダサかったはずだ。

だが、今や、どのファッション雑誌でも、
カーディガンを肩にかけたマイカがにっこりと笑っている。

それどころか、街はカーディガンを肩にかけた若い女の子でいっぱいだ。

ブログに写真を上げてすぐ、食品のCMと、人気ファッション誌の専属契約が決まったマイカは、
カーディガンの肩掛けスタイルをラッキーコーディネートだと言いふらした。

マイカの幸運にあやかろうと、モデルたちは次々と肩にカーディガンをかけはじめた。

マスコミがそれを追いかけ、雑誌が特集記事を組んだ。

「流行は繰り返すっていうけど、本当ね」

雑誌を閉じて美夏がしみじみと言った。

流行は、ちょっとしたきっかけとくだらない理由で生まれていることに、
マイカも美夏もまだ気づいていない。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー, ハロウィン, 秘密

書けない。どうしても、書けない。

前作まではキーボードを打つ指のスピードがもどかしいほど、
次から次へと言葉があふれてきたというのに。

男は、ふうっと大きなため息をつくと、
何時間も座りっぱなしだった椅子から立ち上がろうとした。

ピコン。

その時、着信音が鳴り、モニターの隅に
男のSNSアカウントに届いたメッセージが表示された。

人気作家である男には20万人を超えるフォロワーがいるが、
男がフォローしているのは十数名だけだ。

ほとんどは、オフラインでも付き合いの深い友人知人だが、
ひとりだけ、実際には会ったことのない人物がいた。

アカウント名はPhantomで、年齢も性別も分からない。

男がなぜそんな奴をフォローしているのかと言えば、
たまたま見かけたそいつの投稿があまりにも興味深かったからだ。

友達の少ない奴なのか、フォロワーは男を入れて3人だけで、
フォロー数も10に満たない。

男以外の2人のアカウントは長く動いている様子がないから、
実質的にPhantomの投稿を読んでいるのは、男だけだと言っていい。

メッセージは、そのPhantomからだった。

推理小説のトリックを考えついたので見てほしいというのだ。

男がフォローするほどPhantomに興味を持ったのは、
Phantomがいくつものトリックアイデアを投稿していて、
それがなかなか良くできていたからだ。

Phantomはミステリー好きか、小説家志望なのだろう。

トリックのネタならば、いつものように投稿すれば良いのに、
どうしてわざわざダイレクトメッセージを送ってきたのだろう?

不思議に思いながらも、気分転換になるだろうと思い、男は了承のメッセージを返した。

すると、メッセージ添付で送られてきたのは、
ちょっとした小説並みの量があるテキストファイルだった。

テキストを読み終えた男は、気分を落ち着けるために
深呼吸をしなければならなかった。

Phantomの原稿が予想外に素晴らしくて動揺したのだ。

もちろん、文章は未熟で構成にも甘さがある。

しかし、核となる殺人のトリックには目を見張るものがあった。

緻密な計算と周到な準備に、いくつかの偶然が重ならなければ成しえない殺人ではあるけれど、
ストーリーには整合性があって、リアリティがもの凄い。

殺される3人の男たちの心理描写も秀逸だ。

男はすぐPhantomにメッセージを送り、原稿を編集者に見てもらうよう勧めた。

なんなら男と親しい編集者を紹介してやっても良い。

ところが、Phantomは思いがけないことを申し出た。

このトリックを使って推理小説を書いて欲しいというのだ。

Phantomは、自分が思いついた最高のトリックを
どうしても世に出したいので、男に協力してほしいと懇願した。

もちろん、男は断った。

今は少々スランプだが、素人の考えたトリックで書くなんて
プロとしてのプライドが許さない。

しかし、いっこうに抜け出せないスランプと、
毎日メッセージを送ってきては懇願し続けるPhantomの根気に負けて、書くことを約束した。

Phantomの原案に男の筆が加わった推理小説は、
男の作品の中でも最高と言える出来栄えだった。

原稿を読んだ担当編集者が興奮して絶賛する声を聞きながら、
男の頭には「ゴーストライター」という言葉がよぎった。

出来上がった作品をデータでPhantomにも送って見返りを尋ねたが、
ただ礼を言うばかりで何も要求しなかった。

そして、それきり、Phantomは返信をよこさなくなった。

SNSへの投稿もその日から途絶えたままだ。

出版された小説は、瞬く間にベストセラーとなり、男の最高傑作と評された。

推理小説家として益々人気を高めた男は、スランプからも脱出し、次回作に取り組み始めた。

Phantomと連絡を取ろうと、男は人を雇って調べさせたりもしたが、
結局、Phantomを探し出すことはできなかった。

******

「便利な時代になったもんだよな」

Phantomが仲間に話しかける。

「本当に。誰でもネットで表現活動できるんだからな」

仲間が感心したように言う。

「それにしても、あの小説家、やっぱり凄いな。
これだけ本が売れれば、関係者の誰かが読んで、あの事件の真相に気づくのも時間の問題だ」

Phantomがそう言うと、もう一人の仲間が心配そうに口を開いた。

「あの小説家が疑われたりしないか?」

「大丈夫さ、事件が起きたとき、あの小説家はまだ小学生だ。
いくら小説でトリックを暴いて、事件を詳細に描写していたって疑われることはないよ。
本人はちょっと驚くだろうけど……」

Phantomは笑いながら言う。

「俺たち、もうすぐ見つけてもらえるんだよな?」

仲間が不安そうに尋ねた。

「ああ、きっともうすぐだ。」

白骨になって久しいPhantomが、暗い土の中できっぱりと言った。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー, 秘密

「週末までにあと2キロ落とすって言ったよね?」

亜矢の話を聞き終えるとボクは低い声で問いただした。

亜矢はうつむいたまま、聞こえないくらい小さな声で、
もごもごと言い訳をした。

「何?先輩の送別会?
へぇ、君は僕との約束よりしゃぶしゃぶ食べ放題を選んだんだね。
がっかりだよ」

亜矢は今にも泣きそうな顔をして、
来週まで待ってほしいと懇願した。

「わかったよ、じゃあ、もう1週間待ってあげるから
今度こそちゃんと僕の言うことを聞いて」

亜矢はパッと顔を輝かせて、「はい」と力強く返事をした。

「信じているよ、亜矢」

ボクは優しい声でそう言った。

亜矢はたぶん、来週も痩せはしないだろう。

でも、別にそれでかまわない。
だって亜矢は、静かな低い声で叱られるのが好きなのだから。

亜矢がモニターから消えると、今度は祐子がモニターに映った。

祐子は自分の画面に映っているガテン系イケメンに向かって
1週間の出来事を話している。

ダイエットとは全く関係ない話もずいぶん含まれているが、
女の子の話なんてそんなものだ。

一通り話し終えると、ボクは勢い良く言った。

「おお、よく頑張ったな!」

祐子が嬉しそうな顔をする。
以前よりも目が大きくなって可愛く見えるのは、
頬の肉が落ちたせいだろう。

「祐子は根性あるからな、
俺は最初から、祐子ならやれる!って信じてたぜ」

祐子は頬を赤らめた。

「だけどよぉ、なんつーか、あれだな、
祐子も約束通り痩せられたわけだし、俺とはもう……

ボクの言葉を遮るように、
祐子が「体重維持サポートコース」のボタンを押した。

「ありがとよ!痩せて可愛くなった祐子と
来週も話せると思うとたまんないぜ!」

ボクはそう言いながら、
維持サポートコースの料金はいくらだっけ?
と料金表を見た。

痩せたがっている女の子をイケメンが励ます
この会員制ダイエットサポートクラブは、
ネット回線を使ってリアルタイムの会話ができるのがウリだ。

女性側のモニターには、会員の好み通りに描かれた
アニメのイケメンキャラが映し出されている。

女の子と会話するだけで結構な報酬が貰えるこのアルバイトは、
声優の卵のボクにとって、ありがたい仕事だ。

ただ……

ボクが本当は女だって知ったら、みんながっかりするかもしれないな。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー, 秘密

未来が分かるとか、未来が見える、というわけではないのだけれど、
私には、明日の自分に関するちょっとした予知能力がある。

始まりは幼稚園の頃のこと。

運動会の前の夜、ぐっすりと眠っているとどこからともなく声が聞こえた。

「転んでもすぐ起きて走れば一番になれる」

当日は、本当に、スタートしてすぐ転んでしまい、
泣き出しそうになったときにあの声を思い出した。

慌てて起きて走り出し、1人目を追い抜いたところで、
前を走る子の靴が脱げた。

それでも1番の子を抜くのは無理だと思ったら、
なんと、その子がゴール目前で転んだのだ。

結局、私は、夜中に聞いた声の通り、転んでも1番になった。

その後も、発表会の前の日だとか、友達とけんかしてしまった夜だとか、
明日のことを心配しながら眠りについた夜には必ず、
どこからともなく声が聞こえて、どうするべきかを示してくれた。

いつしか私は、その声の主は、「明日のわたし」だと信じるようになった。

あ、もうこんな時間……

明日は大事な初デートなのに、夜更かししてはお肌に悪い。

でも、何を着ていけばいいんだろう?
やっぱりスカートのがいいかな?
髪の毛はどうしよう?
先輩、お化粧する子はきらいかな?でも、リップくらいは……
うーん……どうしよう?

「先月買ったスカートがかわいいわよ、
明日は暑くなるから髪はポニーテールで、
あなたはかわいいんだから、お化粧なんていらないわ。
でも、ピンクのリップだけならいいかもしれない」

娘はときどきうなされながら、はっきりとした寝言を言う。

幼稚園の頃、一度寝言に答えてやったら、安心した顔で眠ったので、
それからもつい、答えてしまうようになった。

でも、娘ももう中学生だし、
そろそろ寝言に返事するのはやめないといけないかしら?


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー, 可愛い彼女, 秘密

「空から大きな宝石のついた指輪が降ってきますように」

「持ち主の現れない大金を拾いますように」

「人からもらった宝くじが大当たりしますように」

「何じゃこりゃ?!お前はアホか!」

和弥は短冊の願い事を大きな声で読み上げると、呆れた声でそう言った。

玄関には小さな笹竹が立てかけてあり、折り紙で折った船や奴と一緒に、なな子の願い事を書いた短冊が結びつけてあった。

「だって、ホンマにそう願ってるんやもん」

口を尖らせてななこが反論する。

「宝石泥棒が高架を逃げる途中でぽろっと落っことした指輪がたまたま下の道におったうちの頭に落ちてくるかもしれへんし、大金を拾った人の話なんかいくらでも聞くやないか。
宝くじだって、自分ではアホらしいて買えへんけど、誰かにもらったくじが偶然大当たりするっていう事だって、絶対無いとはいえへで!」

「なぁ、ゆうたん」

早口でまくし立てた後、ななこは腕の中の息子に微笑みかけた。

「お前にはかなわんわ」

和弥は、くるくると表情の変わるなな子の顔を見ながら笑いが込み上げてきた。

「あのな、今度、同窓会があるやんか、そん時な、みんな着飾ってくると思うんや。
うちかて新しい服着て指輪つけていきたいなぁって……」

確かに和弥の給料は安いし、祐太郎は生まれたばかりだし、宝くじにでも当らなければ、なな子に指輪など買ってやる余裕はない。

それにしても、空から降ってきますように、はないだろう……。

和弥は笑いながら、「わかったわかった」とななこの頭を撫でた。

「ほな行ってくるで」

和弥はまだ笑みの残る顔でそう言うと、遅番の仕事に出かけて行った。

******

「あんたぁ!なんで死んだん? なな子を置いていかんといて!!

ゆうたんのことはどうすんねん!? アホ! 目開けてえぇぇぇ!」

喉が切れるかと思うほど大きな声で叫んでも、なな子の倍もある大きな体を揺さぶっても、和弥は目を開けてくれない。

「いやや!いやや!いやや!いややあぁぁぁぁぁ;………」

誰がどんなふうに準備をしたのかも思い出せないが、なな子は喪服を纏って、祭壇の前にいた。

黒いリボンをかけられた和弥がなな子に笑いかけている。

「いやや……」

その時、暖かな手がなな子の肩をそっと抱いた。

振り向いたなな子は、その手が差し示す方を見て驚いた。

祭壇に向う喪服の人々の、長い列がどこまでも続き、なな子が見える範囲は、全て悲しみの黒に埋まっていた。

隣の人の胸に顔をうずめて泣きじゃくる女性。

赤くなった目で瞬きもせず、じっと前を見詰める男性。

腰の曲がったおばあさんも、白髪頭のおじいさんも、ぬいぐるみを抱えた小さな子供も、皆心からの悲しみを表しながら、祭壇へと進んでいる。

こんなにも大勢の人が、和弥のために泣いてるんや……。

和弥の死を悼む人々の列は、なな子に慈悲の眼差しを向けながら、祭壇に向って粛々と進んでいく。

どこまでもどこまでも続く長い悲しみの行列……

「和弥……」

なな子が和弥の名を呼ぶと、熱い涙が視界を塞いだ。

「なな子、なな子!」

肩に置かれた暖かな手がなな子の体を揺さぶっている。

「なな子!なな子!」

「そんなに泣いてどうしたんや?」

暖かな手が和弥のものだとわかった時、なな子は辛い夢から覚めた。

「和弥!」

「和弥!好きや!大好きや!うちを置いてどこにもいかんといて!」

なな子は濡れた目と頬のまま、和弥の大きな体に抱きついた。

「どうしたんや?なな子。どこにもいったりせえへんで」

和弥の体のぬくもりをしっかりと確認すると、ようやくなな子は人心地がついた。

「そうや!」

大切なことを思い出してベッドから立ち上がったなな子は、あっけに取られている和弥を残してリビングへと駆けて行った。

引き出しからマジックと短冊を取り出すと、大きな字でひとつだけ願い事を書いた。

<家族三人がずっと元気で暮らせますように!>

玄関に行って、結んであった短冊を全て取り払い、今書いたばかりの短冊をきつく結びつけた。

なな子は、あの夢のおかげで、今ある家族の笑顔こそが、なな子にとっての大きな宝石だと、はっきりと気づいていた。

※このショートストーリーは、隔週金曜配信のメールマガジン「ブリリアントタイム」に掲載されています。