窓の外の良く晴れた空を見ながら、同じ歳の男女3人が語り合っている。
「良く晴れてますなぁ」
「本当に、青い空ですね」
「夏がやってきましたな」
「こんな空を見ていると、“あの頃”を思い出しますなぁ。
あの頃は、本当に忙しかった!」
痩せぎすの男性は、優秀な営業マンとして、
真夏の陽射しの中で外回りをしていた頃を思い出しながら言った。
「そうそう、“あの頃”は本当に忙しかったわ!
でも、今思えば一番充実していたのかもしれません」
色白のふくよかな女性は、2人の子どもを年子で生んで、
育児と家事に追われていた頃を思い出しながら、相槌を打った。
「確かに充実していたよなあ、“あの頃”は。
毎日が希望に輝いていたと言ってもいい」
体格の大きな男性は、大学生をしながら、
予備校講師のアルバイトをしていた頃のことを思い出していた。
予備校きっての人気講師で、学生には不相応なほどの給料を貰い、
かわいい女の子と片っ端からデートしていた。
「“あの頃”は本当に良かった」
3人の男女は、それぞれの思い描く“あの頃”が
全く違った時期であることなど気にも留めずに声を揃えて言った。
そこへ、髪を束ねた若い女性がやってきて、彼らに声をかけた。
「あの頃も良かったと思いますけれど、今だって悪くありませんよ。
ほら、今日のメニューは皆さんのお好きなぶりの照り焼きです」
「ぶりは柔らかくて美味しいんだよなぁ」
「照り焼きは甘いから好きなのよね」
「魚は骨があるから食べさせてくれるんじゃろう?」
3人の男女は、食事が配膳されたテーブルに向き直り、
目の前にあるブリを見た。
“あの頃”のことなど、もうすっかり忘れている。
それでも、食事が終わって暇になればまた、
“あの頃”を思い出し、“あの頃”の話に花を咲かせる。
もう何年も、そんな風に過ごしているのだ。
彼らが口にする“あの頃”は、長すぎるほどの人生の中では、
ほんのわずかな時間でしかない。
それでも、そのわずかな時間の“あの頃”が、彼らに生きる力を与えている。