登場人物

黒田:半年後に定年を控えた初老の刑事。 刑事という仕事に誇りを持っているが、娘を 愛する気持ちはそれ以上に強い。

山崎祐一:天才結婚詐欺師。女を惚れさせる腕は一流。黒田が長年追っているが、まだ捕まっていない。

いずみ:山崎に恋する女性。厳しい父親に育てられた箱入り娘。純粋で可憐だが、芯の強さを持っている。 料理が上手。

刑事A:新人の頃、黒田に教えを受けた中堅刑事。仕事はできるが女好き。

刑事B:刑事Aが指導している新米刑事。刑事Aの良き相棒。

【シーン1】夏の路地

セミの鳴き声がする7月下旬、遠くから山崎を追う刑事AとBの足音が近づいてくる。

刑事A:待て!山崎! おい、お前はそっちからいけ。
刑事B:はい!待てー!!
刑事A:くそっ!逃げられたか。
刑事B:ハア、ハア(※息が上がっている)
刑事A:お前も逃げられたのか?
刑事B:すみません。あと少しだったんですが……
刑事A:ようやくあそこまで追い詰めたんだが……また逃げられてしまったな。
刑事B:山崎のやろう、「新人さん、俺を捕まえようなんて百年早いんだよ」なんて言いながら逃げやがったんですよ。チキショー!
刑事A:新人さんかぁ…… 確かにあいつはベテランだよなぁ。あの黒田さんが長年追ってもまだ捕まらないんだからな。
刑事A:それに、俺がこんなこというのもなんだけど、あいつの騙しのテクニックは天才的なんだよ。
刑事B:天才?
刑事A:ああ、天才結婚詐欺師だ。あれは5年前……俺がまだ刑事になり立ての頃のことだ。
刑事A:優秀な女刑事が黒田さんの捜査チームに入れてほしいと直談判したんだよ。
刑事A:なんでも、親友が山崎に騙されて、貯金も生活費も全部使い果たして、故郷に帰るしかなくなったんだと。
刑事B:ありゃりゃ。
刑事A:もっとも、騙された娘はその後、裕福な実家に戻って見合い結婚したらしい。
刑事A:親御さんは、「こんなことでもなければ娘は戻ってこなかったから、かえって良かったのかもしれない」なんて言ってたそうだよ。
刑事B:へえぇぇ。
刑事A:ただ、女刑事は、「私がおとり捜査をして親友の仇を打ちます!」と言ってきかなかったんだよ。
刑事A:もちろん、黒田さんは、「そんな危険なことはさせられない」と突っぱねた。
刑事A:「こんなにお願いしてもダメですか?」と涙を浮かべる女刑事に、「そうやって感情的になっているときが一番まずいんだ」と言ってね。
刑事B:で、その女刑事はどうなったんですか?
刑事A:「それなら、私一人でやります!」と辞表を叩きつけて、刑事を辞めてしまったんだ。
刑事B:あららぁ。
刑事A:それから、一年がかりで山崎と接触を果たしたんだが……黒田さんには連絡しなかった。
刑事B:へっ? なぜ連絡しなかったんですか?
刑事A:惚れちまったからだよ、山崎に。彼女も山崎に貯金を貢いで、被害者のひとりになっちまった。
刑事B:うへっ。
刑事B:あのぅ、先輩、……その女刑事って、ブスだったんですか?
刑事A:バカヤロー、テメェ、何言ってんだよ!
刑事B:す、すみません。でも、ほら、よくあるじゃないですかあ、仕事一筋で男に対する免疫ができてなかったとか……
刑事A:いいか、よく聞けよ!あの女性(ひと)はブスどころか、刑事ドラマの主演を張れるくらいイイ女だったんだよ。
刑事A:黒髪で目のクリッとした美人でな……胸はバーン!尻はボーン!腰なんてこうキュッとくびれてて……ウヘッヘヘ……
刑事B:先輩、もしかして……?
刑事A:(ハッと我に返って)コホン!とにかく、山崎の騙した女には、ブスなんか一人もいやしないんだよ。
刑事A:銀座のママやら、有名女子大のお嬢様やら、ほんっとにいい女ばっかり騙してやがるんだ、あの、山崎って男は。ちっ、あいつばっかりいい思いしやがって……
刑事A:くっそう、絶対にひっ捕まえてどの女が一番良かったか聞いてやる!
刑事B:えっ?!
刑事A:あ、いや、その……絶対にひっ捕まえてブタ箱で反省させないとな。まだ近くにいる可能性もあるから、捜すぞ!
刑事B:は、はい!

【シーン2】別の路地

※シーン1と同時期。山崎が走り出てきて一息つこうとしたところに黒田が出て来て驚く山崎


山崎:ハア、ハア……よし、ここまでくればもういいだろう。
山崎:えっ? ……誰だ!?
黒田:(ゆっくりと詰め寄りながら)2年ぶりだな。今回はもう諦めてもらおう。
山崎:(息を飲む)!!……。
黒田:どれほどお前に会いたかったことか。俺にはもう時間が残ってないからな。
黒田:山崎、年貢の納め時だ。

【シーン3】警察署内

晩夏(9月上旬)。刑事AとBの会話


刑事B:先輩、今日は涼しいですねぇ。
刑事A:ああ、夏ももう終わりだな。
刑事B:そういえば、山崎を追い詰めた日からもう一か月以上経つんですねぇ。あの時は、黒田さんも足音が聞こえるところまで追い詰めたのに見失ったって……
刑事A:そうだな…… 黒田さんもさぞ悔しかっただろうな。
刑事B:山崎の奴、今頃どこで何してるんでしょうねぇ?
刑事A:そりゃあ、おまえ、またどっかでいい女を見つけてきて、こう、手なんんか握って、ネックレスでもプレゼントしながら、「君のために選んだんだよ」とかクサいセリフ言ってやがるんだよ。
刑事B:その女もやっぱり、可愛い女なんでしょうねぇ。
刑事A:ああ、可愛いに決まってる。
刑事A:その女が、「まあ、素敵!こういうの、欲しかったの」とか言って抱きついて、やわらかい胸がボヨーンときたのを、こう……ああああぁ、こうしちゃいられない、一刻も早く山崎の毒牙からいい女を守ってやらないと!
刑事A:おいっ、なにぼやぼやしてるんだ、聞き込み、行くぞ!
刑事B:は、はい!

【シーン4】喫茶店

※シーン3と同時期。いずみと山崎の会話。


いずみ:まあ、素敵!こういうの、欲しかったの。
山崎:君のために選んだんだ。絶対に似合うはずだよ。
いずみ:でも、誕生日はまだ3か月も先よ、どうして?
山崎:ひと月前の今日のこと、忘れたのかい?
いずみ:ひと月前……? あっ……!
山崎:そう、僕と君は一か月前の今日初めて出会ったんだよ。僕は神様なんて信じちゃいなかったけど、あの日からは少しくらい信じてもいいと思うようになったな。
いずみ:わたしもよ!……わたしね、あの頃…… ううん、とにかく、あなたに出会ってから毎日がとても素敵なの。
いずみ:祐一さんと同じ空の下にいると思うだけでなんだか嬉しくて、まわりの景色に急に色がついたみたいな感じよ。先日もね……(興奮してしゃべっている)
山崎:クスッ(いずみの可愛い様子に思わず笑い、そんな自分に驚く)
いずみ:わ、わたし何かおかしなこと言った?
山崎:いや、なんでもないよ。
いずみ:そういえば…… 祐一さんは、あの時、私のことナンパしようとしたのよね? ほら、図書館であの高いところにあった本を取ってくれた後……
山崎:ナンパだなんて、人聞き悪いなあ。
いずみ:ごめんなさい。
山崎:いや、いいよ、確かにナンパだったな、あれは。いずみがあんまり可愛かったから、声をかけずにはいられなかったんだ。
いずみ:(はずかしそうに)本当はね…… あの時、私、この人と少しお話してみたいな、って思ったの。
いずみ:でも、いつも父から「知らない男の人と話をしてはいけない」って厳しく言われてたものだから……
山崎:わかってるよ。いずみは箱入りお嬢様だもんな。
いずみ:それで祐一さんとはもう話すこともないはずだったのに…… あの後急に目の前が暗くなってしまって……
いずみ:気が付いたら祐一さんの腕の中だったから、恥ずかしくってどうしたらいいかわからなかったわ。
山崎:あのときは僕も本当に驚いたよ。たった今ナンパに失敗したばかりの女の子が、急に倒れかかってきたんだからね。
山崎:でも、ちょっとラッキーだったかな。手も握ってないうちからあんなに密着できてさ。(笑)
いずみ:もう!祐一さんったら!(山崎の肩を叩いて激しく反応する)
山崎:ごめん、ごめん。でも、男ってそういうものなんだよ。困ったもんだよね。
いずみ:すごく恥ずかしかったのに、祐一さんの腕の中がなんだかとても安心だったわ。ほんの少し前にナンパしようとしていた人だっていうのに…… どうしてかしら?
山崎:きっと、運命だったんだよ、僕たちが出会ったのは。
いずみ:運命…… そうね、きっと運命ね。祐一さんと出会えて、私、とても幸せよ。
山崎:僕もだよ、いずみ。こうして君といられて本当に幸せだよ。さあ、行こうか。
いずみ:はい。……あっ……(立ち上がろうとしてふらっとよろける)
山崎:いずみ!大丈夫?(あわてて支える)
いずみ:ごめんなさい、大丈夫よ。ちょっと立ち眩みがしただけだから。

【シーン5】警察署内

秋(10月下旬)刑事AとBが話しているところに黒田がやってくる。


刑事A:お前、なにしてんだ?
刑事B:えっと…… 山崎がこれまでに騙してきた女たちの資料を洗い直してます。
刑事A:そうか、あの日からもう3か月…… お前も刑事らしくなってきたじゃないか。
刑事B:へへ。ところで、先輩、ちょっと聞きたいことがあるんですが、いいですか?
刑事A:ああ、なんだ?
刑事B:さっきからずっと調べてるんですけど、山崎が騙したっていう美人女刑事の資料が見つからないんです。どうして、女刑事の資料はないんでしょう?
刑事A:なんで、あの女刑事にこだわるんだ? ああん?
刑事B:ええっとお……、山崎の手口を調べ直して、次の被害者がでるのを未然に防ごうと……モゴモゴ……
刑事A:それなら、他の女の資料を読んどきゃいいだろう?本当のことを言え!
刑事B:ひえっ。本当は、先輩の好きだったボンキュッボンの美人を拝んでみたくって……
刑事A:バカヤロー!俺は別に、彼女のことを……
刑事B:すみません!
刑事A:まあ、いい。彼女はな、被害届を出してないんだよ。
刑事B:えっ!?
刑事A:それにな、被害届を出してないのは、彼女だけじゃないんだ。一千万以上やられたはずの銀座のママも、俺たちがどんなに説得しても、届けを出そうとしなかった。
刑事B:なぜなんですか?
刑事A:バカヤロー!本気になっちまったからに決まってるだろう。
刑事B:本気……ですか……。
刑事A:ママは言ってたよ。「こんな商売やってるとね、男を本気で好きになるなんて難しいのよ。あの男には、いい夢見させてもらったわ。……被害届? 誰が何の被害にあったっていうの? 私は、恋した男にちょっとお金を貸しただけよ」ってな
刑事B:へえぇぇ~。
刑事A:あいつが騙した女の半分以上が、被害届を出してないんだよ。
刑事B:えええぇ!半分以上も?
刑事A:ああ、中には、今でもあいつのことを待ち続けてる女までいるんだよ。
刑事B:ひええ。
刑事A:この娘なんかなぁ、山形から出てきて、昼も夜も働いて貯めた金をごっそりやられたっていうのによぉ、まだ、山崎のことを信じて待ってるんだぜ。
刑事B:昼も夜も働いた金をごっそりですかぁ。ひどいですねぇ。
刑事A:彼女は言ってたよ。「わだすが山形なまりば笑われねえように喋んねでいだら、「山形弁のイントネーションってたまらなくセクシーだよね」って言ってくれたんさ」なんてな。
刑事B:女のコンプレックスを逆に誉めるなんて、さすがは天才詐欺師ですね!
刑事A:バカヤロー、何感心してんだよ! 彼女は本当に純真そうなめんこい娘でなぁ……
刑事B:先輩、山形弁になってますよお。
刑事A:うるせーなぁ、いちいち細かいこと言うなよ。チキショー山崎の野郎、こんなめんこい娘にもあ~んなことやこ~んなことをやったのかあぁ。
刑事B:せ、先輩、落ち着いてください!
刑事B:(入ってきた黒田に気づいて)あ、黒田さん、おはようございます!
刑事A:おはようございます、黒田さん。
黒田:ああ、おはよう。今日は君たちに頼みたいことがあるんだ。
刑事A:はい、なんでしょう?
黒田:この事件なんだが……君たちは、今日からこっちの事件の捜査に当たってくれないか?
刑事B:へ?く、黒田さん……
刑事A:山崎の捜査はいいんですか?山崎の逮捕にはあんなに執念を燃やして……この夏にはあと少しってとこまで追い詰めたじゃありませんか!
刑事A:僕らだって…… それに黒田さんは定年まであと3か月しか……
黒田:ああ、山崎のことは確かに心残りだが、事件を起こすのは山崎だけじゃないからな。定年までにカタをつけておきたいことが他にもあるんだ。
黒田:君たちにも手伝ってもらえたらありがたい。
刑事A:は、はい…… わかりました。
刑事B:承知しました。お手伝いさせていただきます。
黒田:勝手言って悪いな。
刑事A:いえ、黒田さん、僕たち黒田さんのためならどんな捜査でも喜んでします!(刑事Bに向かって)なっ?
刑事B:はい!
黒田:ありがとう、じゃあ、すぐ聞き込みに行ってくれ、よろしく頼む。
刑事A:はい!
刑事B:はい!
黒田:ふっ……(自嘲の笑い) 俺は刑事失格かもしれないな……。

【シーン6】山崎の部屋(リビング)

初冬(11月上旬)山崎といずみが一緒に夜を過ごした翌朝の会話。


山崎:いい匂いだなあ。
いずみ:祐一さん、お、おはようございます。(少しドギマギした感じで)今、お味噌汁注ぎますね。
山崎:すごいな、これみんないずみが作ったのかい?
いずみ:父がどんなに忙しくても朝食だけはしっかり食べる主義で……ちょっと多すぎたかしら?
山崎:いいや、嬉しいよ。こんな朝食を食べられるのは何年ぶりだろう?ひとりだとどうしても面倒で、コーヒーだけで済ませることが多くてね。
山崎:うーん、うまい!うまいよ、いずみ!
いずみ:ほんとう? 嬉しい!
山崎:俺、卵焼き、ほんとうに好きなんだ。 ……いや、その、こんなにうまい卵焼きはなかなかないね。ミシュランの三ツ星店にだって負けないよ。
いずみ:(とても嬉しそうに)ありがとう祐一さん。……くしゅん!
山崎:いずみ、寒いかい?朝は冷えるようになってきたからなぁ。暖房入れようか?
いずみ:ううん、大丈夫よ。祐一さん……昨日は本当にありがとう。
いずみ:私、あんなにたくさんのバラに囲まれたのは初めてよ。映画の主人公になったみたいな気分だったわ!
山崎:いずみの喜びようったらすごかったもんな。あんなに喜んでくれるんなら毎日でもバラを用意したくなったよ。
いずみ:祐一さんにはほんっとうに驚かされてばかり!私ね、こんなお誕生日が迎えられるなんて夢みたいよ。
山崎:夢?だとしたら、その夢はまだ始まったばかりだね。僕たちにはこれからもっと素晴らしいことが待ってるんだから。
いずみ:私ね、幼い時に母を亡くしてるの。父が男手ひとつで私を育ててくれたんだけれど、躾にはとてもうるさくて……私はずっと父の言いつけを守って過ごしてきたの。
山崎:お父様……いずみのお父様は厳しかったんだね。
いずみ:ええ、厳しかったわ。だから、好きな人ができても父に紹介することができなくて……男の人とも、一度もおつきあいしたことがなくて……。
いずみ:好きな人と過ごす時間がこんなに素敵だなんて知らなかったわ!
山崎:うん。
いずみ:もしかしたらこれからもずっと男の人とおつきあいすることなんてないままって……
山崎:(いずみの言葉を遮って)いずみは、僕と出会うために、これまで誰とも付き合う機会がなかったのさ。僕は厳しいお父様に感謝したいくらいだね!
いずみ:えっ?
山崎:だって、そうでもなきゃ、いずみみたいに可愛い娘に彼氏がいないなんてあり得なかったからね。
山崎:今度、一緒にお父様のところに挨拶に行こう。
いずみ:(返事ができない)……。
山崎:大丈夫だよ、僕は必ず気に入られるから。
いずみ:祐一さん…… 父はね、とても厳しくて怖かったけど、私は父が大好きなの。
山崎:わかってるよ。
いずみ:子供の頃ね……小学校3年生のときだったかしら、夜中に急に熱が出たことがあったの。熱はすぐに下がったんだけど、父ったら、それ以来大好きだった晩酌を一切しなくなってしまったの。
山崎:へえ、どうして?
いずみ:もし、私が夜中にまた具合が悪くなることがあって、その時、お酒を飲んでいたら、運転ができなくて、病院に連れて行くのが遅れてしまうからって……。
山崎:お父様、本当に君が大切だったんだね……
いずみ:それからね、6年生のとき、親子でおにぎりを作る授業があったの。
山崎:うん。
いずみ:みんな、お母さんが来ていて……
山崎:そうだろうね。
いずみ:でも私にはいなかったから、父が仕事を休んで来てくれたの。割烹着をつけて、不器用な手つきで一生懸命おにぎりを作ってくれて……嬉しかった。
山崎:そうか。本当にいいお父様だね。お父様がそんなにも大切に育てたいずみのこと、僕も大切にしなくちゃね
山崎:それにしても、この飯、うまいなぁ。ほら、いずみも一緒に食べよう!
いずみ:う、うん……私、なんだか胸が一杯で……(少し具合が悪そうに)
山崎:いずみ?どうした?
いずみ:なんでもない。祐一さんに美味しいごはんを食べてほしくて、ちょっと張り切りすぎちゃったのみたい。
いずみ:少し横になってもいいかしら?
山崎:そうだね、昨日は僕たちあまり眠っていないしね。ベッドまで連れていってあげるよ、僕の大切なお姫さま。

【シーン7】ベッドルーム

※シーン6のつづき。山崎に聞かれないようこっそり父親に電話するいずみ。


いずみ:もしもし、お父さん?
黒田:いずみ……体の具合はどうだ?
いずみ:はい、大丈夫です。貧血のお薬もちゃんと飲んでるから安心して。
いずみ:おとうさんこそ、何か困ってることない? ごはん、ちゃんと食べてる?
黒田:ああ、大丈夫だ。ちゃんと自炊して食べているよ。いずみのようには作れんけどな。ハハ……
いずみ:お父さん、わたしのわがままを許してくれてありがとう。
黒田:いずみ……
いずみ:……年末には必ずそっちに帰るから。

【シーン8】旅先

冬(12月中旬)、山崎といずみが寄り添って歩いている。


山崎:いずみ、大丈夫かい? ほら、もうすぐだよ。少し遠かったけど、疲れてないかい?
いずみ:平気よ。
山崎:寒くないかい?
いずみ:ううん、ちっとも寒くなんかないわ。祐一さんが一緒だもの。
山崎:いずみ……
山崎:あと少しだからね。この道を抜けたら、目的の場所だよ。
いずみ:ゴホッ……
山崎:いずみ!?(心配して)
いずみ:何でもないわ、祐一さんったら心配性なんだから。
山崎:俺はいずみが…… 大切な人のことはつい、心配し過ぎてしまうんだよ。
いずみ:ありがとう、祐一さん……
山崎:いずみ、ほら、見てごらん!
いずみ:まあ、なんて綺麗なの!こんなに綺麗な夕焼けははじめてよ!
山崎:この夕焼けを、どうしてもいずみに見せたかったんだ。僕が子供の頃に毎日見ていた夕焼けだよ。
いずみ:ここが、祐一さんの生まれたところなのね……。
山崎:そうだよ。ここが僕の故郷さ。東京の大学に出るまで、ずっとここで暮らしていたんだ。何にもない田舎で驚いたかい?
いずみ:ううん、素敵なところ…… 私は東京で生まれて東京で育ったからこんな風景に憧れてたわ。
山崎:子供の頃はよくあの空地で野球したんだ……ほら、見えるかい? あそこに、背の高い木が立ってるだろう。
いずみ:見えるわ、大きな木。
山崎:あの木にもよく登ったなぁ。一番上まで上ると、向こうにあった銭湯の女湯が見えてさ……
いずみ:(笑いながら)まあ、祐一さんったら!
山崎:いずみ、聞いてくれるかい? 僕はね、昔から決めてたことがあるんだ。
いずみ:なに?
山崎:将来、結婚したい女性が現れたら、絶対にこの場所に連れてきて、この美しい夕焼けの中でプロポーズしよう、って……
山崎:いずみ、僕と結婚してほしい。
いずみ:祐一さん?! ……ゴホッゴホ、ゴホッ……
山崎:いずみ!! 大丈夫かい?
いずみ:ゴホッ……大丈夫よ。祐一さん、私、私ね……

【シーン9】夏の路地の回想

※シーン2の繰り返しと続き。追い詰められた山崎と黒田の会話


山崎:ハア、ハア……よし、ここまでくればもういいだろう。
山崎:えっ?……誰だ!?
黒田:二年ぶりだな。今回はもうあきらめてもらおう。
山崎:(息を飲む)!!……。
黒田:どれほどお前に会いたかったことか。俺にはもう時間が残ってないからな。
黒田:山崎、年貢の納め時だ。
山崎:うぅ……。
黒田:山崎…… 実は、お前に折り入って頼みたいことがあるんだ。
山崎:……なんだ?(訝し気に)
黒田:俺は、もうすぐ定年だ。俺が今ここでお前を逃がせば、お前はどこにでも逃げられるだろう?
山崎:……。(息を飲んで黒田の言葉を待つ)
黒田:俺の娘を、騙してほしい。一分の疑いも抱かせないよう、完璧にだ。
山崎:……黒田……?
黒田:もし、やってくれるなら、俺はお前を見逃してやる。
山崎:本当か? ……だが、なぜ……だ?
黒田:娘は……ガンなんだ。あちこちに転移していて、よく持って半年だそうだ。
黒田:あいつの母親もガンで早くに逝っちまってるんだ。
黒田:俺がこんな因果な商売をしているせいで、年頃になっても恋人ひとりつくらないで、俺の世話をしてくれている。
黒田:親の俺が言うのもなんだか、綺麗な娘だ。それなのに、あと、半年だっていうんだよ、娘の命は……
黒田:なあ、山崎、おかしいと思わないか? 山崎、頼む! あいつに女の幸せを味わわせてやってくれ。
黒田:お前が、大勢の女を騙してきたそのテクニックで、あいつを最後の瞬間まで、完璧にだまして夢を見させてやってくれ! そして、最高の幸せの中で死なせてやってほしい。
黒田:成功すれば、お前を逃がして自由にしてやる。なあ、山崎……頼むよぉ。ううっ……。

【シーン10】旅先

※シーン8の続き。いずみの告白


山崎:いずみ…… 何?
いずみ:祐一さん、私ね……私、もう、あまり長く生きられないの。
山崎:なに!?
いずみ:驚かせてしまってごめんなさい。……本当は言わないでおくつもりだったの。でも、祐一さんがあんまり優しいから……
山崎:いずみ……
いずみ:だからそのプロポーズはお受けすることができません。祐一さんには、健康でずっと一緒に生きていける女性が似合うわ。
いずみ:今頃こんなこと言って、ごめんなさい。まさか、プロポーズしてもらえるなんて思ってなかったから…… クリスマスが終わったら一人で父のところに戻るつもりだったの。
山崎:何言ってるんだ! 冗談じゃない、いずみが長く生きられないなんてことがあるか! いずみは僕と……いや、俺と結婚して、これからはずっと一緒に幸せに暮らすんだよ!!
いずみ:祐一さん、ありがとう……
山崎:これからも俺のためにあのうまい卵焼きを焼いてくれよ! 今すぐ、結婚しよう!
いずみ:……。
山崎:なあ、いずみ!
いずみ:……祐一さん、嬉しいわ。でも……もういいのよ。
山崎:もういい?
いずみ:ごめんなさい、私、祐一さんのお仕事のことも、知ってしまったの……
山崎:えっ!? ……いずみ……
いずみ:悩んだわ、とても……。でもね、私、決めたの。残された時間を自分の気持ちに正直に生きようって!
いずみ:私には、祐一さんがどんな人かなんて、関係ない! 祐一さんが私に男の人を心から愛する喜びを教えてくれたんだもの。
いずみ:今、私の傍に祐一さんがいてくれる、それだけが真実よ。
山崎:……いずみ! 俺は確かに悪い男だ。これまでたくさんの女を騙してきたことも認める。だがこれだけは信じてくれ!いずみのことが本当に好きなんだ!
山崎:毎朝おはようって笑ってくれるいずみが俺をどれくらい幸せにしていたかわかるか?
山崎:いずみといると本当に穏やかな気持ちになれたんだよ…… 放したくないよ……俺がいずみを守るから、病気なら一緒に戦えばいい!
いずみ:ありがとう、祐一さん……ゴホッ……
山崎:君のお父さんに会いに行こう! 俺は罪を償って、必ずいずみと結婚する! いずみ、本当に、君を愛してるんだ!
山崎:いずみ、俺と結婚してくれ!
いずみ:祐一さん……ゴホッ、ゴホゴホッ
山崎:いずみ!大丈夫か? いずみ!いずみ!!
いずみ:……ありがとう、祐一さん。私、あなたの妻になるのね……

【シーン11】葬儀場

年末。刑事AとBの会話。


刑事B:先輩……
刑事A:ああ、何も言うな、俺も同じ気持ちだ。
刑事B:驚きました…… 黒田さん、肩をがっくり落として……
刑事A:黒田さんの後ろ姿があんなに小さく見えたのは初めてだよ。娘さんの具合が悪かったことなんておくびにもださないで、ずっと捜査にあたってたなんて……くっ……(涙声になる)
刑事B:でも、黒田さんの娘さん、綺麗でしたね。まるで眠ってるみたいで……
刑事A:ああ、綺麗だったな。
刑事B:こんなこと言ったらおかしいかもしれませんが、なんか、幸せそうな顔に見えましたよ。
刑事A:ああ、俺にもそう見えたよ。
刑事B:不思議ですねぇ。
刑事A:そうだな……
刑事B:黒田さん、あと半月で退職だっていうのに……
刑事A:ああ、神様は意地悪だよな、もう少しくらい待ってくれたって良さそうなものなのに……。
刑事B:ですよね…… 先輩……黒田さん、娘さんの後を追ったりしませんよね?
刑事A:バカヤロー!黒田さんはそんな男じゃないよ。まだ山崎もつかまっていないし、どんなことがあったって、黒田さんは最後の最後まで刑事なんだよ!
刑事B:はい!

【シーン12】葬儀場の裏口

※シーン11と同時期 人気のない場所での黒田と山崎の会話。


黒田:鮮(あざ)やかだったな。やはり、ありがとうと言うべきだろう。娘のいずみはこの上なく幸せそうな表情で死んでいったよ。
山崎:……。
黒田:約束通り、俺はお前を逃してやる。どこにでも好きなところに行けばいい。
黒田:だが、もう、女を騙すのはやめておけよ。俺の部下は優秀だからな、せっかく俺が逃がしてやっても、お前を見つけ出して捕まえてしまうかもしれん。
山崎:くっ……(何か言いかけて口をつぐむ)
黒田:山崎、じゃあな。
山崎:どこにでも行け、かぁ。
山崎:黒田さん、せっかくの好意だけどな、俺にはもうどこにも行くとこなんか無いんだよ。
山崎:それに、俺の仕事はちっとも鮮やかなんかじゃなかったんだ。
山崎:廃業だよ。
山崎:あいつは…… いずみは知ってたんだよ、なにもかも、みんな。
山崎:それに俺は…… 誤算だったよ。
山崎:俺さ、あんたのこと、本気で「お父さん」って呼ぶ覚悟だったんだぜ。笑っちゃうよな……。
山崎:いずみと約束したんだよ、ちゃんと挨拶に行って、必ずあんたに気に入られるからって。
山崎:黒田さん、あんた、もうすぐ退職だろう。その花道を、天才結婚詐欺師の逮捕で飾ってやるよ。
山崎:だから、罪を償って出てきたら、「お父さん」って呼ばせてくれるかい? 
山崎:なあ、いずみ、それでいいよな?