「ご契約、ありがとうございました。それではこれで失礼いたし……」

ピピ!ピピ!ピピ!

男の声に目覚ましの音が重なった。

目を開けるとすぐに辺りを見回したが、部屋には誰もいなかった。

「やっぱり、夢か……」

そうつぶやきながらも、まだどこか腑に落ちない。

夢にしてはあまりにもリアリティがあったから。

と言っても、その内容は夢だとしか考えられないほど、
非現実的でばかばかしい。

時間銀行の営業マンだという初老の男が突然現れて、
俺に時間の貯蓄を勧めるという夢だ。

男によれば、時間もお金と同じように貯蓄ができるらしい。

ただし、時間を貯蓄できるのは、銀行が定める一定基準を満たした
信頼できる人物だけだという。

どういう基準か知らないが、俺は選ばれた人間らしかった。

悪い気はしないので、男の話を大人しく聞いた。

時間貯蓄では、あらかじめ決めた時間を、
日々の睡眠時間から自動的に引き落とせるが、
起きている時間は、貯蓄することができないらしい。

お金の貯蓄と違うのは、睡眠時間から積み立てられた時間は、
解約した際もまた、睡眠時間としてしか使えないところだ。

例えば、10時間分の積み立てを一気に使うと、
深夜2時に寝て3時に起きても、実際には11時間眠っているので、
ぐっすり眠った感じがするらしい。

なるほど、理屈は分かったが、
そんな貯蓄にメリットはあるだろうか?

俺の反応がイマイチなことに気づいた男が、
声の調子を一段落として付け加えたのは、利子の話だった。

貯蓄した時間に付く利子は、0.03%と微々たるものだが、
元本とは違い、起きている時にも使うことができるという。

例えば、間一髪で命拾いした人の多くは、
利子をその瞬間に充てて、危機を避けた時間貯蓄者だという。

なるほど、それなら役だちそうだと、俺は時間積立を契約した。

おかしな夢を見たものだ、と思ったが、しばらくすると、
夢のことは忘れてしまった。

ところが、1年が過ぎたある日、また、あの男の夢を見た。

「わずかなお時間ですが、利子をお預かりしています。
時間が必要になったとき、自由にお使いになってください」

利子は、おおよそ3秒ほどだった。

それからしばらくした昼下がりのこと、
車で街を走っていると、ボールを追った少年が、
目の前に飛び出してきた。

車と少年の距離が近すぎて、ブレーキが間に合わない。

もうダメだ!

そう諦めかけた瞬間、一瞬周りの景色が止まった。

俺は急いでハンドルを切って、本当にギリギリのところで
少年の体を避けることができた。

それはまるで白昼夢のような、ちょっと不思議な体験だった。

その後も俺は、あわやの瞬間を何度か切り抜けたが、
他にとりたてて言うほどのことはない、
平凡で幸せな、80年あまりの人生を全うした。

天国に召されると、どこかで会ったことがある気がする男が、
「お久しぶりです」と握手を求めた後、
「ご覧ください」とモニターを指さした。

映っていたのは、見たことのない外国の街。

男がリモコンを操作すると、その一画がズームアップされ、
体中に巻いた爆弾に、火をつけようとしている男が映った。

あっと息を飲んだその時、爆弾男の背後から忍び寄った若者が、
爆弾男を羽交い絞めにし、続いて機動隊がなだれ込み、
爆弾男は見えなくなった。

ほっと息をついていると、男がこんなことを言った。

「今、爆弾男を取り押さえた若者は、60年ほど前、
あなたの車の前に飛び出してきたサッカー少年のお孫さんです」

サッカー少年?と少し考えて、
間一髪でひかずにすんだ子供のことを思い出した。

「ああ!あの少年の……と言うことは、あなたは……」

俺は昔何度か見た夢のことを思い出した。

「思い出していただけましたか?
実は、これこそが、時間貯蓄の醍醐味なのです。

あなたがコツコツ貯蓄した利子で救われた少年が、
成長して家族を持ち、その家族がまた家族を持って、
その中のひとりが外国の街で、大勢の人間を救いました。

もしもあなたが時間貯蓄をしていなければ、あの少年は事故に遭い、
家族ができることはなく、今救われた人たちも、
どうなったかわかりません。

あなたの3秒の利子は長い時を経てなお、世界を変えているのです」

そうか、そうだったのかと感慨深い気持ちになっていると、
男がゆっくりと付け加えた。

「ところで…… 実は私、そろそろ引退を考えているのですが、
あなたが代わりに、時間銀行の営業マンをやりませんか?」

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