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Happyの予感, ショートストーリー

「ミドリ、ことしもジャカランダのハナがサイタよ」

携帯電話から響く彼の声を聞きながら、去年、その木の下で交わした約束を想って頬が熱くなった。

あの日、彼の真剣な眼差しの向こうには、満開のジャカランダが薄紫色に溢れかえり、青い空を彩っていた。

10年間の長い春に悲しい終止符を打った去年の秋、思い切った休暇を取って旅に出た。

冬に近づく日本を抜け出し、春の日差しが降りそそぐオーストラリアに向かった。

オーストラリアの東海岸地区には、春になると、ジャカランダという薄紫色の美しい花が咲く。

ちょうど日本の桜のような咲き方をするジャカランダには、「落ちた花が肩の上に乗ると幸せになれる」という言い伝えがあると聞いて、どうしても見に行きたくなった。

シドニーからはレンタカーを借りて、ブリスベンへと北上するパシフィックハイウエーを飛ばすつもりだった。

ところが、1時間も走らないうちに、エンジンがおかしな音を立て始め、原因を探る間もなく止まってしまった。

車を路肩に押し寄せて途方に暮れる私に、片言の日本語で話しかけてきたのが、彼。

オーストラリアの空と同じ澄んだ青い目をしていた。

人懐っこい感じのする笑顔は好印象だったけれど、レンタカーを直そうとする試みも、下手な日本語のジョークを言って私を笑わせようとする試みも、あっけなく失敗した。

それでも30分後、私は彼のオープンカーの助手席で、どこまでも続く海岸線と、やっぱりどこまでも続く青空を見ていた。

日本ならば、いくら失恋した後だって、出会ったばかりの男性の車に乗ったりはしなかったはず。

けれど、カラリとしたオーストラリアの空気には、人を疑う気持ちを失くす力があった。

彼と過ごした二週間は、それまでに過ごしたどんな時間よりも充実していて、彼と出会う前の10年間を遠い過去に変えてしまった。

私は人を愛するのに必要なのが、時間ではないことを知った。

そして、帰国を翌日に控えた日、私たちは満開のジャカランダの下で、未来に続く約束をした。

その約束のしるしに、彼は私の薬指に、美しい薄紫色をした翡翠のリングをはめてくれた。

「ミドリがニホンにカエッテも、このリングをみれば、きっとマンカイのジャカランダをオモイダスよ」

と言って。

「ミドリ、はやくボクのところへおいで」

電話の向こうで彼が催促をしている。

携帯を持つ手には、日差しを受けた薄紫色の翡翠が輝いている。

「もうすぐ着くわ、待っていてね」

携帯のスイッチを切ると、レンタカーのアクセルを強く踏み込んだ。

去年と同じ青い空と青い海がスピードを増して流れながら、もっと早くと急かしている。

緩やかなカーブをいくつか通り過ぎ、大きなカーブを曲がりきったところで、やっと、空いっぱいに広がる薄紫色に辿りついた。

満開の花をつけた大きなジャカランダの下には、両手を広げた彼の、人懐っこい笑顔があった。

車を飛び降りてその手の中に飛び込んだ私を、彼は強く抱きしめて、高い高いをするように持ち上げ、ぐるりと大きく振り回した。

満開のジャカランダがすぐ目の前まで迫り、喜びで胸が一杯になった。

片手で私を抱いたまま、薬指から翡翠のリングを抜き取った彼は、ポケットで新しい指輪と交換して、もう一度薬指にはめた。

同じデザインの指輪が光る左手で、私の頬に優しく触れて、

「ヨウコソ、ボクのカワイイおくさん」

と言ってウインクをすると、ゆっくりと滑らせた指で顎の先をくいっと持ち上げ、長く熱烈な、一年分のキスをした。

その時、満開のジャカランダの花がひらりと落ちて、重なった二人の肩の上にふわりと乗ったことにも、もう気づく余裕などなかった。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。