※このストーリーは、「川に降る星(後篇)」です。
年が明けて正月が過ぎ、見たこともないような高額賞金を受け取って、通帳に記載された0の数を数えていると、気が遠くなりそうだった。
お金さえあれば、年末に会った旧友達のように、お洒落をして旅行に行き、悩みごとなどひとつもないように笑いさざめいていられるのだと思った。
銀行の帰り道、たまたま目に入った宝石店に立ち寄ってみた。
以前ならば、そこに宝石店があることさえ気付かなかったかもしれない。
宝石を買うような身なりではない良子を見て、「いらっしゃいませ」と言ったきりこちらを見ようともしない店員に声をかけた。
「このエメラルド、見せていただけませんか?」
店員は、億劫そうな様子を隠そうともせず指輪をショーケースの上に取り出した。
良子は、手に取ったエメラルドを指にはめて目の高さにかざしながら、よそを向いている定員に言ってみた。
「これ、いただくわ」
驚いた顔ではじかれたように近寄ってきた店員の後ろから、店長と思われる男が駆け寄ってきて、店員たちの対応は手の平を返したように丁寧になった。
包装されたエメラルドを受け取った後、店長と店員全員の最敬礼を受けながら表に出た。
良子はわずか15分で、これまでの生活費3か月分にあたる金額の買い物をし、その快感に酔いしれていた。
良子の中で、長い間ずっとせき止められていたものが、音をたてて流れだした。
それからの良子の生活は、目を見張るほど派手になった。
小さな宝石店の店長は、電話一本でいつでも飛んでくるようになった。
もともと整った顔立ちだった良子は、高級な服を身につけ化粧をするようになると、見違えるように若々しく見えた。
年末にはあんなに羨ましく思えた旧友達と会っても、もう気後れするどころか、バーゲンで買った古いデザインのブランドバックを後生大事に抱えている彼女達に憐れみさえ感じた。
そんな生活を続けるうちに、近所や友人達から向けられていた羨望の眼差しはやがて嫉妬の眼差しに変わり、そのうち、軽蔑の色までを浮かべるようになっていた。
それでも、良子は、派手に浪費する生活に溺れ続けた。
冬が終わろうとしているある日、アメリカに行っていた三女が帰国した。
空港に出迎えに行ったすっかり変わってしまった良子の姿を、娘は見つけることができなかった。
「裕子!」
良子を見て驚いた娘は、しばらくの間「ただいま」さえ言えないで絶句していた。
良子の指には大きな宝石がいくつも着けられており、羽飾りのついたカシミアショールの下からは、強い色合いのシルクブラウスが覗いていた。
ピッタリと体に張り付いたロングスカートも、10センチもありそうなピンヒールも、母にはちっとも似合っていない、と裕子は思った。
「おかあさん、その格好……」
「裕子を出迎えるためにお洒落してきたのよ」
宝くじが当ったことは聞いていたが、母がこれほどまでに変わってしまったとは知らなかった。
姉達が心配するのも無理はない、と思った。
裕子も姉達も、母の当選金など、少しも当てにはしなかった。
当選がわかってすぐに、住宅ローンの肩代わりを申し出た良子を、長女は気持ちだけで十分だと断り、マンションを買い与えようとする良子に、次女も、いつか頭金だけ貸してくれれば良い、と返事した。
それは、三姉妹が皆、母がどれほどの努力と苦労を重ねて自分たちを育ててくれたかをよくわかっていたからであり、いくらお金を使っても取り戻せないたくさんの時間を、母が自分達のために費やしてくれた、と心から感謝していたから。
けれど、何かにとりつかれたように浪費し続ける母から、昔の面影が消えていくのを見るのは辛いことだった。
裕子は思い切って母に言った。
「お母さん、その洋服もお化粧もあまり似合っていないよ。孔雀みたいに飾り立てたお母さんより、ジーンズにエプロンで働いていたお母さんの方がずっとずっと素敵だったわ!」
「お姉ちゃんたちも、きっと、同じ気持ちだと思う……もう一度、前みたいなお母さんに戻って!」
瞬間、良子の顔から笑みが消えた。
裕子の真剣な眼差しから目が逸らせないまま、良子の時間は止まってしまった。
良子があらためて見詰めた裕子は、シンプルで上品な格好をしていて、胸元にたった一つだけ、小さなダイアモンドが光を放っていた。
清潔感がただよう裕子の美しさを、とても眩しく感じた。
それに比べて自分ときたら……
良子は自分が身につけているいくつもの宝石が、急にちぐはぐなもののように思えてうつむいた。
良子の中で、轟々と音を立てていた流れは、急速に静かになった。
春風が心地よい夜空の下で、良子はこの数ヶ月の出来事を振り返っていた。
あれほどの大金を手にしたというのに、3人の娘それぞれに、ローンの返済額の半分と、マンションの頭金と、イギリスへの留学資金を無理やり押し付けたら、良子の手元には、わずかな貯金しか残らなかった。
あらためて眺めてみると、短い間に良子が買い漁った宝石たちは、どれも派手過ぎて良子の細い指には似合わないように思えた。
バックの中に無造作に入っている、色とりどりの宝石達を指先でいじりながら、この数ヶ月間で、一生分以上の贅沢をしてしまったわ、と、小さな笑いがこみ上げてきた。
良子はバックの中にある宝石を、その手で掴めるだけ掴むと、空に向って高く高く放り投げた。
真っ黒な空に飛び出した宝石たちは、弧を描いて川の中へと降りそそいだ。
それは、まるで、空から降ってきた星のように、キラキラと煌きながら、水の中へと消えていった。