「ようやく会えたな」
黒田は心の底からほっとした表情で、驚いた顔の山崎を見た。
定年を目前に控えた黒田は、それまでにどうしても山崎を捕らえる必要があった。

山崎は、前科十数犯を重ねながらも、

なかなかその尻尾を掴ませなかった結婚詐欺師だ。
黒田は、この5年間、ことに、ここ数ヶ月は、

山崎を見つけだし自分の手で捕らえることだけを考えて過ごしてきた。
「山崎、年貢の納め時だ。」
黒田はまるで独り言のように呟くと、そのがっしりとした腕に手錠をかけた。

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「なんて素敵な指輪なの!私の好みにぴったりだわ!」
箱を開けた彼女が目を輝かせた。
「君のために選んだんだ、絶対に似合うはずだよ」
「でも、バースデイはまだ3ヶ月も先よ、どうして?」
喜んではみたものの、何でもない日にこんなプレゼントを贈る男を

少し不振に思っているようだ。
「ひと月前の今日のこと、忘れたのかい?」
「ひと月前?…」
彼女は少し考えたあと、またパッと顔を輝かせた。
「あっ…!」
「そう、僕と君は1ヶ月前の今日初めて出会ったんだよ。

僕は神様なんて信じちゃいなかったけど、

あの日からは少しくらい信じてもいいと思うようになったな。」
突然のプレゼント。

大げさで甘い台詞。

どれも俺の常套手段で、テクニックとしては初歩的なものだった。

けれど、彼女のように男慣れしていない娘には十分に効果があった。
うっとりした表情の彼女をそっと抱き寄せ、

瞳をじっと見詰めながらキスをする。

彼女の体の力が抜けていく様子が手にとるようにわかる。

肩を抱いて歩き出す頃には、彼女は俺の言いなりだろう。
悪い男だな。
ほんの一瞬そんな気持ちが胸をかすめるが、これも仕事だから仕方ない。
その日、俺は予定通り彼女と共に一夜を過ごし、

朝のベッドでルームサービスのコーヒーを飲んだ。

彼女は大きな枕に体をあずけたまま、この上なく幸せそうな顔で微笑んでいた。

あの日から二ヶ月、彼女は少し痩せたようだ。

それでも、幸せそうな様子に変わりはない。

俺への愛情で身も心も満たされているのだろう。

因果な商売を選んだと思うこともある。

けれど、これが俺の生き方だ。
今日は、この仕事の仕上げを決行する日だ。

彼女を最高の気分にするようなプロポーズを、ここ何日も考えていたが、
東京生まれで故郷を持たない彼女には、この手を使うことにした。
休日の朝のプラットフォームは、人影もまばらだ。

約束の時間にきちんと現れた彼女の手を引いて電車に乗り込む。

窓際の席に彼女を座らせ、その隣に腰掛ける。

もともと乗客の少ない車内だが、高い椅子の背もたれで遮られた空間は、
彼女と俺だけの小さな世界だ。

控えめに寄り添ってくる彼女の体をぐっと引き寄せ、

女心を満たすテクニックの限りを尽くす。
途中で昼食を済ませ、幾度か電車を乗り継いで、

やっとその田舎の駅に辿り着く。

電車を降り立った彼女は、感慨深げな顔をする。
「ここがあなたの生まれた所なのね」
「そうだよ。君に見せたいものがあるんだ」
彼女を引っ張って小高い丘を登り終える頃には、空がオレンジ色に染まりはじめる。
「綺麗……ね」
俺は、感動した様子で景色を眺める彼女の横顔に向かって言う。
「本当に綺麗だ」
田舎の澄んだ空気が、夕焼けを信じられいくらいに美しく発色させている。

その空をバックに、長い長いキスを交わす。
眼下に広がる麓の町には、ポツポツと明かりが灯りはじめ、

薄闇の中に浮かび上がって煌めいている。
そして、俺は、彼女がずっと待っていた、あの台詞を口にする。
「僕と一緒に暮らして欲しい」
彼女は目を潤ませて、大きくゆっくりコクンと頷く。
決まった。

全てが予定通りだった。

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「鮮やかだったな」
火葬場の煙突から細く立ち上る煙を眺めながら、黒田は山崎に話しかけた。
「やはり、ありがとうと言うべきだろう。

娘はこの上なく幸せそうな表情で死んでいったよ」
山崎は、彼女のことを思うと胸が痛んだ。

まだ22歳という若さだったというのに……。

神様などきっといないに違いない、あんなに純真な彼女が早くこの世を去り、

俺のような人間がのうのうと生きているのだから。
山崎はこの数ヶ月間を回想した。

俺に手錠をかけたあの日、黒田は思いがけないことを言い出した。

「娘を完璧に騙して欲しい」と。

黒田の娘は体中にガンが転移していて、余命いくばくもないのだという。

もちろん、本人はそのことを知らされていなかった。

黒田は、まだ22歳で親の目から見ても美しい彼女に恋人の一人もいなかったのは、

自分が必要以上に厳しく躾て育てたせいだと悔やんでいた。

そして、彼女の残り少ない人生を病院で過ごさせるよりも、

女性らしい幸せの中で終えさせてやりたいと願っているらしかった。
全てを話し終えると黒田は言った。
「おまえの罪を見逃してやるかわりに、娘を完璧に騙して夢を見させてやってくれ。

そして、最高の幸せの中で死なせてやってくれ」
俺は、プロだ。

これまで、狙いをつけて騙せなかった女などいない。
偶然を装った出会いから、綿密な計画を練ったプロポーズまで、

全てが思い通りに運んだ。

彼女は、心から俺を信じ、全身で俺を愛し、完璧な幸福のうちに息を引き取った。
この仕事はこれまでの中でも最高の出来だった。

たったひとつの誤算を除けば……

俺は、いつしか、彼女を本気で愛してしまっていた。
せっかくの交換条件だったが、もうこの商売は続けられない。

これまでの罪も償って出直したいと考えている。

黒田は、定年退職の花道を俺の逮捕で飾ることになるだろう。
天国の彼女はこんな俺を許してくれるだろうか?
初めて買った結婚指輪をポケットの中で撫でながら、

大きくゆっくりコクンと頷く彼女の顔を思い浮かべた。