「はやくおいで……」
彼が呼びかけたような気がしたのは、発車のベルの中で聞いた空耳。
照りつける日差しと、まとわり着くような湿気が苦手で、私は夏が嫌いだった。
あの日、彼と出会うまでは。
ありふれた表現だけれど、日に焼けた浅黒い肌に、真っ白な歯が輝いていて、
にこりと笑ったときに出来る、目じりの細かい皺までが、一瞬で好きになった。
あっさりと恋に落ちた、とてつもなく蒸し暑い夏の日。
「好きです」と思わず口走ってしまったのは、
陽炎が立ち昇るくらい高かった空気の温度に、くらくらしていたからだと思うけれど、
「僕もだよ」と答えてくれた彼の言葉が、空耳じゃないと気付くまでに、
ずいぶん時間がかかったことは、今でもはっきり覚えている。
新幹線が動き始める。
一秒一秒、彼の笑顔に近づいていく。
快適な車内の温度に、窓の外の夏が息をひそめる。
攻撃的な強さの日差しだけが、負けるものかと差し込むけれど、
今の私は、ぜんぜん平気。
また彼と一緒に過ごす、熱い夏が好きになったから。