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Happyの予感, ショートストーリー, バレンタインデー, 恋するキモチ

「私が20代の頃は……」

無意識のうちにそんなフレーズが出るのは、歳をとった証拠だと分かっている。
それなのに、ふと気づくとまた、そんなことを考えていた。

その頃、世の中はバブル景気に沸いていて、
名門女子大の学生だった私たちは、ずいぶんちやほやされたものだ。

電話一本で迎えに来てくれる男友達や食事を奢ってくれる男友達がいるのは当然で、
ゴルフをやってみたいと言ったら、ゴルフセット一式をプレゼントしてくれた男友達までいた。

でも、それは、私が特別だったわけじゃなく、単にそういう時代だったから。

それに引き替え、今はなんて……

視線を投げた机の上には、若い男とのツーショット写真。

半年前から付き合っている一回り年下の彼は、
2年前に大学を出て、就職できないままフリーターをしている。

当然、私を迎えにくる車もなければ、食事に連れて行ってくれるお金もない。

まして、ゴルフなんて、この先一生行けないかもしれない。

それでも、惚れた弱み、年上の哀しさで、私は電車で彼のアパートに通い、
毎晩夕食を作って、バイトから戻る彼を待っている。

今日は2月14日。
世の中はバレンタインデーで、私にとってはバースデイ。

20年前の今頃は、都内のホテルのスイートルームで、
恋人とザッハトルテを食べながら、モエ・エ・シャンドンを飲んでたっけ。

窓から見下ろした夜景が、本当に綺麗だった。
今となっては夢のようにスイートな思い出だ。

彼はここのところ毎日帰りが遅いし、週末も休んでいない。

今夜も遅くなるのだろうか?

「先輩が怪我をしたから、代わりにシフトに入ってるんだよ」
そう言っていたけれど、本当かどうかわからない。

「私が20代の頃は……」なんていう話ばかりする年増の女は、
もうすぐ振られるのかもしれない。

なんだか悲しくなってきて、涙がこぼれそうになったとき、
玄関のドアが勢いよく開いた。

「待たせてごめんな! 一緒に行きたいところがあるんだ」

靴を脱ぎながらそう言うと、急いで私に支度させ、
手を引いて表に出ると、待っていたタクシーに乗せた。

彼とタクシーに乗るなんて、初めてのことだ。

「どこへ行くの?」と訊いても、「着いたらわかるよ」と答える彼は、
昨夜もロクに寝ていないはずなのに、なぜか、とても楽しげだ。

タクシーが着いた場所はあまりにも意外なところで、
私は彼に促されるまま、次の乗り物に乗った。

3分後、私たちは、東京の夜景を見下ろしていた。

「何とかっていうホテルのスイートルームより高いところから
東京の夜景を見せたかったんだ」

彼が毎日深夜まで、休みも取らずに働いていたのは、
私をここに連れてくるためだったのだ。

私は彼にあげるために用意していた包みを開いて、
3つ入ったチョコレートの1つを取って彼に渡した

チョコとチョコで乾杯をして、ふたり同時に口に入れると
チョコレートの甘みと洋酒の香りが口の中に広がった。

最後のひとつを口にくわえて彼の方に差し出すと、
反対側からパクリとかじって、とろけ出る洋酒をこぼさないように
唇をしっかり合わせたままで、甘い舌を絡めあった。

明日からはまたボロアパートで、彼の帰りを待つことになるだろう。
でも、もう、昔を懐かしんだりしない。

だって、今ふたりで見ているこの夜景が、
これまでで最高にスイートな思い出になったのだから。

ショートストーリー, バレンタインデー, 怖い話, 秘密

※このストーリーは、『チョコレートケーキ』と合わせてお読みいただくとよりお楽しみいただけます。

8年前、3か月後に結婚式を控えた若い女性がマンションの部屋で絞殺された。

殺したのは、女性の婚約者と付き合っていた27歳の女だった。

女は殺した女性の耳を切り落とし、
それを入れたチョコレートケーキを焼いて、男に食べさせようとした。

男の通報で警官が駆け付けたとき、
女はケーキの刺さったフォークを持ってへらへらと笑い
部屋には溶けたチョコレートの甘い香りが漂っていた。

検察は女に懲役9年を求刑したが、
裁判では女が心神耗弱と判断されて5年の実刑判決が下りた。

********

「ありがとうございました!」

バレンタインデーが近づくと、店は益々忙しくなる。

彼女は駅前のケーキ店で働いている。

特性チョコレートケーキが人気の店で、この時期は行列が絶えない。

彼女は1日の仕事を終えると、駅ビルで買い物をして、
急いで家に帰り夕食の支度をする。

「ただいま」

夕食が出来上がるのを見計らったように、玄関のドアが開いて声がした。

彼女が去年の秋から一緒に暮らしている慎一だ。

「いい匂いだね」

「今日は寒かったからシチューにしたわ」

彼が脱いだコートをハンガーにかけながら、
彼女は、幸せがこみ上げてくるのを感じていた。

シチューを美味しそうに食べる彼を見ていると、
彼女は辛かったことも苦しかったことも、全て忘れられるような気がする。

3年前、彼女は眠る時間を削ってなりふり構わず働いていた。
お金になる仕事なら、人には言えないようなことだってした。

貯まったお金で整形と豊胸の手術をして、ボイストレーニングを受け、
ウォーキングレッスンやマナー教室にも通った。

依頼してあった探偵から待ち焦がれていた報告が届いたのは、
ようやく準備が整った頃のこと。

そのあと駅前のケーキ店で働き始め、偶然を装って彼と出会った。

見た目から立ち居振る舞いまで、彼の好みは熟知していたから、
親密な関係になるまでに、たいして時間はかからなかった。

ずいぶん遠回りをしたけれど、これで良かったのだと思う。

彼と一緒に暮らせるのなら、昔の自分なんて捨ててしまって構わない。

けれど…… 

皮肉なことに、彼女は毎日チョコレートケーキを売っている。

あの女の耳を思い出さずにはいられない、
甘い香りのするチョコレートケーキを。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー, バレンタインデー, リスタート

バレンタインの直前に失恋した。

デパートで3時間も並んで、ベルギーから来日している有名ショコラティエの
1粒550円もするチョコレートを買い終えた直後のことだった。

2年10か月も付き合ったというのに、最後は電話一本だなんて……。

私は昔からいつもこうだ。

高校2年の春、初めてできたカレと別れたのはクリスマスイブだったし、
遠距離恋愛していた恋人の浮気を知ったのは、バースデイの前日だった。

そう言えばあの時は……

納得できる理由も聞けないまま電話を切ってしまったせいか、
忘れていたはずの苦い想いや、悲しい気持ちがぶり返してくる。

過去にも何度も味わった、苦しくて切ない日々が蘇る。

またあんな時間を過ごすなんて……
だめだ、耐えられそうにない。

……。
……そうだ!もう死んじゃおう。

ふと思いついたのは、自分でも思いがけないアイデアだったけれど、
これを実践すれば、もう辛い時間を過ごさなくていいのだと思うと、
不思議な心地良さが感じられた。

ちょうど、このビルには屋上庭園がある。

エレベーターに乗って屋上庭園に行くと、
人目を盗んで柵を乗り越え、いつでも飛び下りられる体勢をつくった。

ほんの少し我慢すれば、もう二度と辛い目にあったりはしない。

1・2・3!
ギュッと目をつぶって飛び出すと、体がふわりと浮いた気がした。

ドン!
すぐにそんな音が聞こえて、記憶が無くなるはずだ。

……。

……。

……?

死の直前、時間は湾曲して流れの早さを変えると聞いたことがあるけれど、
それにしても、長い。

いくらなんでも、もう地面に激突していい頃だ。

おそるおそる目を開けてみると、周りは白いもやに包まれ、
都会の景色も、近づいているはずの地面も、どこにもなかった。

私の体は、何もない空間に浮いていた。

「君はそんなに簡単に死んじゃうんだ」

「あなた、誰?」

「僕は、神様。……まだ半人前だけどね」

「神様?にしてはイケメンね」

「ありがとう、よく言われるよ」

きっとここは、天国に違いない。

私の好みのど真ん中なルックスの神様がいる場所なんて、
夢の中か天国以外に考えられない。

「まだ死んでないよ」

私の考えを見透かすように、イケメンの半人前神様が言う。

「君、まだ死んでないから」

「どういうこと?」

「さっき言ったでしょ、僕はまだ半人前の神様だから、
一人前の神様になるためには、死ぬにはまだ早すぎる人間を、
10000人助けて、世の中の役に立つようなことをさせなきゃいけないんだ」

「それで私は何人目なの?」

「聞いて驚くなよ、記念すべき10000人目さ!」

「マジで?」

「ああ、マジで」

「じゃあ、あなた、もう一人前の神様になれたってこと?」

「いや、そうじゃない。ここからが大変なんだけど、
助けた人間が寿命を全うするまでの間に、
しっかり世の中の役にたってくれなくっちゃノーカウントなんだ。
実は、君の前に助けた10000人目の人間は、世の中の役に立てなかった。
だから、僕はまだ半人前。
僕が人間を助けることより難しいのは、助けた人間が強い心で生き抜いて、
世の中の役に立ってくれることなんだ」

「じゃあ、私に、強い心を持って世の中の役に立て、と?」

「そう!」

イケメン半人前神様は無邪気な笑顔で大きくうなづく。

その笑顔が本当に好みのど真ん中で、
さっき失恋したばかりということさえ忘れそうになる。

「ってことは、私が世の中の役に立てるよう、
あなたは何かサポートしてくれるの?」

「もちろん!君が生きている限り、ずっと見守って応援してるよ!」

胸を張って答えるイケメン神さまは、思い出したように続ける。

「ああ、ただ、僕のこと、君の方からは見えないかもしれないけど……」

「なーんだ。がっかり。あなたが人間で、私の恋人になってくれるなら、
どんなことでも頑張れるのに」

こんなあり得ない状況の中だと、普段なら決して言えないような台詞も
スラスラと言うことができる。

「僕はいつも君の傍にいるよ。見えないけど、感じてよ」

そう言いながらイケメン半人前神様は、私の右手首をぐっと掴む。

彼が指を離すと、右手首には腕時計をはめたように
くっきりと赤い痕が残った。

「ちょっと痛かった?ごめんね。これ、僕が傍で応援しているしるし」

いたずらっぽく言う顔が可愛くて、どきどきした。

「君が死ぬまで頑張ってくれるなら、僕も一緒に頑張れる。

もし、君が世の中の役に立って寿命を全うしてこの世を去る時には……
あ、いけない!時間だ!」

ドン!!

さっきまで感じられなかった重力が突然体に戻った気がした。

「大丈夫ですか?」「しっかりしてください!」

肩を揺さぶられて目を開けると、そこは屋上庭園だった。

体のすぐ横にある柵の向こうに、よく晴れた空が見えた。

私、どうしてここにいるんだっけ?

柵のところに、チョコレート店の紙袋があるのを見て思い出した。
柵を超えようとして、貧血でも起こしたのだろう。

ふふ。それにしても、失恋のショックでイケメンの半人前神様に
救われる夢を見るなんて……。

「すみません。もう大丈夫です」

起き上がろうとして手をついたとき、右手首に鈍痛が走った。

見るとそこにはまるで時計をはめたようにくっきりと赤い痕が。

まさか!?

でも…… もし、あの不思議な夢が本当の出来事だったとしたら、
私はいつでもイケメン半人前神様に護られていることになる。

そして、彼の神様昇格は、私の命の使い方にかかっていることになる。
彼は最後に、いったい何を言いかけたのだろう?

……。

……そうだ!

私がちゃんと世の中の役に立って、天寿を全うしてこの世を去る時には、
彼に美味しいチョコを贈ろう。

失恋ぐらいで死んでる場合じゃないな。

さあ、頑張って生きなくちゃ!

 

このショートストーリーを掲載のウオッチコレメールマガジン「ブリリアントタイム」は、
隔週金曜配信中です♪

ショートストーリー, バレンタインデー, 怖い話, 秘密

「愛してるよ」

耳元に唇を寄せて囁く時の慎一の声は、普段より少しだけ低くなる。

微かに触れた唇の振動が快感になって体の芯まで駆け抜ける。

「あ……」

言いたい事があったはずなのに、口を開くよりもずっと早く体がぴくんと反応するから、
慎一は私の言葉など待たずに、深いところに指を進める。

別の生き物のように動く指先が私の頭を混乱させて、
慎一への不信感も、問い正そうと思っていた事柄もみんな忘れてしまいそうになる。

それでも、わずかに残った理性を振り絞って
言葉を押しだそうとする唇を、慎一の熱い舌が奪う。

強引に押し入り、舐め回し、包み込む濃厚なキスで、漏れ出す言葉が吐息に変わる。

今日も、また、何も聞けない……。

「ごめんな、百合。今日は泊まっていけないんだ」

ワイシャツのボタンを留めながら、こちらを振り返りもせずに慎一が言う。

よそよそしく白いシャツの背中を見ながら、
幸福な時間があっという間に過ぎ去った事を思い知る。

今日は、じゃなくて、今日も、でしょ。

頭の中ではそんな皮肉も言えるのに、口をついてでるのは別の台詞。

「今度はいつ会えるの?」

「最近仕事が忙しいんだ。またこっちから連絡するよ」

そして慎一は、忘れ物にでも気付いたように向きを変えて
私の傍までやって来ると、耳元に唇を寄せて、一段と低い声で囁いた。

「愛しているよ」

私は軽いため息をつき、今度はちゃんと口を開く。

「私も愛してるわ、慎一」

私はみんな知っていた。

今の慎一の「愛してる」に、もうそれほど愛がこもっていないことも、
慎一がこの部屋のドアを閉めてまだ早い夜の街に出た途端、
携帯電話であの女に電話していることも……。

*********

キッチンには甘い香りが満ちている。

バレンタインに慎一へ贈るために、私は特別なチョコレートケーキを作っていた。

私の愛が、どれほど深く大きいかを、慎一にもちゃんとわかって貰わなくてはいけないから。

卵白を泡立てながら、昨夜の事を思い出す。

どうしても慎一に直接問いただすことが出来なかった私は、
慎一の携帯電話を調べて、あの女のことを突き止めた。

高台にある女のマンションの部屋は、この部屋よりも数倍広くて新しかった。

女の部屋に通されてすぐ、私は単刀直入に切り出した。

「慎一さんと別れて下さい」

女は私の顔をまじまじと見詰め、それほど驚きもしない様子で言い放った。

「あら、別れるのはあなたの方なんじゃない?
慎一は優しいからまだあなたのことが切れなかったのね」

そして、私の顔の前で、ダイヤの指輪がはまった左手をひらひらと振って見せた。

よく見ると、広くて新しい部屋の隅には、電化製品の入っていた段ボール箱がいくつも重ねられていた。

私の視線に気付いた女が追い打ちをかけるように言った。

「もう、準備を始めているのよ」

こんなふうに訪ねて来る女がいるというのに、
不安など微塵も感じてい傲慢な笑顔で、女がにっこり微笑んだ。

押さえようの無い怒りと大きな屈辱感と悲しみで、私の頭は混乱した。

咄嗟に、はずしたばかりのマフラーを手にすると、女の後ろに回り込んでその細い首に巻き付けた。

端を両手でしっかりと持ち、全身の力を込めて引っぱった。

女の白い耳たぶが目に留まると、慎一の囁く声が思い出されてマフラーをさらに強く引っ張った。

カチャン。

泡立て器が手からすべって、ふと我に返った。

泡立てた卵白ををつぶさないように、別立てした卵黄を流し込む。

そこにふるった粉をさっくりと混ぜた後、
その中にあの女のしていたダイヤの指輪を放り込んだ。

よく輝く透明な石は、生地に埋もれて見えなくなった。

それから私は、ハンカチに包んだ固まりを取り出し、それも生地の中に入れ込んだ。

昨日はとても白いと感じたはずのそれは、どす黒いような汚い色に変わっていた。

ケーキが不味くなってしまうかしら?

溶かしたチョコレートを加えてかき混ぜるとき、褐色の中に浮き沈みする固まりを見て、
ちゃんと焼けるか気になったけれど、やっぱりそのままオーブンに入れた。

「不味くっても仕方ないわね、悪いのは慎一だもの」

小さく微笑みながら、声に出して言ってみる。

慎一の「愛してる」を聞くのは私の耳だけで十分なのに、
あんな耳にも囁いていた慎一が悪いんだから……。

オーブンから甘く香ばしい香りが漂い始めた。

慎一のためだけの特別なチョコレートケーキが、もうすぐ焼き上がる。

『チョコレートケーキ2018』もぜひ合わせてお読みください。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー, バレンタインデー, 恋するキモチ

学校から帰ってきた娘が、ランドセルも下ろさないまま、
私に駆け寄ってきて、嬉しそうに言った。

「あつし君がね、これ、くれたの」

「どれ?」

娘の手の中にある、紙の切れ端のようなものをつまみ上げると、
それは小さな輪になっていて、
片側には赤鉛筆でぐりぐりと塗りつぶした赤い丸があり、
反対側には、みみずのはったような鉛筆の文字が書いてある。

「これ、なあに?」

思わずそう聞いてしまうと、娘はちょっと不満げな顔をして、

「指輪にきまってるでしょ!」

と怒鳴った。

ああ、指輪……。

言われてみれば、赤丸はルビーかなにかのつもりなのだろう。

「じゃあ、これは、なんて書いてあるの?」

鉛筆の文字を娘に尋ねると……

今度はちょっと赤くなって言う。

「あいらぶゆーよ。はずかしいから言わせないで」

そして甘えた表情で続けた。

「ねぇママ、バレンタインにあつし君にあげるチョコレート買ってもいい?」

なるほど、一番言いたかったのはそれねと納得して、

「オーケー!美味しいチョコを買ってあげるわ」と約束をした。

ようやくランドセルを置きに行こうとした娘が、
途中でもう一度駆け寄ってきて、

背伸びして私の耳に顔を寄せて、ひそひそ声で、

「あつし君ね、大人になったら本物買ってくれるんだって」

と、さっきよりもっと赤くなりながら言った。

私は、ほんの少し前まで赤ちゃんだったはずの娘が、
そんな約束をするほど成長したことに驚いた。

と同時に、たぶん履行されることはないであろう気の長い約束に、
全身で喜びを表現している娘の幼さが、愛しくてたまらなかった。

鼻歌まじりにランドセルを下ろす娘を見ながら、

娘のこれからの人生にたくさんの「あいらぶゆー」があることを願った。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

Happyの予感, ショートストーリー, バレンタインデー

久しぶりに定時で仕事を終えて、ショッピングでもしようと考えながら
外に出ると、思いがけないくらい明るい空が広がっていた。

春が近くなってる。

日が長くなったのに気づくのは、毎年決まってこの時期だ。

冷たい風にぶるっと震えて、身を小さく縮めながら、
いつも一番寒い時期に春を感じる自分に苦笑する。

女の子たちが連れ立って吸い込まれていくデパートのウインドウには、
赤やピンクのハートが溢れ、バレンタインが近いことを知らされる。

チョコレートを買わなくなってから、今年で何年目になるだろう?

反射的に目をやった時計は、彼とお揃いの機械式。

初めて買った、チョコレートじゃないバレンタインのプレゼントを
受け取ることなく、遠いところに行ってしまった彼。

あの年から、私はバレンタインが嫌いになった。

「藍沢さん!僕にもチョコレート買ってよ」

能天気な声に振り返ると、先月移動してきたばかりの高橋くんが
人懐っこい顔で笑っていた。

社内で唯一、私がチョコレートを買わないことを知らない男性。

「藍沢さんにそんな真剣な顔でチョコレートを選ばせる相手って、
どんな奴なんだろう?ちょっと羨ましいな」

ウインドウの前で黙って立ち止まっていたから誤解したようだ。

「別にチョコレート選んでたわけじゃないわ」

ぶっきらぼうに返事をして歩き出した。

「じゃ、今から一緒にメシでも食おうよ。まだ空も明るいし、なっ?」

一緒にご飯を食べることと空が明るいことの関係はよくわからないけれど、
にこにこしながら足早についてくる高橋くんを見たら、何故か笑みが込み上げてきた。

「そうね、じゃ、行きましょうか。まだ空も明るいし……」

広い空の西の端を、薄ピンクの夕焼けがわずかに染め初めていた。

春が近くなってる?

 

このショートストーリーを掲載のウオッチコレメールマガジン「ブリリアントタイム」は、
隔週金曜配信です♪