それは、ある日の会社帰りのこと。
僕の歩く先に何か黒い塊が置かれているのに気付いた。
近づいてよく見ると、革製の鞄で、少し持ち上げてみるとずっしりと重い。

いったい何が入っているのだろう?

辺りに人通りはなく、好奇心が揺さぶられたが、
同時に気味悪くも感じて、しばらくその鞄を見つめていた。

意を決して鞄に手をかけ、開けて中を見てみようとしたその時、
遠くからバタバタという足音が聞こえて男性が息を切らしながら駆けて来た。

「ああ、よかった!ここにあったか。」

男性は大きな声でそう叫んだ。

男性のホッとした様子から、それは間違いなく彼の鞄だと分かったが、
どうしても気になったので訊いてみた。

「それは、あなたの鞄ですか?この中には何が入っているんですか?」

男性は、「これは…… 」と言いかけて一度口をつぐみ、少し戸惑った後、こういった。

「これは、私の大切な忘れものだ。
昔は、無くても構わない…… いや、無い方がいいと思っていたが、
やっぱり必要だということに気付いて、探しに戻ったんだよ」

意味の分からない答に不信感をあらわにしている僕に、男性は続けた。

「それでは、こうしよう。鞄を見つけてくれたお礼に、君にこれをあげるよ。」

男性は自分の着けていた時計を外すと、僕に差し出して言った。

「これはただの時計じゃない。この時計を使っていれば、
そのうち私の言ったことの意味が分かるよ。」

「はぁ…… ありがとうございます」

僕はまだ釈然としなかったが、その時計がなんだかとても魅力的に見えたので、
ありがたく受け取ることにした。

ところが……

その夜から、僕の生活は一変した。

嘘のような幸運が次々と舞い込み始めたのだ。

自宅に帰ると留守電に、学生時代に憧れていた女性からの
メッセージが入っていて、合コンをセッティングしてほしいという。

驚いて電話をかけるとものすごく盛り上がって、まずは二人だけで会おうという話になった。

翌朝会社に出勤すると、時期外れの辞令で、
以前から行きたかった部署への移動と昇進を告げられた。

移動先では、飛び切り美人の新人社員が、僕のアシスタントについた。

仕事は面白くて仕方なく、みるみるうちに業績も上がった。

もう合コンをする暇はつくれなくなったが、
そんな必要などないほど女にモテまくるようになった。

さらに、何気なく買った宝くじが当たって、
これまで見たこともないような大金を手にした。

そして、気まぐれに株を買えば、すぐに上がって驚くような利益が出た。

ギャンブルをしてみても、決して負けることはない。

あれよあれよという間に通帳の預金残高が増えていった。

5年が過ぎ、10年が過ぎても相変わらず女にモテ、仕事では成功し、
金はいくら使っても貯まっていった。

けれど、僕はなぜだか以前ほど喜びを感じなくなっていた。

10年もの間ずっと、とんでもない幸運が続いているというのに、
それを「幸せ」だとも、「有難い」とも感じることができないのだ。

左腕では、あの日男性からもらった時計が、正確な時を刻んでいた。

最近、この時計の針を見つめることが多くなった。

そして僕は、突然ハッと思い出した。

そうだ!こうしてはいられない。
あの日から忘れたままの大切な物を探しにいかなくては……。

10年かぁ、いったいそれは、どれくらいの重さになっているだろう?

僕は、あの日持ち上げてみた鞄の、ずっしりとした重さを思い出して、
少し怖いような、それでいてワクワクするような気持ちで、
大切な忘れ物を探しに向かった。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。