こんなこと、信じられない。
目の前を突然、真っ黒な布で遮られて、さっきまで見えていた景色が何も見えなくなってしまったような気分だった。
順調に歩いていた道の少し先が、断崖絶壁ででもあったかのように、その場に立ち尽くすしかなかった。
どんな避妊も、100%確実ではないことを、今手にしている小さな検査用スティックが示していた。
私たち夫婦は、子供を作らない約束だった。
幼い頃からの辛い記憶が、私から子育ての自信と意欲をすっかり奪い去っていた。
彼は、しぶしぶながらこの約束に同意し、これまでずっと、子供のいない穏やかな幸せが続いていた。
なのに……
先月から続く体調不良を相談した友人から強く勧められて、「妊娠ではないこと」を確信するために検査薬を買った。
私のおなかの中には、新しい命が宿っていた。
私の母は、まだ若いうちに私を身ごもり、いくつかの夢を諦めて父との結婚を選択した。
けれど、それは、彼女の不幸の始まりで、ギャンブルにも女にも目のない父が母子を顧みることことはなく、生活は日に日に苦しくなっていった。
溢れる後悔に押しつぶされないよう、彼女はその不幸を全て、彼女の娘、つまり私のせいにすることでようやく生きていくことができた。
「おまえさえ出来なければ……」母が吐き出すように言うこの台詞を、物心ついたころから、何度耳にしたことだろう?
私は、少しでも母に気に入られようと、たくさん勉強をして、家のこともよく手伝い、近所でも評判の良い子になった。
けれど、どんなに良い成績を取っても、まわりの人たちがどれだけ誉める娘になっても、母はあの台詞を言い続けた。
高校を卒業すると、奨学金で大学に通いながら一人暮らしをはじめた。
一人暮らしは自由で楽しく、学校ではたくさんの友達ができた。
心にゆとりの出来た私が、久しぶりに母を訪ねたとき、母は強いお酒を飲みながら、また、あの忌まわしい台詞を吐いた。
「おまえさえ出来なければ……」
私は、絶対に子供なんて作らない!このとき、そう固く決心をした。
あの日から7年、母には一度も会っていない。
結婚したことは葉書一枚だけで知らせ、連絡先は記さなかった。
耳について離れない、あの台詞を二度と聞きたくなかったから。
3ヶ月ほど前に、伯母から、母が父と正式に離婚して、小さな町工場の事務員として働くようになったと知らされた。
母に会ってみようか?
一瞬そんな考えがよぎったのは、気持ちが乱れているせいに違いない。
彼に知られてしまえば「産んで欲しい」と言われるに決まっている。
明日にでも病院に行って、何もなかったことにしなければ。
スティックを握ったまま、あれこれと考えているところへ、電話のベルが響いて、我に返った。
電話は、伯母からだった。
母が、工場で倒れたという、検査のため入院させた病院で末期がんが発見され、医者がすぐに家族を集めるようにと言っているらしい。
ちらっとでも、母に会ってみようなどと考えたのは、虫の知らせだったのだろうか。
気持ちの整理がつかないまま、教えられた病院に行くと、長い間会っていなかった母は、ふたまわりほど小さくなって、ベッドの上で眠っていた。
もう長くないというのが、ひと目見ただけではっきりわかった。
恐る恐る近づいて母の手を握ると、母はゆっくりと目を開き、力ない視線を私に向けた。
「おかあさん、ごめんなさい!」
自分でも驚くような言葉が飛び出し、涙が一緒に溢れ出した。
母の口元がひらき、「謝るのは私のほうよ」と弱々しい声がした。
ごめんなさい、ごめんなさいと泣きじゃくる私の頬をなで、少しだけ微笑んで目を閉じた。
「ごめんね……」
目を閉じたまま、聞き取れないくらい小さな声でつぶやいて、涙が一滴流れ落ちた。
その晩、母は息を引き取った。
強く握ったままでいた母の手を、胸の上に置こうとしたとき、薬指に光っている指輪に気付いた。
離婚しても、はずさないでいたのだろうか?
母がずっと身につけていたこの指輪を形見にしよう、そう思ってそっと抜き取った。
その時、なにげなく目をやった指輪の内側に、視線が釘付けになった。
そこには、私の名前が、誕生の日付と一緒に刻んであった。
母が離婚してもはずさなかったその指輪には、私の名前が刻まれていた。
母は、私の誕生を、本当は喜んでくれていたのかもしれない。
あんな台詞を言ってしまう自分を、ずっと責め続けてきたのかもしれない。
冷たくなっていく母の手を、もう一度握り締めながら、強く念じるように報告をした。
「お母さん、私、あかちゃんが出来たのよ!」
「あなたならきっと良いおかあさんになれるわよ」
穏やかな母の顔は、そう勇気付けてくれているようだった。