津田の小説もいよいよ終盤。
「秀吉がもうどうにもならないと手を叩き始めたとき、春山が車を奪って暴走させ、皆が暴走車に気を取られているうちに、奈々美と茜を車に乗せて走り去る」
津田がそんなシーンを構想していると、ママが、「今出て行った男から頼まれた」と小さな包みを差し出します。
開けてみると、それは、あのピーターパンの本でした。
慌てて本を持ってきた人物を追って外に出ると、視線の先にはコーヒーショップで会った秀吉が居て、待っていた車には倉田と思しき男が乗っていました。
津田と秀吉は一瞬目を合わせますが、秀吉は何も言わずそのまま車に乗り込みます。
その表情を見た津田は、にやりと笑って小説のタイトルを『鳩の撃退法』に決めたと宣言します。
『鳩の撃退法』、このタイトルには、いったいどんな意味があるのでしょう?
映画には、鳩=ニセ札としているシーンが何度か出てきます。
ですが、それを丸のみにして、タイトルに当てはめるのはちょっと安易。
『ニセ札の撃退法』がタイトルだなんて、あまりにも違和感があります。
言葉を生業とする小説家が、そんなタイトルをつけるとは思えませんから、鳩にはもっと、何か別の意味があるに違いありません。
例えば、ニセ札からもう少し膨らませて、“ニセモノ”を表すとか。
そうすると、劇中で倉田が発する“つがいの鳩”という言葉は、行方知れずになった2枚のニセ札を指すのではなく、“ニセモノの夫婦”を指すことになります。
“ニセモノの夫婦”は、夫婦でないのに子どもを作った奈々美と春山のことでもあり、隠し事をしながら表面的な夫婦関係を保っていた秀吉と奈々美のことでもあります。
けれど、妻を妊娠させた春山の命乞いをし、倉田に逆らって春山と奈々美を助けようとした秀吉と、秀吉の姿に心打たれた奈々美は、今度こそ本当の夫婦になれるはずです。
いや、せめて小説の中でくらいそうなって欲しい…… 津田はそんな期待を込めて、
この物語を、『鳩(ニセモノ)の撃退法』というタイトルに決めた。
そう考えることはできないでしょうか?
しかし、そんなハッピーエンドはあくまでも小説の中のことで、現実では春山と奈々美がダム底に沈められ、茜もどこか施設に預けられてしまったに違いありません。
家族はバラバラとなり、秀吉はこれからも、倉田と一緒に裏社会で生きていくしかないのです。
『鳩の撃退法』というタイトルは、津田が結末を変えた小説を書くことそのものを表しています。
せめて小説の中でだけても、あってはならないニセモノを撃退し、登場人物たちに幸せな結末を与えてやりたい。そんな願いを込めたタイトルなのです。
だって、小説家にできるのは、物語の結末を書き換えることくらいなのですから。