リムジンを降りてロビーに立つと、心地よいブラームスが体を包み込む。
ドア一枚で喧騒を遮るこのホテルの風格は、28年前と変わらない。
ここに、もう一度来ることができるなんて……。
鮮やかに蘇る過去の記憶に、胸が締め付けられると同時に、ため息が漏れそうになる。
あの人と出会って、過したこのホテル。
当時、小さな貿易会社を営んでいた父の影響で海外旅行に慣れていた私は、どんな国の言葉を話す人を前にしても、物怖じしない娘だった。
だから、ロビーで地図と睨めっこして、立ち尽くしているあの人にも、ごく自然に声をかけた。
カタコトの英語しか話せないあの人と一緒に地図を辿りながら、四苦八苦してその場所に着いた頃には、
夕食を共にする約束を交わし、メインディッシュが運ばれる前に、もう恋に落ちていた。
それからの4日間は、数年分にも相当するほど、めまぐるしく濃密だった。
お互い、この地でどうしてもしなければいけない仕事の他は、眠る時間さえも惜しんで一緒に過した。
私が帰国する日の前日、二人で出かけたレーンクロフォードで、あの人は綺麗なオメガの時計を選んで私の手首につけながら、
「明日は見送れないけれど、必ず日本に会いに行く」と拙い日本語とカタコトの英語で約束をしてくれた。
高価なプレゼントに驚きながらも、「真実の言葉の証」と言われて胸が高鳴った。
ところが、帰国当日、早朝のロビーで、私は目を疑う光景を見た。
あの人の膝に小さな女の子が座り、隣には美しいブロンドの女性が寄り添っていたのだ。
笑顔を交し合う様子は、仲の良い家族以外の何ものでもなかった。
私は昨日着けたばかりのオメガを外し、「もう会いたくありません」と英語で走り書きしたメモを
あの人に渡してくれるようフロントにに頼んでホテルを後にした。
その後、あの人が日本に来ることは無く、私は今の夫と出会って、幸せな結婚をした。
あれから28年。
私の50歳のバースデイプレゼントにと、娘が贈ってくれたのが、このホテルの宿泊だった。
いつだったか、香港のペニンシュラには思い出があると話したことを、覚えていてくれたらしい。
チェックインの手続きをすると、ソファで少し待たされた。
「これをお預かりしておりました」とホテルマンに差し出された物を見て、息が止まりそうになった。
そこには、あの時のオメガが、あの時のまま時を刻んでいた。
ホテルマンは、28年前に宿泊していた男性が、いつか私がここにきたら時計と自分の連絡先を渡すよう依頼していたこと、
時計をいつでも万全の状態に保つための充分な料金を預けてあったこと、
そして、その男性は数年前に亡くなったことを教えてくれた。
シンジツヲアナタニ
連絡先の最後にある、色の変わったインクの文字が涙で滲んで大きくぼやけた。
あの人の伝えたかった真実が、どんなものだったのかはもう解らないけれど、
28年前、このホテルで過した二人の時間だけは、間違いのない真実だったのだと、美しいオメガが語っていた。