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約束

2018/01/13

明るい日差しがクリスマスツリーを照らし、
行き交う人の多さと賑やかな笑い声に、思わず目を細めてしまった。

長い間あんなところでじっとしていると、光と音と人が溢れる外の世界は、
まるで別の国のように感じる。

あまりゆっくりはしていられない。
急いで買い物を済ませ、回診の時間までに戻らなくては。

闘病生活が長くなって、はやく自宅に帰りたいという希望は、
少しづつあきらめに変わっていった。

それでも、巡り来る季節を忘れてしまいたくはなくて、
節目になる行事だけはいつも大切に考えていた。

もうすぐ、クリスマス……。

彼に贈りたいものがあった。

昨日、お茶を煎れてくれた彼の手元を見た時、時計のベルトがすり切れて、
ずいぶんくたびれていることに気がついた。

大通りの向こうにある商店街、少し歩けば時計屋さんがあったはずだ。

流行の服を着た女の子たちとすれ違う。

パジャマの上にスカートをはき、コートで隠すようにしている自分が少し恥ずかしくなった。

病気にさえならなければ今頃……
もう考えるのはよそう、そう決めていた恨み言が一瞬頭をよぎった。

クリスマスソングの流れる商店街の向こうに、時計屋さんの張り出したショーケースが見えた。
メリークリスマスと書いた看板の横に、金色の天使のオブジェが飾られている。

ケースの中央、一番目立つ場所にあった時計に目が引きつけられた。
すっきりとしたデザインで、文字盤のダイヤが上品な輝きを放っていた。
彼の腕にきっとよく似合うだろう。

けれど、その値札には、たくさんのゼロが並んでいて、今の私にはとても手が届かなかった。

私がまた元気になって、働くこともできるようになれば、こんな時計をプレゼントすることだって夢ではない。

そんな日のことを想像しながら、時計屋さんのドアを開けた。

今夜もいつもと同じ時間に会いに来てくれた彼は、
「メリークリスマス!」と言って金色の紙に包まれた小さなボトルを差し出した。

手際よく包みを開けながら、「アルコールは入ってないけどね」といたずらっぽく笑う。

この人と結婚してよかった。

唐突にそんな気持ちがわき上がり、目頭が熱くなった。
こんなふうに彼といられる時間は、あとどれくらいあるのだろう?

「病室の湯飲みじゃ気分がでないだろ」

彼は紙袋からワイングラスを二つ取り出した。
音を立てないようにタオルを押し当てて蓋を開けたのは良かったけれど、
勢いよくわき上がった泡のせいで、中身がずいぶん減ってしまった。

したたり落ちる大量の滴に慌てている彼が、可愛いと思った。

枕の下に隠したプレゼントを渡したら、彼はどんな顔をするだろう?

ようやくつぎ終えたシャンパンの泡に、ベッドサイドのライトが反射して綺麗だった。

二人でくすくす笑いをかみ殺しながら、グラスをぶつけて乾杯をした。

**********

「春江!春江!春……」

胸が重く、息が苦しくなって、目の前が霞んだ。

妻が、たった今亡くなった。

こんなにも早く、こんなにも急にこの日がやってくるなんて……。

時計の文字盤が滲んでいるのを見て、僕は自分が泣いていることに気がついた。

何ヶ月もの間、病魔と闘って、とても疲れていたはずなのに綺麗なままの顔だから、
少し眠っているだけだと思い込みたくなった。

手も頬もまだ暖かく、唇には笑みさえ浮かんでいるように見える。

「春江……」

春江とここで乾杯したのは、まだ、ほんの一週間前のこと。

病室を抜け出してプレゼントを買ってくるほど元気だったのではなかったか。

君が予想していた通り、僕はまず怒ったけれど、本当はたまらなく嬉しかったんだよ。

病院を出たら自分も働いて、文字盤にダイヤのついた高級な時計を僕にプレゼントしたいと言っていたね。

それじゃあ春江の分も買って、一緒にダイヤの時計をはめようって、そう約束したじゃないか。

春江…… 君がくれたこの時計にはダイヤなんてついていないよ……。
君の細い手首には、点滴の針が刺さって、時計さえついていない……。
君はこれまで、僕との約束を破ったことなんてなかったのに……。

春江…… 約束は守らなくてはいけないんだよ!!

そのとき、窓の外から厳かに響く鐘の音が聞こえてきた。
今年の終わりと、新しい年の到来を告げている。

僕は、二人でずっと守ってきたもう一つの約束を思い出した。

「新しい年には新しい気分で」

どんなに喧嘩をしていた年だって、どんなに疲れていた年だって、
新しい年を迎える時には、二人とも笑顔で、新しい気分で新年を迎えましょう。

結婚して初めてのお正月に、そう約束して以来、僕たちはずっと、それを守ってきたんだったよね。

春江、どんなに悲しい年だって、これは守らなくちゃいけないのかい?
だから、君は、そんなふうに綺麗な顔で旅立ったのか。

「そうよ、あなた。新しい年には、新しい気分で」

横たわる春江の唇から、そんな声が聞こえたような気がした。

もうすぐ、新しい年がはじまる。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。