その日、俺は頭痛がして目を覚ました。胸のあたりがムカムカとしていた。
昨日は少し飲みすぎたようだ。
窓の外はまだ暗い。
何時だろう?
枕元の腕時計に手を伸ばして時間を確かめる。
5時35分。
沙紀との約束にはまだだいぶ時間がある。
もう一眠りしても大丈夫だろう。
頭痛を振り払うように目を閉じると、俺はもう一度布団にもぐった。
ハッとして目を覚ますと、窓から日差しが差し込んでいる。
何時だ?
反射的に確かめた時計の針は、7時40分を指していた。
よかった。
だが、そろそろ起きなくては間に合わなくなる。
沙紀は時間に厳しくて、約束に遅れると機嫌が悪い。
まだズキズキとする頭を振りながら、のろのろと布団から這い出して、セーターを着た。
豆をひいて、サーバーのスイッチを入れる。
部屋に漂う香ばしい匂いにようやく意識がはっきりとしてきた。
熱いコーヒーをゆっくりと飲みながら、これから始まる沙紀とのバカンスを想像した。
二人で旅行するのは初めてじゃないが、これまではいつも車だった。
「飛行機で出かけるなんて新婚旅行みたい!」
そう言ってはしゃぐ沙紀の顔は、子どもみたいで可愛かった。
思い出し笑いを押し戻して、珈琲カップをシンクに突っ込む。
さあ、沙紀を迎えに行くか。
時計を腕にはめて、時間を見ると……7時40分。
?!
時計の針は止まっていた。
「くそっ!」
携帯電話を開いて確かめた時刻は、すでに9時17分。
沙紀との約束は9時30分。
あと15分もしたら、この携帯が鳴リ出すに違いない。
JAL903便;羽田発沖縄行きは、10時50分発だ。
間に合うだろうか?
沙紀の家までは、少し飛ばせば30分で行けるだろう、
だが、空港までの道が少しでも混んでいたら……
続いていたはずの頭痛も吹っ飛び、沙紀が怒る顔が浮かんだ。
アクセルを踏み込みながら、言い訳を考えてみる。
「時計が止まっていたんだよ」
これは本当のことだが、沙紀を余計に怒らせそうだ。
だって、この時計は、沙紀がプレゼントしてくれたものだから。
俺の好みをよく知っている沙紀が、誕生日に用意してくれたレアな時計は、
ロシア製のクロノグラフだった。
イカしたそのフォルムに、沙紀のセンスの良さを再確認した。
しかし……
ロシア製の性能がどうこうという噂は本当だったようだ。
携帯が鳴ってから2時間くらいの出来事は、思い出したくもないくらい酷いものだった。
それでも、今、沙紀は俺の隣で、この上ないほど幸せな顔で居眠りをしている。
サイドテーブルに置いたクロノグラフが、明るい日差しを跳ね返して光っている。
俺はサングラスを少し上げて、真っ青な海の色に目を細める。
最高の気分で冷たい飲み物に手を伸ばしながら、
最悪の状況が一瞬にして逆転した瞬間のことを思い出していた。
すさまじい喧嘩をしながら入ったファミレスで飲むコーヒーは、
二人で飲む最後の飲み物になるはずだった。
ところが、ドアを開けたとたんに鳴り響いたファンファーレに驚いていると、
満面の笑みで歩み寄ってきた店長が告げた。
「いらっしゃいませ!おめでとうございます!!
お客様は当店へお越しいただいた記念すべき10万人目のお客様です。
記念の商品といたしまして、ペアでいく豪華ハワイ旅行6日間の旅をお受け取りください!」
人生、何がラッキーに繋がるか分からないものだ。