「恵子さん、恵子さん」

また義母が呼んでいる。
すっかり日課になってしまった、あの時間が今日も始まる……。

「恵子さん、こんなところに居たのね、あなたに見せたいものがあって探していたのよ」

義母は鍵のついた引き出しを開けると、柔らかな布に包まれた指輪やブローチ、
ネックレスなどを次々に取り出した。

「この黒真珠はね……」

これから約1時間、義母はその宝石類の云われや、どれほど素晴らしいものなのかを、長々と話し始める。
一字一句間違わずに言えるほど、何度も聞いた同じ話には、もういいかげんうんざりしていた。

義母が呆けていることに気づいたのは、3ヶ月前。

今食べ終えたばかりの食卓を見て、自分の分が残っていないと怒り出したのがきっかけだった。

医者も友人達も、自分のことが自分でできるだけましだと言い、
その話を聞くだけで済むのならば聞いてあげた方が良いと言う。
他人事だからそんなことが言えるのだ。
毎日毎日同じ話を1時間も聞かされる身になれば、その辛さがどれほどかわかるだろう。

しかも、義母は話の最後をいつも必ずこう締めくくる。

「どれも素晴らしいお品でしょう。
啓子さんのように庶民的な方には似合わないかもしれませんけれど。」

義母の父親は男爵の称号をもらっていて、自分は華族出身であったというのが自慢だった。
今では裕福さのかけらも留めていないこの家にあっても、その気位の高さだけは失っていなかったのだ。
栄華を極めた日々の名残である、いくつかの宝石類だけが、彼女の自尊心を支えてきたのだろう。

それにしても、高価な宝石類を毎日見せ付けられたあげく、
「あなたには似合わない」と言われ続ける私の気持ちは、もう、限界に近いところまで来ていた。

全て売り払ってしまえば、今より楽な生活ができるかもしれない。

呆けた義母を施設に入れて、全ての宝石を売り払い、古い家を改築して、
ゆったりと過ごす日々を想像しながら、毎日繰り返される義母の話に耐え続けた。

そんな日々に突然終わりが来たのは、真夏だというのに涼やかな風が吹く朝だった。
穏やかで、あまりにもあっけない義母の最後だった。

葬儀が済み、初七日も終えた後、義母が生前自分に何かあったときにと
弁護士に預けてあったという手紙が届いた。

どうということもない文面に、長かったけれど浅かったのかもしれない義母との付き合いを思ったが、
最後の一行にハッとして、自分の目を疑った。

私が大切にしていたものについて、
あなたはもう十分に理解していることでしょう。
いつも話を聞いてくれてありがとう。
宝石は、全て恵子さんに贈ります。
どれも、きっと、よく似合うことでしょう。

「どれも、きっと、よく似合う……」
あれほど望んでいた日が来たというのに、悲しみの涙がとめどなく溢れ出した。

「この黒真珠はね……」と話始める義母の声がたまらなく聞きたくなった。
涙の粒が頬を伝って、握り締めた黒真珠の上に落ちた。

黒真珠はいつも通り、気高い光を放っていた。

売りさばいてしまいたいと思っていた宝石類だったが、
結局、また、鍵のついた引き出しに大切にしまわれることになった。

いつの日か、私も、息子の嫁を前にして、この黒真珠の云われを話すのかもしれない。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。