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Happyの予感, クリスマス, ショートストーリー

11時53分、あと7分でイブも終わりだ。

イブだというのに残業をして、終電に間に合うように、浮かれる街を駆け抜けている。

好きでやっている仕事だけれど、こんな日くらいは人並みにシャンパンで乾杯をして、
ケーキを食べて笑っていたかった。

それなのに、私ときたら、ファーストフードをかじりながらパソコンに向かい、
泊まり込みも3日目で、お風呂にも入っていない男たちと一緒に、声を荒げて会議をしていた。

なんていうクリスマスイブ!

私は悪態をつきながら、酔っぱらったおじさんたちや、べったりと寄り添いあうカップルの横を走り抜けた。

髪を乱して、息を切らせて、全力疾走した甲斐あって、終電が駅に滑り込んでくるのに間に合った。

弾んだままの胸を押さえて、開いたドアに乗り込んだとき、ほんの少しだけ違和感を感じたが、
思いがけず空席があるのを見つけて、足が自然にそちらに向かった。

座席に腰をおろすと、思い出したように一日の疲れが襲ってきて、
暖かな車内の空気とリズミカルな電車の揺れが、私を眠りに誘い込んだ。

ガタン。

停止した電車の音にハッとして目覚めると、電車のドアが開くところだった。

えっと、ここは……?

駅名を確認しようと外を覗いて驚いた。
それは、この電車が通るはずなどない地下鉄の構内。

彼が、いえ、正確には3年前の冬に別れた彼が、よく待ち合わせした階段横に立っていた。

趣味の良いスーツをスマートに着こなし、優しげで知的な瞳をしているのに、
なぜかいつも前髪が少しだけはねているのが、母性本能をくすぐる人だった。

今頃はシンガポールにいるはずの彼がどうして……?
心臓はどきどきと早くなり、頭は混乱していた。

あの日、彼は私にプロポーズをした。
「シンガポール支店への転勤が決まった。5年以上帰ってこれないと思う。
君に、一緒に来て欲しい。」

二年間つき合った彼のことは、心から好きだった。
でも、私は、彼に着いていくことを選べなかった。
入社以来ずっと入りたかった部署へ転属し、是非やりたかった企画のメンバーに加わったばかりだった。
一週間、食事も取れないほど悩み、出した答えがさよならだった。

もしも、あの時の選択をやり直せたら……
仕事で行き詰まる度に、何度もそう想像した。

今、この電車を飛び降りて、彼の元に走り寄ったら、やり直すことができるだろうか?

傍らのバックをつかみ、座席から立ち上がったとき、
ふと、さっきまで一緒に仕事をしていた仲間たちのことが思い浮かんだ。

女性の私を帰した後も、まだ、仕事を続けている仲間がいる。
彼らは今夜も泊まり込むに違いない。

腰を浮かせたままためらっていると、発車のベルがなってドアが閉まった。

窓の外で遠くなっていく彼の前髪を見ながら、愛しさと切なさと、
これでよかったのだと思う気持ちがないまぜになって胸をふさいだ。

それでも涙がでなかった自分は、大人になったな、と感じながら、窓の外に目をやった。

流れる景色を見ているうちに、また、眠りに落ちてしまった。

ギギー、ガタン。

電車が止まって、また、ドアが開いた。
入り込んできた冷気に目を覚まして、開いた戸口を見た。

ホームで、母が泣いていた。
母から少し離れたところで、父が怒ったような顔で立っていた。

あれは……
あれは、5年前、卒業したら地元で就職すると約束していたのに、
そのまま都会での就職を決め、それを報告に帰った日。

次の日から仕事だから、と、実家に泊まることさえしないで、東京にとんぼ返りした。

反対されることがわかっていたから、すべてが決定するまで家族には知らせず、
寮を出た後に住む場所も、新生活のための資金も自分でなんとかした後、
はじめて両親に電話をした。

驚いておろおろとするばかりの母と、こうなることはわかってでもいたというように
沈黙を守る父の前に正座して、自分の決めたことを伝えるだけ伝えると、
半ば逃げるようにして戻ってきた。

涙を止められない母に、「私は大丈夫だから」と何度も言い、
「時々ちゃんと会いに来るから」となだめるようにして、最終の新幹線に乗った。

夢中で仕事した日々は故郷を思う間さえ無く、
彼ができてからはデートの時間を捻出するのが精一杯で、
結局この5年間、実家には数えるほどしか帰っていなかった。

お母さん、元気かな?
お父さん、お酒飲み過ぎていないかな?

懐かしさに、電車を飛び降りたくなった時、父が母の肩を抱き寄せるのが見えた。

昔気質の父が、人前で母の肩を抱くのを見るのは不思議だった。

私が母の元を離れたことで、夫婦二人だけの優しい時間が生まれたのかもしれないと、
ほんの少し嬉しくなった。

プシュー
発車のチャイムが鳴って、電車のドアが静かにしまった。

ガタンガタン……
心地良く揺れる電車に身を任せても、もう、眠くはならなかった。
私は、たくさんの選択をしながら過ごしてきたこの5年間の時間を思った。

もしもあの時…… 辛くなる度に何度もそう思ったけれど、
あの時、今へ続くこの道を選んだのは、他の誰でもない自分だった。

あの時、この道を選んだからこそ、今の私がこうしている。
時を巻き戻して選び直すことは、決してできない。

けれど、これからの選択肢はまだたくさんある。
未来へ続く道は、どんなふうにでも変えていけるに違いない。

こんなイブも悪くないかな……
そんなふうに思い直したところに、携帯メールの着信音が鳴った。
今夜は会社に泊まり込んでいるであろう同僚からのメッセージ。

(終電間に合ったか?仕事、終わりが見えてきたぞ。
イブなのに残業つき合わせて悪かったな。今度、ゆっくり一緒にメシでも食おう。)

添えられていた添付ファイルを開くと、「聖しこの夜」のメロディが流れだした。

ガラにもない、そう思ったけれど、本当は嬉しくて、
窓の外を流れるイルミネーションの街を見ながら思った。

やっぱり、こんなイブも悪くない。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー, 未来は……

「はぁ~。やっぱり、ミナコさんって素敵ね」

目の前に広がるバーチャルブックを操作しながら若い女がため息をつく。

「そうね、とても私たちと同じ人間だとは思えないわ。
でも、あなただって平成時代ならちょっとした美人だったんじゃない?」

少し年長の女が賛同した後、若い女を軽くからかう。

「平成時代って……もう200年以上昔じゃないっ!」

若い女は苦笑いしながら年長の女の肩を叩いた。

「そういえば、平成時代って私たちみたいな庶民でもみんな“食事”をしていたのよね?」

若い女が聞く。

「そうね、普通の人でも本物の野菜や肉を食べていたみたいね」

年長の女が答える。

「それに、ちょっと信じられないけど、
平成時代の人たちは太るのがイヤで食べるのを我慢してたって……
太るのがイヤだなんて、信じられない!!」

年長の女は、若い女を諭すように言った。

「時代が変わると、価値観も変わるのよ」

西暦2250年。

大規模な気候変動と大きな震災、戦争を経た世の中では食肉も野菜も大変希少で、
食べることができるのは、ごく限られた成功者や大金持ちだけだった。

普通の人間は、合成された疑似食品やサプリメントを摂っており、
皆、均一なとても細い体をしていた。

医療は極限まで発達したが、100年ほど前に延命医療の禁止が法律で決められてからは、
平均寿命もみるみる下がって、今や50歳を切っていた。

「それにしても、ミナコさんって本当に素敵よね」

オートビューにしたバーチャルブックの中で動く立体画像に見入りながら、また、若い女が言った。

若い女が見つめる先では、たっぷりと太った腹を揺らしながらドタドタと歩く中年女、
ミナコがにっこりと微笑んでいる。

本当に、価値観というのは時代によって大きく変わるものだ。

だが、“希少なもの”に価値があることだけは、いつの時代も変わらない。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー, 未来は……

宇宙を旅して回っている旅行家が、ある星に降り立ちました。

その星の地上には、大小さまざまな都市があった形跡があり、
かつて、かなり高度な文明が開けていたことがうかがわれます。

ところが、生命体らしきものは全く見当たらず、
どんな生き物が、この文明をつくりあげたのか?も、
それらの生命体がなぜ滅びてしまったのか?も、
想像がつきません。

旅行家が、星をあちこち探っていると、頑丈な素材で作られた
小さなドアが見つかりました。

開け放たれたそのドアからは、地中へと道が続いています。

好奇心に駆られた旅行家は、そのドアから中へ入り、
地中へと続く道を下っていきました。

実は、こうしてドアの奥へと進んだのは、
この旅行家が初めてではありません。

でも、一度中に入って行って、戻って来た者はいません。

ドアのそばには、こんなメッセージが刻まれていましたが、
はるか昔の、その文字を、この旅行家もまた、
解読することはできませんでした。

 ここは21世紀に処分された放射性廃棄物の埋蔵場所です。
 安全な所に保管する必要がああります。
 決して入らないでください。

 放射性物質は危険です。
 透明で、においもありません。
 絶対に触れないで下さい。

 地上に戻って、
 我々より良い世界を作ってほしい。

 近づかなければ安全です。

 幸運を。

ショートストーリー, 恋するキモチ

雨が降っている。

君は雨が嫌いだから、ちょっと浮かない顔をして、
窓の外を眺めている。

もしも僕が魔法使いだったら、今すぐ空に虹をかけて、
君を笑顔にしてあげるのに。

君は時々携帯電話に目をやって、
もう何日もかからない彼からの電話を待っている。

そんなふうにうつむいていたら、
せっかくの綺麗な瞳が、まつ毛で隠れてしまうのに。

君が僕をちらりと見て、
また、大きなため息をついた。

もしも僕が彼だったなら、今すぐその細い肩を抱いて、
君を安心させてあげるのに。

また、雨が降っている。

ほんの束の間晴れた空は、青かったことなど思い出せないほど、
どんよりとした灰色。

君は雨を恨むように、涙の痕が残る顔で、
暗い空を見つめている。

もしも僕が神様だったら、今すぐ時間を巻き戻して、
昨日の夜の出来事をなんて、なかったことにしてあげるのに。

君は携帯電話を操作して、
ずっと大切にしていた番号を消した。

そんなこと本当はしたくなかったから、
大きな君の瞳から、また涙があふれだした。

どれくらい泣いたろう?

君は僕をじっと見て、
こくん、と小さくうなずくと、
どこかへ出かける支度を始めた。

いつの間にか雨は上がって、
空が色を取り戻していた。

もしも、僕が人間だったら、お洒落した君と一緒に、
どこかへ出かけていきたいけれど……

僕は、壁の掛け時計。

でも、いつも、君のことを見守っているよ。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ありがとう, クリスマス, ショートストーリー

明るい日差しがクリスマスツリーを照らし、
行き交う人の多さと賑やかな笑い声に、思わず目を細めてしまった。

長い間あんなところでじっとしていると、光と音と人が溢れる外の世界は、
まるで別の国のように感じる。

あまりゆっくりはしていられない。
急いで買い物を済ませ、回診の時間までに戻らなくては。

闘病生活が長くなって、はやく自宅に帰りたいという希望は、
少しづつあきらめに変わっていった。

それでも、巡り来る季節を忘れてしまいたくはなくて、
節目になる行事だけはいつも大切に考えていた。

もうすぐ、クリスマス……。

彼に贈りたいものがあった。

昨日、お茶を煎れてくれた彼の手元を見た時、時計のベルトがすり切れて、
ずいぶんくたびれていることに気がついた。

大通りの向こうにある商店街、少し歩けば時計屋さんがあったはずだ。

流行の服を着た女の子たちとすれ違う。

パジャマの上にスカートをはき、コートで隠すようにしている自分が少し恥ずかしくなった。

病気にさえならなければ今頃……
もう考えるのはよそう、そう決めていた恨み言が一瞬頭をよぎった。

クリスマスソングの流れる商店街の向こうに、時計屋さんの張り出したショーケースが見えた。
メリークリスマスと書いた看板の横に、金色の天使のオブジェが飾られている。

ケースの中央、一番目立つ場所にあった時計に目が引きつけられた。
すっきりとしたデザインで、文字盤のダイヤが上品な輝きを放っていた。
彼の腕にきっとよく似合うだろう。

けれど、その値札には、たくさんのゼロが並んでいて、今の私にはとても手が届かなかった。

私がまた元気になって、働くこともできるようになれば、こんな時計をプレゼントすることだって夢ではない。

そんな日のことを想像しながら、時計屋さんのドアを開けた。

今夜もいつもと同じ時間に会いに来てくれた彼は、
「メリークリスマス!」と言って金色の紙に包まれた小さなボトルを差し出した。

手際よく包みを開けながら、「アルコールは入ってないけどね」といたずらっぽく笑う。

この人と結婚してよかった。

唐突にそんな気持ちがわき上がり、目頭が熱くなった。
こんなふうに彼といられる時間は、あとどれくらいあるのだろう?

「病室の湯飲みじゃ気分がでないだろ」

彼は紙袋からワイングラスを二つ取り出した。
音を立てないようにタオルを押し当てて蓋を開けたのは良かったけれど、
勢いよくわき上がった泡のせいで、中身がずいぶん減ってしまった。

したたり落ちる大量の滴に慌てている彼が、可愛いと思った。

枕の下に隠したプレゼントを渡したら、彼はどんな顔をするだろう?

ようやくつぎ終えたシャンパンの泡に、ベッドサイドのライトが反射して綺麗だった。

二人でくすくす笑いをかみ殺しながら、グラスをぶつけて乾杯をした。

**********

「春江!春江!春……」

胸が重く、息が苦しくなって、目の前が霞んだ。

妻が、たった今亡くなった。

こんなにも早く、こんなにも急にこの日がやってくるなんて……。

時計の文字盤が滲んでいるのを見て、僕は自分が泣いていることに気がついた。

何ヶ月もの間、病魔と闘って、とても疲れていたはずなのに綺麗なままの顔だから、
少し眠っているだけだと思い込みたくなった。

手も頬もまだ暖かく、唇には笑みさえ浮かんでいるように見える。

「春江……」

春江とここで乾杯したのは、まだ、ほんの一週間前のこと。

病室を抜け出してプレゼントを買ってくるほど元気だったのではなかったか。

君が予想していた通り、僕はまず怒ったけれど、本当はたまらなく嬉しかったんだよ。

病院を出たら自分も働いて、文字盤にダイヤのついた高級な時計を僕にプレゼントしたいと言っていたね。

それじゃあ春江の分も買って、一緒にダイヤの時計をはめようって、そう約束したじゃないか。

春江…… 君がくれたこの時計にはダイヤなんてついていないよ……。
君の細い手首には、点滴の針が刺さって、時計さえついていない……。
君はこれまで、僕との約束を破ったことなんてなかったのに……。

春江…… 約束は守らなくてはいけないんだよ!!

そのとき、窓の外から厳かに響く鐘の音が聞こえてきた。
今年の終わりと、新しい年の到来を告げている。

僕は、二人でずっと守ってきたもう一つの約束を思い出した。

「新しい年には新しい気分で」

どんなに喧嘩をしていた年だって、どんなに疲れていた年だって、
新しい年を迎える時には、二人とも笑顔で、新しい気分で新年を迎えましょう。

結婚して初めてのお正月に、そう約束して以来、僕たちはずっと、それを守ってきたんだったよね。

春江、どんなに悲しい年だって、これは守らなくちゃいけないのかい?
だから、君は、そんなふうに綺麗な顔で旅立ったのか。

「そうよ、あなた。新しい年には、新しい気分で」

横たわる春江の唇から、そんな声が聞こえたような気がした。

もうすぐ、新しい年がはじまる。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー

「恵子さん、恵子さん」

また義母が呼んでいる。
すっかり日課になってしまった、あの時間が今日も始まる……。

「恵子さん、こんなところに居たのね、あなたに見せたいものがあって探していたのよ」

義母は鍵のついた引き出しを開けると、柔らかな布に包まれた指輪やブローチ、
ネックレスなどを次々に取り出した。

「この黒真珠はね……」

これから約1時間、義母はその宝石類の云われや、どれほど素晴らしいものなのかを、長々と話し始める。
一字一句間違わずに言えるほど、何度も聞いた同じ話には、もういいかげんうんざりしていた。

義母が呆けていることに気づいたのは、3ヶ月前。

今食べ終えたばかりの食卓を見て、自分の分が残っていないと怒り出したのがきっかけだった。

医者も友人達も、自分のことが自分でできるだけましだと言い、
その話を聞くだけで済むのならば聞いてあげた方が良いと言う。
他人事だからそんなことが言えるのだ。
毎日毎日同じ話を1時間も聞かされる身になれば、その辛さがどれほどかわかるだろう。

しかも、義母は話の最後をいつも必ずこう締めくくる。

「どれも素晴らしいお品でしょう。
啓子さんのように庶民的な方には似合わないかもしれませんけれど。」

義母の父親は男爵の称号をもらっていて、自分は華族出身であったというのが自慢だった。
今では裕福さのかけらも留めていないこの家にあっても、その気位の高さだけは失っていなかったのだ。
栄華を極めた日々の名残である、いくつかの宝石類だけが、彼女の自尊心を支えてきたのだろう。

それにしても、高価な宝石類を毎日見せ付けられたあげく、
「あなたには似合わない」と言われ続ける私の気持ちは、もう、限界に近いところまで来ていた。

全て売り払ってしまえば、今より楽な生活ができるかもしれない。

呆けた義母を施設に入れて、全ての宝石を売り払い、古い家を改築して、
ゆったりと過ごす日々を想像しながら、毎日繰り返される義母の話に耐え続けた。

そんな日々に突然終わりが来たのは、真夏だというのに涼やかな風が吹く朝だった。
穏やかで、あまりにもあっけない義母の最後だった。

葬儀が済み、初七日も終えた後、義母が生前自分に何かあったときにと
弁護士に預けてあったという手紙が届いた。

どうということもない文面に、長かったけれど浅かったのかもしれない義母との付き合いを思ったが、
最後の一行にハッとして、自分の目を疑った。

私が大切にしていたものについて、
あなたはもう十分に理解していることでしょう。
いつも話を聞いてくれてありがとう。
宝石は、全て恵子さんに贈ります。
どれも、きっと、よく似合うことでしょう。

「どれも、きっと、よく似合う……」
あれほど望んでいた日が来たというのに、悲しみの涙がとめどなく溢れ出した。

「この黒真珠はね……」と話始める義母の声がたまらなく聞きたくなった。
涙の粒が頬を伝って、握り締めた黒真珠の上に落ちた。

黒真珠はいつも通り、気高い光を放っていた。

売りさばいてしまいたいと思っていた宝石類だったが、
結局、また、鍵のついた引き出しに大切にしまわれることになった。

いつの日か、私も、息子の嫁を前にして、この黒真珠の云われを話すのかもしれない。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー, ベリーショートストーリー

僕はひつじ。

さきちゃんは僕の命の恩人なんだ。

僕はあともう少しで、燃え盛る火の中に投げ込まれる運命だった。
でも、さきちゃんが涙を流して、僕を助けてとお願いしてくれたんだ。
お願いは聞き入れられて、僕は黒こげにならずに済んだ。

僕はさきちゃんが大好きなんだ。
さきちゃんはとても優しくて可愛い。

さきちゃんのママは、さきちゃんが泣き虫だって心配してるけど、
僕は、さきちゃんがすぐに泣いてしまうのは優しすぎるからだ、って知ってるよ。

僕は今、さきちゃんの部屋のタンスの上で、
大好きなさきちゃんが、毎日泣いたり笑ったり遊んだり勉強したりしてるのを見てるんだ。

僕はひつじ。
さきちゃんとお友達が、幼稚園の作品展で、一生懸命作ってくれた、
紙と毛糸でできたひつじ。

これからもずっと、さきちゃんと一緒だよ。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー, 未来は……

「スズキさん、お疲れ様です!」

エレベーターに乗り合わせた後輩が、明るい声で挨拶をする。

「ああ、お疲れ様 」

「明日から連休ですね。スズキさんはどこかに行かれますか?」

何となくウキウキとした調子で後輩が尋ねる。

先月子供が生まれたばかりの彼は、連休が待ち遠しかったに違いない。

「実は……田舎で畑仕事をしようかと思ってるんだ」

「……い、田舎ですか!?」

後輩が驚いて次の言葉が出なくなっている間に、
エレベーターは、1階に到着してしまった。

**********

「……なんて言うのよ、困っちゃった!フフフ」

おしゃべり好きなママ友との電話に疲れてきて、
そろそろ切りたいなと思っていると、彼女がふいに話題を変えた。

「あ、そういえば、スズキさん、
明日からの連休、何かご予定はある?」

最近買った高価な絵を買ったらしい彼女は、
私を自宅に招いて見せたいのかもしれない。

「実はね……田舎で子供に川遊びをさせる予定なの」

「えっ!?……」

電話の向こうで息を飲む音が聞こえて、
しばらく沈黙したかと思うと、

「あ、えっと……夫が帰ってきたみたい。
それじゃ、またね」

そう言って、そそくさと電話を切ってしまった。

想像もできなかった答えに、話をどう続ければいいのか
わからなくなったのだろう。

彼女の反応も無理はない。

私たちだって、田舎に出かける幸運を未だに信じられないのだから。

地上の99%が中央制御された人工都市になっている今、
本物の土と川がある「田舎」は、わずかに残された地上の楽園だ。

田舎では、畑という土の中にある“野菜”を手で掘り出して食べたり、
透明な冷たい水が流れる“川”に入って遊んだりできるという。

まるで夢のような場所だ。

そして、そんな田舎で連休を過ごせるのは、
相当なお金持ちか、大成功した有名人か、
私たちのように、宝くじで入場券を手にした人だけなのだから。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

Happyの予感, ショートストーリー

「ねえ、聞いた?」

「え?何を?」

「今日は部長のおごりで飲み会ですって!昨日競馬で大穴当てたらしい
わよ」

「まあ、気前がいい部長らしいわね」

「有志は全員連れて行ってしゃぶしゃぶですって。思いっきり食べましょ
うね」

社員食堂で部長からの伝言を触れ回る同僚に、私も参加の意思を伝えた。

けれど、終業間際に入ったクレーム電話の応対で定時に切り上げそびれた私は、
仲間たちを見送って、後から追いかけることを約束した。

仕事を終えてコートを羽織り、鞄に手をかけた時、営業部の高橋くんが駆け込んできた。

困った表情の彼に事情を尋ねると、我侭な客に、明日朝一で商品リストの見積もりを持ってきて欲しいと言われ、
データ入力を手伝ってくれる人を探しに来たという。

私は、今羽織ったばかりのコートを脱いだ。

チャンス!

実は、入社依頼ずっと高橋くんのことが好きだったのだ。

部長のおごりで食べるしゃぶしゃぶはもちろん魅力的だけれど、
ずっと好きだった高橋君と二人っきりでする残業には敵わない。

たとえ、それがパソコンに向かってデータ入力するだけの時間であったとしても、だ。

好きな人と一緒に過ごせる時間は、私にとって、とても輝かしい時間だから。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー, 秘密

“謎多き男、グレイヴに群がる美女たち”

「またあなたのことが載ってるわよ」

大げさなタイトルが躍る女性誌を見せながら、亜理紗が悪戯っぽく笑う。

「好きに書かせておけばいい」

「そんなふうだから色々書かれるのよ、
私は本当のあなたを知ってるからいいけれど、少しは……」

記事に、グレイヴのファンには最近人気の某アイドルもいるというくだりを読んで、
表情が曇り始めた亜理紗の口をふさいで、ブラウスのボタンをはずした。

面倒くさい女はこうして黙らせるのが一番だ。

それにしても、面白い世の中になったものだと思う。

ほんの数年前まで、引きこもりのオタクだった俺が、
今や、モデルでも女優でも好きなだけ部屋に呼べる男になったのだから。

幸運の始まりは、遊び半分でWebに上げた自作の曲。
楽器なんて弾いたこともなかったが、パソコンが1台あれば、
どんな音でもつくりだすことができた。

この曲がなぜかネットユーザーの間で話題になり、
ヤフーニュースに取り上げられると、Facebookやツイッターで
瞬く間に拡散して、俺は、新進気鋭のアーティストとして祭り上げられた。

2曲目、3曲目も続けて当たり、ネットでは“神”と呼ばれるようになった。

4曲目が大企業のCM曲としてテレビでも繰り返し流れると、
取材やテレビ出演の依頼も増えた。

スポンサーの絡みで断り切れなくなった取材を、
顔がほとんど隠れる長髪と手足まですっかり覆い隠す衣装で受けた。

取材といっても、元々は引きこもりだ。
これと言って話すこともないので、何を聞かれても曖昧に首を動かして
薄ら笑いを浮かべていた。

ところが、取材相手はプロだ。
記事は、ここまで上手く書くかと驚くほどに仕上がっていた。

その上、この時の写真がおしゃれな見出しで人気女性誌に載り、
俺は〝謎多き男”として若い女性たちからも注目されるようになった。

そして今は……

亜理紗が、トロンとした表情で俺を見詰めている。

長い前髪の間からその目を見詰め返しながら、ゆっくりと左腕を上げ、
指先まで隠していた服の袖をまくった。

そこには、亜理紗の細い手首に巻かれているのと揃いの、
高級時計が着けられている。

亜理紗には、俺が指まですっぽり隠す服を選ぶのは、
この特別な時計を人に見られないようにするためだと教えてあるのだ。

「いつも着けているよ」

亜理紗の耳元でそっと囁いた。

ふたりだけの秘密で愛の証である時計を確認すると、
亜理紗は嬉しそうに目を輝かせ、俺の胸に顔をうずめた。

俺は、亜理紗を引き寄せた右腕にぐっと力を込める。

もちろん、その右腕に、あのアイドルと揃いの高級時計が
巻かれていることなど、亜理紗は全く知らない。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。