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ショートストーリー, ベリーショートストーリー

僕はひつじ。

さきちゃんは僕の命の恩人なんだ。

僕はあともう少しで、燃え盛る火の中に投げ込まれる運命だった。
でも、さきちゃんが涙を流して、僕を助けてとお願いしてくれたんだ。
お願いは聞き入れられて、僕は黒こげにならずに済んだ。

僕はさきちゃんが大好きなんだ。
さきちゃんはとても優しくて可愛い。

さきちゃんのママは、さきちゃんが泣き虫だって心配してるけど、
僕は、さきちゃんがすぐに泣いてしまうのは優しすぎるからだ、って知ってるよ。

僕は今、さきちゃんの部屋のタンスの上で、
大好きなさきちゃんが、毎日泣いたり笑ったり遊んだり勉強したりしてるのを見てるんだ。

僕はひつじ。
さきちゃんとお友達が、幼稚園の作品展で、一生懸命作ってくれた、
紙と毛糸でできたひつじ。

これからもずっと、さきちゃんと一緒だよ。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー, 未来は……

「スズキさん、お疲れ様です!」

エレベーターに乗り合わせた後輩が、明るい声で挨拶をする。

「ああ、お疲れ様 」

「明日から連休ですね。スズキさんはどこかに行かれますか?」

何となくウキウキとした調子で後輩が尋ねる。

先月子供が生まれたばかりの彼は、連休が待ち遠しかったに違いない。

「実は……田舎で畑仕事をしようかと思ってるんだ」

「……い、田舎ですか!?」

後輩が驚いて次の言葉が出なくなっている間に、
エレベーターは、1階に到着してしまった。

**********

「……なんて言うのよ、困っちゃった!フフフ」

おしゃべり好きなママ友との電話に疲れてきて、
そろそろ切りたいなと思っていると、彼女がふいに話題を変えた。

「あ、そういえば、スズキさん、
明日からの連休、何かご予定はある?」

最近買った高価な絵を買ったらしい彼女は、
私を自宅に招いて見せたいのかもしれない。

「実はね……田舎で子供に川遊びをさせる予定なの」

「えっ!?……」

電話の向こうで息を飲む音が聞こえて、
しばらく沈黙したかと思うと、

「あ、えっと……夫が帰ってきたみたい。
それじゃ、またね」

そう言って、そそくさと電話を切ってしまった。

想像もできなかった答えに、話をどう続ければいいのか
わからなくなったのだろう。

彼女の反応も無理はない。

私たちだって、田舎に出かける幸運を未だに信じられないのだから。

地上の99%が中央制御された人工都市になっている今、
本物の土と川がある「田舎」は、わずかに残された地上の楽園だ。

田舎では、畑という土の中にある“野菜”を手で掘り出して食べたり、
透明な冷たい水が流れる“川”に入って遊んだりできるという。

まるで夢のような場所だ。

そして、そんな田舎で連休を過ごせるのは、
相当なお金持ちか、大成功した有名人か、
私たちのように、宝くじで入場券を手にした人だけなのだから。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

Happyの予感, ショートストーリー

「ねえ、聞いた?」

「え?何を?」

「今日は部長のおごりで飲み会ですって!昨日競馬で大穴当てたらしい
わよ」

「まあ、気前がいい部長らしいわね」

「有志は全員連れて行ってしゃぶしゃぶですって。思いっきり食べましょ
うね」

社員食堂で部長からの伝言を触れ回る同僚に、私も参加の意思を伝えた。

けれど、終業間際に入ったクレーム電話の応対で定時に切り上げそびれた私は、
仲間たちを見送って、後から追いかけることを約束した。

仕事を終えてコートを羽織り、鞄に手をかけた時、営業部の高橋くんが駆け込んできた。

困った表情の彼に事情を尋ねると、我侭な客に、明日朝一で商品リストの見積もりを持ってきて欲しいと言われ、
データ入力を手伝ってくれる人を探しに来たという。

私は、今羽織ったばかりのコートを脱いだ。

チャンス!

実は、入社依頼ずっと高橋くんのことが好きだったのだ。

部長のおごりで食べるしゃぶしゃぶはもちろん魅力的だけれど、
ずっと好きだった高橋君と二人っきりでする残業には敵わない。

たとえ、それがパソコンに向かってデータ入力するだけの時間であったとしても、だ。

好きな人と一緒に過ごせる時間は、私にとって、とても輝かしい時間だから。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー, 秘密

“謎多き男、グレイヴに群がる美女たち”

「またあなたのことが載ってるわよ」

大げさなタイトルが躍る女性誌を見せながら、亜理紗が悪戯っぽく笑う。

「好きに書かせておけばいい」

「そんなふうだから色々書かれるのよ、
私は本当のあなたを知ってるからいいけれど、少しは……」

記事に、グレイヴのファンには最近人気の某アイドルもいるというくだりを読んで、
表情が曇り始めた亜理紗の口をふさいで、ブラウスのボタンをはずした。

面倒くさい女はこうして黙らせるのが一番だ。

それにしても、面白い世の中になったものだと思う。

ほんの数年前まで、引きこもりのオタクだった俺が、
今や、モデルでも女優でも好きなだけ部屋に呼べる男になったのだから。

幸運の始まりは、遊び半分でWebに上げた自作の曲。
楽器なんて弾いたこともなかったが、パソコンが1台あれば、
どんな音でもつくりだすことができた。

この曲がなぜかネットユーザーの間で話題になり、
ヤフーニュースに取り上げられると、Facebookやツイッターで
瞬く間に拡散して、俺は、新進気鋭のアーティストとして祭り上げられた。

2曲目、3曲目も続けて当たり、ネットでは“神”と呼ばれるようになった。

4曲目が大企業のCM曲としてテレビでも繰り返し流れると、
取材やテレビ出演の依頼も増えた。

スポンサーの絡みで断り切れなくなった取材を、
顔がほとんど隠れる長髪と手足まですっかり覆い隠す衣装で受けた。

取材といっても、元々は引きこもりだ。
これと言って話すこともないので、何を聞かれても曖昧に首を動かして
薄ら笑いを浮かべていた。

ところが、取材相手はプロだ。
記事は、ここまで上手く書くかと驚くほどに仕上がっていた。

その上、この時の写真がおしゃれな見出しで人気女性誌に載り、
俺は〝謎多き男”として若い女性たちからも注目されるようになった。

そして今は……

亜理紗が、トロンとした表情で俺を見詰めている。

長い前髪の間からその目を見詰め返しながら、ゆっくりと左腕を上げ、
指先まで隠していた服の袖をまくった。

そこには、亜理紗の細い手首に巻かれているのと揃いの、
高級時計が着けられている。

亜理紗には、俺が指まですっぽり隠す服を選ぶのは、
この特別な時計を人に見られないようにするためだと教えてあるのだ。

「いつも着けているよ」

亜理紗の耳元でそっと囁いた。

ふたりだけの秘密で愛の証である時計を確認すると、
亜理紗は嬉しそうに目を輝かせ、俺の胸に顔をうずめた。

俺は、亜理紗を引き寄せた右腕にぐっと力を込める。

もちろん、その右腕に、あのアイドルと揃いの高級時計が
巻かれていることなど、亜理紗は全く知らない。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー, ベリーショートストーリー

彼女のショッピングに付き合う約束だったのを忘れて、
ダチと遊びに行ってた渋谷で、彼女にばったり会ってしまった。

運の悪いことに、さっき合流したダチの仲間の女の子たちも一緒だった。

「遼くん!」

目を見開いて、かなり怒った顔の彼女が続けた言葉は、俺にとって致命的だった。

「遼くんの…… 嘘つき!!」

あ~れ~~~~~~~~~~~。

“嘘つき”

この言葉を言われると、俺は時間を遡る。

「まだ嘘をついていない時間」まで遡って、もう一度やり直さなくてはいけなくなるのだ。

なぜそうなってしまったのかは分からない。

しかし、それは俺にとって、どう抗っても逃げられない現実。

もう何度くらいやり直しをさせられただろう?

15,6回目からは、数えるのも嫌になった。

今回の人生では、せっかく高校生まで成長することができたのに……。

「ちぇ!ショッピングの約束は、嘘ついたわけじゃなくてちょっと忘れてただけじゃないか。」

俺はそう文句を言ったが、すでに時間は遡っていて、
赤ん坊に戻った俺の言葉は「オギャー、オギャー」という泣き声でしかなかった。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー, 秘密

新人モデルのマイカはとても困っていた。

目の前に置いた強いカクテルを、先輩モデルの美夏が飲み干せと勧めるからだ。

断るわけにもいかないが、飲み干したりしたら
ぶっ倒れて明日の仕事に穴をあけかねない。

もちろん、美夏はそれを分かって勧めているのだ。

うつむいて唇をかんでいると、美夏が言った。

「せっかく作ってもらったのに、失礼な子ね。
仕方ないわ、じゃ、代わりに何か面白いことしなさい」

美夏は店内をぐるりと見渡すと、中年の男性を指さした。

「そうだ、あのダッサいオジサンの着こなしを真似て写真を撮りなさい。
ウフフ…… その写真をブログにアップしたら、飲まなくても許してあげるわ」

そう言いながら反応を想像して笑っている。

意地悪な注文だが、拒否すればもっと意地悪をされるだろう。

マイカは薄手のカーディガンを脱ぐと肩にかけて、
胸の真ん中で袖を結び、にっこり笑って写真を撮った。

まさか、ダサいオジサンを真似て……と書くわけにもいかないので、
こんなコメントを添えた。

“中目黒のバーで見つけたダンディなおじ様を真似てみました”

***

高野は、マイカのブログを見ながらほくそ笑んでいた。

昨晩飲んでいた中目黒の店で、肩にサマーセーターをかけていたからだ。

バブルの頃はこんな恰好してたよなぁ、なんて冗談でやっていたのだが……
まさか、人気上昇中のかわいいモデルが自分を真似て写真を撮るなんて。

高野は部下を呼びつけると、新商品のCMキャラクターにマイカを起用するよう言い付けた。

***

涼子は少しイラついていた。

高野がベッドの中でもまた、マイカの話をしたからだ。

若い女にダンディだと言われたのが、それほど嬉しいことなのか?

でも……嫉妬で感情が高ぶっているせいか、高野の指にいつもより感じる。

アッ……!

翌日の編集会議で、涼子はマイカを専属モデルに起用することを提案した。

高野との関係も最近マンネリ気味だったから、
マイカをカンフル剤にしようと考えたのだ。

***

「こんなスタイルがまた流行るなんて……」

雑誌のページをめくりながら、美夏はため息交じりにつぶやいた。

ほんの数か月前まで、この着こなしは間違いなくダサかったはずだ。

だが、今や、どのファッション雑誌でも、
カーディガンを肩にかけたマイカがにっこりと笑っている。

それどころか、街はカーディガンを肩にかけた若い女の子でいっぱいだ。

ブログに写真を上げてすぐ、食品のCMと、人気ファッション誌の専属契約が決まったマイカは、
カーディガンの肩掛けスタイルをラッキーコーディネートだと言いふらした。

マイカの幸運にあやかろうと、モデルたちは次々と肩にカーディガンをかけはじめた。

マスコミがそれを追いかけ、雑誌が特集記事を組んだ。

「流行は繰り返すっていうけど、本当ね」

雑誌を閉じて美夏がしみじみと言った。

流行は、ちょっとしたきっかけとくだらない理由で生まれていることに、
マイカも美夏もまだ気づいていない。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー, ハロウィン, ベリーショートストーリー

「10月最後の金曜かぁ……今夜も多くなりそうだな」

「ああ、年々エスカレートしているからなぁ」

勤務を控えた男たちは、大きなため息をついた。

仮装した大人たちが夜の繁華街に集うハロウィンは、
今やクリスマスのツリー並みに定着している。

大手レジャー施設が仕掛けた「ハロウィンホラーナイト」の影響で、
ここ数年は怖い仮装がトレンドだ。

手や顔に切り傷や火傷痕をつけた程度の仮装はまだ可愛いもので、
目の玉が飛び出ていたり、斧が頭に刺さっていたり、
皮膚が溶けて骨が見えていたりする者も少なくない。

もちろん、男たちだって、仮装して楽しむことを非難するつもりはない。

ただ、本物らしさの追求は、もういい加減にしてほしい。

年々高くなるメイクと仮装の技術は、もはや本物と見分けがつかないレベルだ。

トゥルル……

受話器を取って耳にあてると、中年女性のうわずった声が響いた。

「もしもし!女の人が刺されて倒れています!胸が血だらけで……」

ほらきた、まただ。

男たちが勤務する県警本部地域部通信指令課(110番受付)には、
ハロウィンが終わるまで、刺された女や切られた男の通報が絶え間なく続く。

お願いだからその仮装姿のまま酔いつぶれるのはやめてくれ!


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー, ハロウィン, 秘密

書けない。どうしても、書けない。

前作まではキーボードを打つ指のスピードがもどかしいほど、
次から次へと言葉があふれてきたというのに。

男は、ふうっと大きなため息をつくと、
何時間も座りっぱなしだった椅子から立ち上がろうとした。

ピコン。

その時、着信音が鳴り、モニターの隅に
男のSNSアカウントに届いたメッセージが表示された。

人気作家である男には20万人を超えるフォロワーがいるが、
男がフォローしているのは十数名だけだ。

ほとんどは、オフラインでも付き合いの深い友人知人だが、
ひとりだけ、実際には会ったことのない人物がいた。

アカウント名はPhantomで、年齢も性別も分からない。

男がなぜそんな奴をフォローしているのかと言えば、
たまたま見かけたそいつの投稿があまりにも興味深かったからだ。

友達の少ない奴なのか、フォロワーは男を入れて3人だけで、
フォロー数も10に満たない。

男以外の2人のアカウントは長く動いている様子がないから、
実質的にPhantomの投稿を読んでいるのは、男だけだと言っていい。

メッセージは、そのPhantomからだった。

推理小説のトリックを考えついたので見てほしいというのだ。

男がフォローするほどPhantomに興味を持ったのは、
Phantomがいくつものトリックアイデアを投稿していて、
それがなかなか良くできていたからだ。

Phantomはミステリー好きか、小説家志望なのだろう。

トリックのネタならば、いつものように投稿すれば良いのに、
どうしてわざわざダイレクトメッセージを送ってきたのだろう?

不思議に思いながらも、気分転換になるだろうと思い、男は了承のメッセージを返した。

すると、メッセージ添付で送られてきたのは、
ちょっとした小説並みの量があるテキストファイルだった。

テキストを読み終えた男は、気分を落ち着けるために
深呼吸をしなければならなかった。

Phantomの原稿が予想外に素晴らしくて動揺したのだ。

もちろん、文章は未熟で構成にも甘さがある。

しかし、核となる殺人のトリックには目を見張るものがあった。

緻密な計算と周到な準備に、いくつかの偶然が重ならなければ成しえない殺人ではあるけれど、
ストーリーには整合性があって、リアリティがもの凄い。

殺される3人の男たちの心理描写も秀逸だ。

男はすぐPhantomにメッセージを送り、原稿を編集者に見てもらうよう勧めた。

なんなら男と親しい編集者を紹介してやっても良い。

ところが、Phantomは思いがけないことを申し出た。

このトリックを使って推理小説を書いて欲しいというのだ。

Phantomは、自分が思いついた最高のトリックを
どうしても世に出したいので、男に協力してほしいと懇願した。

もちろん、男は断った。

今は少々スランプだが、素人の考えたトリックで書くなんて
プロとしてのプライドが許さない。

しかし、いっこうに抜け出せないスランプと、
毎日メッセージを送ってきては懇願し続けるPhantomの根気に負けて、書くことを約束した。

Phantomの原案に男の筆が加わった推理小説は、
男の作品の中でも最高と言える出来栄えだった。

原稿を読んだ担当編集者が興奮して絶賛する声を聞きながら、
男の頭には「ゴーストライター」という言葉がよぎった。

出来上がった作品をデータでPhantomにも送って見返りを尋ねたが、
ただ礼を言うばかりで何も要求しなかった。

そして、それきり、Phantomは返信をよこさなくなった。

SNSへの投稿もその日から途絶えたままだ。

出版された小説は、瞬く間にベストセラーとなり、男の最高傑作と評された。

推理小説家として益々人気を高めた男は、スランプからも脱出し、次回作に取り組み始めた。

Phantomと連絡を取ろうと、男は人を雇って調べさせたりもしたが、
結局、Phantomを探し出すことはできなかった。

******

「便利な時代になったもんだよな」

Phantomが仲間に話しかける。

「本当に。誰でもネットで表現活動できるんだからな」

仲間が感心したように言う。

「それにしても、あの小説家、やっぱり凄いな。
これだけ本が売れれば、関係者の誰かが読んで、あの事件の真相に気づくのも時間の問題だ」

Phantomがそう言うと、もう一人の仲間が心配そうに口を開いた。

「あの小説家が疑われたりしないか?」

「大丈夫さ、事件が起きたとき、あの小説家はまだ小学生だ。
いくら小説でトリックを暴いて、事件を詳細に描写していたって疑われることはないよ。
本人はちょっと驚くだろうけど……」

Phantomは笑いながら言う。

「俺たち、もうすぐ見つけてもらえるんだよな?」

仲間が不安そうに尋ねた。

「ああ、きっともうすぐだ。」

白骨になって久しいPhantomが、暗い土の中できっぱりと言った。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー, ハロウィン, 世にも奇妙な物語, 怖い話

※この作品は、『怖い話』の続編です。ぜひ、あわせてお楽しみください。

駅で拾ったタクシーの運転手は、感心するほど礼儀正しく、
車内は清掃が行き届いていた。

こんな田舎の駅でも、いい運転手がいるものなのか。
いや、こんな田舎の駅だからこそ、いい運転手がいるのかもしれない。

俺は、これまでに何度も当たってしまった、たばこ臭い車や、
横柄な態度の運転手を思い出していた。

礼儀正しい運転手は、また運転テクニックも上級で、
振動を感じない静かな車内で、心地よく流れるBGMを聞きながら
すっかりくつろいだ気分になっていた。

昔の女にバッタリ会って、冷や汗をかいた出来事も、
こうして上手くかわした今は、もう過去になりつつある。

清潔なシートに身をゆだね、またうとうとしかかった瞬間、
キキーッという音がして、突然ガクンと身体が揺れた。

何事かと思ったら、フロントグラスの向こうに、
髪の長い女の姿があった。

白っぽい服を着て、雨などもう降っていないのに
なぜか全身がずぶ濡れだ。

「……!!」

あちらの世界からやってきたようにしか見えない女の様子に、
声にならない声が漏れた。

だが待てよ。良く考えてみれば、運転手は急ブレーキを踏んでいる。

……ということは、あの髪の長い女は運転手にもはっきりと見えている
ということだ。

つまり、女は普通の人間に違いない。
少なくとも、この気味の悪い女を見ているのは、俺一人ではない。

ところが……

運転手はブレーキを踏んだまま動こうとしない。

その上、肩を小刻みに震わせている。

「運転手さん、大丈夫ですか?」

俺も怖いが、俺以上に怖がっている運転手に声をかけると、
か細い声でこう答えた。

「お客さん、お迎えが来てしまいました。
ここから先には行けませんよ……」

「何を言ってるんですか?!」

こんなところで放り出されてはたまらない。

後部座席から身体を乗りだして運転手の肩を揺さぶった。

肩を揺さぶりながら、ふと目に入った運転手の身分証には、、
“田中正道”という名前が書かれていた。

「!!!」

その瞬間、昔聞いて、すっかり忘れていた噂がフラッシュバックした。

俺が清算した女が入水自殺したとかしないとかいう噂だ。

当時は「そんなバカな」と笑って聞き流した噂だったが、もしかして……

顔を上げると、髪の長いずぶ濡れの女が、俺の顔を見つめていた。

ふっくらとした唇が、「さあ一緒に行きましょう」と動いて、
細い指輪をはめた白い左手を、にゅっとこちらに差し出した。

「ぎゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………」


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。

ショートストーリー, ハロウィン, 世にも奇妙な物語, 怖い話

「昨日の雨、本当にすごかったわね。あなたが居なくて怖かったわ。」

可愛く怯える妻は5つ年下で、結婚して3年が経つ。

昨夜は大雨のせいで電車のダイヤも大幅に乱れていた。

「電車も止まっていたし、タクシーもつかまらなくてね……
一人で過ごさせてしまって本当に悪かった」

俺は妻を抱き寄せて優しく言った。

実は、深夜まで他の女の家に居たことになど、
妻はもちろん気付いていない。

《この集中豪雨でタクシー運転手田中正道さん56歳が……》

テレビは、隣町で大雨の犠牲となった不運な人の名を告げていたが、
窓の外には青空が広がり、夏を謳歌するセミの合唱が聞こえている。

「大切な商談があるから今夜も遅くなるよ。」

玄関で手を振る妻にそう告げて家を出た。

商談を成功させ、女の子のいる店で同僚と祝杯をあげ、
明日が早いからという同僚に付き合って店を出た。

「たまには真っ直ぐ帰ってやるか。」

電車に乗って少しうとうとし、はっと気づくと
隣に髪の長い女が座って、同じように居眠りをしていた。

頭を俺の肩にもたせかけて、
開いた襟から白い胸元がのぞいている。

柔らかそうな膨らみが寝息と共に上下して、
ときおり、小さな吐息を漏らす。

頬は赤く染まっているから、少し酔っているのだろう。

うつむき加減の顔に長い髪がかかっているため、
女が美人かどうかはよくわからない。

ただ、女のふっくらとした唇は俺好みで、
女の触れている左側からは、甘い熱が伝わってくる。

「ううん……」と言って女が少し体を動かすと、
豊な膨らみが左腕に当たった。

悪い気はしない。

終点まで乗って行ったところで、どうせそれほど遠くはないから、
タクシーを拾えばいい。

俺は女が起きるまで、この感触を楽しむことにした。

本来であれば下りるべき駅を過ぎ、次の駅が近づいた時、
女が突然顔を上げた。

ゆっくりと目を開いた女は、俺の顔を見てにっこり笑った。

「お久しぶりね」

見覚えのある目は、専務の娘である妻との婚約が決まった時、
清算した女のうちの一人だった。

当時はもっと短い髪だった。

驚く俺に、彼女は続けた。

「あなたが迎えに来てくれるのを、ずっと待っていたのよ」

そう言いながら差し出した左手の薬指には、昔贈った細い指輪が
まだそのままはめられていた。

彼女との関係は、きちんと清算したはずではなかったか?
まさか、俺の結婚を知らなかったのだろうか?

俺は昔の記憶を辿ったが、混乱していて思い出せない。

「ねえ、私たちいつ結婚できるの?」

ほろ酔い気分はすっかり冷めて、嫌な汗が背中を伝った。

……男にとって、これ以上怖い話などあるだろうか?

続編の『タクシー運転手』もぜひあわせてお読みください。


このショートストーリーは、大阪の時計店【ウオッチコレ】メールマガジン『ブリリアントタイム』に掲載されています。